行方不明だった母親に会った時の僕の第一声は!?

<こんな風に、頭が真っ白になりながら動いていた>

 

話は前後するが、

台湾からの帰国便は東京だったので、

1週間ほど諸々動いてから、

やっと京都に戻って来た。

 

その時は、まさか2週間後から、

頭が真っ白になるほどの日々が始まるとは思っていなかった。

(やっと休めるかも……なんてちょっとは思っていたのだ)

 

まず、東京にタオ指圧のクラスを教えに行った。

 

クラスは朝から夕方まで一日中ある。(2日間)

 

東京にいるので、その後は、アプリ制作を進めてくれている

ネパール人学生のラビン君とミーティングしたりした。

 

台湾協会の簡さんに会うため(風邪のためドタキャンだったが)、

待ちながらあみさんやリみさんとミーティングしたり、

ひろあさんの家に治療に行ったりした。

 

翌日は、横浜で元神風パイロットの台湾人の呉さんに会い、

また台湾関係の橋本さんに会いに大和市まで行き、

横浜に戻って、僕が考案したゲームのロボット化を進めてくれている

我らが愛する天才ゆうじさんに会いに行った。

 

 

 

 

 

 

さて、ここからさらに目まぐるしくなるのだが、

この日の夜遅く、京都に戻って来て2泊3日したら、

今度は九州に2泊3日。

 

そして、お葬儀のために、また東京に向かった。

ブログ「新たな菩薩の誕生物語をご参照ください)

 

ちょっとは休みたかったのだが、すぐに京都で

本門佛立宗の方と、台湾のことでミーティングがあった。

 

このため、2泊3日したら、京都に戻った。

 

(たとえ、30分のミーティングでも、

キャンセルするのは失礼だし、

戻らないわけには行かないのよね〜)

 

京都滞在は、やっぱり2泊3日で、また東京に向かったのは、

田中ヒロコさんという方が主催した

イベントに行く必要があったからだ。

 

せっかく東京に来たので、

翌日はダライ・ラマ事務所にミーティングに行った。

 

そして、お葬儀の時に諸々、大変、お世話になった秀海さんと

そのご友人の堀淵伸治さんと長時間にわたって会った。

 

翌日には、昔からの友人で作曲家の大森くんとアコさんたちに、

音楽などのことで会った……..(ずいぶん前からの予定だった)

 

そして、またまた2泊3日で、広島に向かった。

 

これは2025年に予定している世界イベントのことで、

広島県議の副議長、緒方直之さんに会うためだった。

 

東京からは電通の聡さん、また、あみさん、

それから広島のメンバーで被爆二世の伊藤憲正さんも一緒だった。

 

驚いたことに広島県議長は、伊藤さんの古い知り合いだった。

 

繋いでくれた、東條英機元首相のひ孫の英利さんも一緒だった。

 

(企画内容には大変、驚かれたようで、とても有意義な出会いだったと思う。)

 

実は、広島近辺でもっと動きたかったのだが、

東京のタオ指圧クラスがあったため、

やっぱり2泊3日で東京に戻り、

一日中、2日間、教えた。

 

さすがにこの当たりからは、ボロボロで、

頭はかなり白くなっていた。

 

何をやっていたか記憶があまりないが、

この間に、弁栄上人の現代語訳は完成させていたと思う。

 

法話もほぼ毎日、アップしていたのではなかったかな。

(う〜ん、わからん……)

 

その他、何やってたっけ?

 

……あ、そうだ!

 

行方不明だった母親に会いに行ったのである。

 

この時、母親の介護をしてくれていた優枝さんや、

弁護士さんも一緒だった。

 

母親に会った時の僕の第一声は、

「春枝さん(僕は母親をこう呼んでいる)、探したぜー!」

であった。 

 

まるでドラマである。

 

この一連の出来事が、

わずか3週間で起こったなんて、

自分でも信じられん……

 

追記:

これを書いたのは、もし僕が不義理をしている人がいたら

「こんな状況なんで、ごめんなさい」と伝えたかったから……

 

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