チャーチル家と繋がるまで 〜希望の火とグラストンベリー〜

<画像は、チャーチルのひ孫娘、ルーシーが送ってくれたもの。

”私の今日のカレンダー画像をシェアするわね。

HOPE80にとても関係がありそうだから”

と書いてあった。何かピュアな人である>

 

 

さて、僕らのバンド「アミナダブ」は、

昨年からイギリスのグラストンベリー音楽フェスに

出演するようになった。

 

この世界最大級のフェスティバルの創設に、

チャーチルの娘(故人)が関わっていたと聞いていたので、

「じゃあチャーチル家とも簡単に繋がるだろう」と思っていた。

 

…僕は、いつも物事を簡単に考える。

いや、正確に言えば、すぐに心の中に

「そうなったときの光景」が浮かんでしまうのだ。

 

ところが、現実を見渡すと、

まだ何も始まっていない(当たり前だ)。

 

それで、「あれ、どうしてまだそうなってないんだろう?」

と本気で思う。

 

そこからは、ひたすら身体が動いてしまう。

心の中のビジョンは消えることがないので、

気づけばそれが実現するまで動き続けてしまう

──そんな人生を生きている。

 

それはともかく、チャーチル家と繋がるのも

すんなりとはいかなかった(当たり前だ)。

 

グラストンベリー方面からのルートは諦めた。

 

でも、思わぬところから突破口が開けた。

 

以前のブログで紹介した、

チャーチルのひ孫・ダンカンが、

現在アメリカ在住ということで、
イギリスにいるお姉さん

──ルーシー・サンズさんを紹介してくれたのだ。

 

(きっと、我らが司令塔・アリスが

ここでも、超人的な動きをしたのだろう)

 

(ちょっと考えたらご理解いただけると思うが、

歴史的な6人の子孫たちを集めて世界イベントするなんて、

棚ぼた的に偶然起こるなんて決してあり得ないこと

簡単ではない

 

結局は、筆舌に尽くし難いほどの陰の努力と

向こう見ずさの上で成り立っているのだ)

 

それはともかく、ルーシーさんとZoomで初めて話したとき、

彼女は目を輝かせながら言ってくれた。

 

「こんな素晴らしい企画なら、ぜひ参加したい。

日本にも行きたいわ!」

 

彼女は南米でストリートチルドレンの支援をしたり、

イギリスでは英語が話せない移民に教えたりしている先生。

 

その姿勢に触れて、「まさに、この役にぴったりな人だ」と感じた。
というわけで、弟のダンカンはビデオ出演だけで、

実際の巡礼では、ルーシーがチャーチル家を代表することになった。

 

さらに話を聞くと、彼女のご主人のお父さんは、

第二次世界大戦中、日本軍の捕虜になり、
あのクワイ河鉄橋の建設に使役され、

命を落としたという。

 

僕もその場所を訪れたことがある。

 

今では観光地になっているが、
洞窟の中には、日本兵が捕虜を虐待している

蝋人形が展示されていて、日本人としては居心地が悪い。

 

僕が行ったときは、

後から来た西洋人の団体にちょっと焦ったが、

彼らがドイツ語を話していたので、

「あ、ドイツ人か」なんて思ってホッとしたことを憶えている。

 

でもよく考えると、ドイツ語=ドイツ人とは限らない。

スイスやオーストリアの人も話す。

 

まぁ、オーストリア人だったら

「うちらもナチだったしな〜」と思ってるだろうけど。

 

戦犯に問われた日本人の中には、

「捕虜にゴボウを出した」ことが虐待とされた例もあった。

 

「木の根っこを食わせた!」という理由だ。

極東軍事裁判は本当に滅茶苦茶だった。

 

その一方で、戦後10年間もシベリアで日本人・

ドイツ人を強制労働させたソ連には何のお咎めもなかった。

 

インドのパール判事や、東條英機元首相も言っていたが、

「裁判と呼ぶからには、すべての国に公平でなければならない」と。
(パール判事は、「原爆投下こそが最大の戦争犯罪だ」とも言っていた)

 

戦犯に問われた元日本兵の台湾人や朝鮮人も多い。

 

なぜなら、当時の日本軍は上官による鉄拳制裁が当然のように行われていた。

 

だから、サボタージュをする捕虜に対して、

部下と同じように鉄拳制裁を行っていた。

 

それが捕虜虐待と認定されたのだ。

 

日本兵やドイツ兵捕虜への虐待や殺人は、

米軍によっても行われていた。

(しかし戦勝国側による犯罪は、戦犯とはならない)

 

ところで日露戦争や第一次世界大戦では、

日本軍は捕虜をとても厚遇した。

 

捕虜には、温泉に入ったり、街を歩きするなど、

自由すらあったのだ。

 

では、なぜ日本軍は第二次大戦で豹変したのか?

これは僕が今でも知りたい問いのひとつだ。

 

──さて、話を戻そう。

チャーチルのひ孫・ルーシーさんは、なんと娘さんが

グラストンベリーフェスに出演したこともあるという。

 

フェスの話にも大乗り気で、

「チケット本当に取れるんですか?」と

何度も念押しのメールが届くくらいだ(笑)。

 

世界一チケットを取るのが難しいとも言われる

グラストンベリーフェス。

 

今や、そんなグラストンベリーの象徴に昇格している

『希望の火』。

 

こんな大きなフェスに子孫たちを登壇させてもらえ、

いくつかのステージで演奏もさせてもらい、

その上、フリーチケットや予算も付けてもらえるなんて、

感謝、感謝である。

(ちなみに、今年はあのロッド・スチュアートも出演予定だとか!)

 

こうして、5人の「かつての敵だった国々の子孫たち」を

ご紹介してきた。

 

そして、最後の1人、アウシュビッツ生き残りの孫。

 

──実は灯台下暗しだったのである…。

 

ムッソリーニや、蒋介石末裔探しのことも含めて次回以降に……。

 

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