実は、死ぬ気で臨んだ国際サンガフォーラム atインド・ ブッダガヤ

<写真は開会式のスピーチをしに来る、ダライ・ラマ法王を迎えている所>

(法王は今、入り口の所です、という感じで映像を映している)

 

 

それにしても、何回スピーチの練習をしたことだろうか?

 

「ダライ・ラマ法王のお声がけで世界から集まる

2000人の僧侶を相手にスピーチして欲しい」

 

生まれて初めてそんなことを言われ、

緊張しない人はいないのではないだろうか。

 

しかも、自分が登壇する第6セッションの司会まで

担当することになったのだ。うぅ……

 

それで、「まあユーモアで乗り切るしかないですね」

なんてことを、12月の住職インタビューで言っていた。

 

…….とは言ってみたものの、実際には、ユーモアどころか、

「こりゃまあ、死ぬ気でやるしかないな…..」ぐらいの気持ちになった。

 

「いざとなったら死ぬ気でやる」というのは、割と僕の得意分野である。

 

”イスラエル軍が化学兵器で待ち構えている”と言われた

パレスチナ人たちのデモにも出かけて行った(ただし平気ではない)。

 

ガザ空爆中に閉鎖された空港も、奇跡的な突破劇を演じた。

 

今回、世界の名だたるチベット仏教のリンポチェ(高僧)の他、

学問的には、博士号をお持ちのパーリ語圏/サンスクリット語圏の

権威者の僧侶の先生方が登壇する。

 

そんな中で、「希望の火」の看板を背負って僕は登壇するのだ。

 

いざコケたら大変である。

 

僕個人がポシャるのは良い。いくらバカにされても良い。

 

しかし、もし、僕のスピーチがポシャって、

世界の仏教界の中で、

「希望の火」の評判を落としてしまうことになったら……。

 

何てことを思ったら、まさにハラキリの覚悟だったのである。

 

スピーチ原稿は、改訂に改訂を重ねた。

 

なるべく一日一度は英語ネイティヴの人に聞いてもらい、

発音をチェックしてもらった。

 

そして、内容の改訂を続けている内、

僕の中で様々な心理的変化があった。

 

何と言ったらいいのか、

まだ会ったこともない、登壇してスピーチされる僧侶方のことが、

自分の無意識内で何となくわかって来たのである。

 

そして最終的に、どこの誰が何を言って来ようとも、

絶対に否定できないものをぶつけることにした。

 

それは何か?

 

僕が阿弥陀さまから頂いた、大愛の融合体験である。

 

こればかりは、たとえ世界中の人間がよってたかって

否定しようと、僕にとってはそんなのは屁でもない。

 

そして僕が人生で大事にしていること、

人生に苦しむ人々への想い、

世界への願い……..

 

それらは、

何びとからよってたかって文句を言われようが、

へいちゃらである。

 

ところで、太宰治の小説の中に、

「私はあれにもこれにも苦しんだことがあります」

という言葉がある。

 

それは、ともそれば立派な社会人の前で怯みそうになる自分に、

自信を持たせる主人公の独り言である。

 

実は僕はそんな気分でもあったのだ。

 

だから僕は、スピーチの冒頭で、

人生に苦しみ、学校をドロップアウトし、

ドラッグを含め、心身ともに自分をボロボロに傷つけたこと。

 

そんな中で修行を始め、阿弥陀如来の大愛の融合をうけ、

全存在が変容したこと。

 

人々の利他心に触れることが人生最大の喜びであり、

そんな人と共に世界を変えるために生きていることなど……。

 

そんな自分の想いや過去や体験など、

何も隠さず、そのまま赤裸々に語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、人々に如来の大愛体験を分かち合いたくて、

「気のメソッド」を開発したことを話し、

その実際をデモンストレーションしたのである。

 

また、後半では、希望の火の癒しパワーを紹介し、

最後に、「一番大切なこと」として、

『世界の僧侶よ。中国共産党からチベット仏教を守るため、

共に立ちあがろう!!!』と結んだ。

 

さて、果たして世界の僧侶たちの反応はどうだったのか?

 

それは……..(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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