インド仏教に果たして僕らは何ができるのか?

とにかく僕は無為の時を過ごすのはキライである。

 

しかし、焦るばかりにものごとが一向に進まない。

 

それもインドと言えばインドなのだが、

僕としては、自分なりにテーマを抱えて来たのだ。

 

そのテーマというのは、

「1956年から復興が始まったインド仏教に

果たして僕らは何ができるのか?」

という割と(というか、かなり)遠大なテーマである。

 

1月に、インド仏教の復興という歴史的偉業を始めた

アンベードカル博士の子孫と会った。

 

その精神を引き継いで半世紀以上、活動して来た

佐々井上人ともつながっった。

 

 

 

<アンベードカル博士のひ孫さんたちと火の合祀セレモニー>

 

 

その後、インド仏教にまつわる様々な本を読んで深堀りする中で、

それまでの自分の無知を痛感し、己れを恥じる想いであった。

 

もちろんそれまでも、

インド仏教の父がアンベードカル博士であること。

 

インド仏教徒のほぼ全員が不可触民出身であること。

(ヒンズー教徒でなければ、不可触民ではない。

少なくとも建前では)

 

その他、社会活動という面が強い、

アンベードカル仏教の特殊性ぐらいの知識はあった。

 

しかし実際に不可触民が、

今も尚、どのように差別されているか。

 

つまり、奴隷や家畜のように扱われていること

不断の暴力や生命の危険に晒されていること、

などの知識まではなかった。

 

それは本当に衝撃的であった。

 

パレスチナ人やバングラデシュ仏教徒への迫害の現実を

目の当たりにした時もショックだったが、

今回は、それ以上のショックがあった。

 

不可触民の被害は、まず絶対に報道されない。

パレスチナ人やバングラデシュ仏教徒への迫害もそうだが

 

もし、ニュースになったとしたら、

それは1%に満たない確率である。

 

 

 

 

 

 

「不可触民」

 

不可触民が受けて来た被害の実体については

山際素男さんという著者が、何冊か書いているので、

ぜひ読んで欲しいと思う。

 

 

 

 

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