「今日、ママンが死んだ」(『異邦人』カミュ著より)

「今日、ママンが死んだ。」という有名な一文で始まるのは、

カミュの『異邦人』という小説だ。

 

原題はフランス語で「エトランゼ」。

 

英語なら”ストレンジャー”だから、

”見知らぬ人”というような意味合いである。

 

主人公は、どこへ行っても、

この世界では自分を、

誰にとってもまるで”見知らぬ人”のように疎外感を感じていて、

母親が死んでも何の感情もわかない。

 

「今日、ママンが死んだ。」という言葉以外

出てこないのである。

 

僕も自分が育った家族の中では

”見知らぬ人”のように疎外感を常に感じていたから、

その延長で、世界に対して同じような気持ちを抱いていた、

 

だからその気持ちは、とてもよくわかる。

 

実は、父親が亡くなったときには、

まだ幼稚園だった息子に、

「あんまり悲しそうじゃないね」

と見透かされたほどである。

 

余談だが、僕は、3歳上の姉に常に手酷くいじめられて育ったため、

女性はどちらかと言えば、恐怖の対象であった。

 

同時に僕は、”自分には存在価値がない”ということを、

あたかも自然の摂理のように受け入れていた。

 

それで、ママン(母親)はどうだったかというと、

大人になって分析してわかったことは、

彼女は、超弩級の『鈍感力人間』であった。

 

ところで、僕が小学生の低学年の頃、

「見世物小屋」というものが縁日に出ていた。

 

サーカスのように入場料を取って、

指のない女性が、蛇の顔のような化粧をして、

足で弓を射ったりするのを見せるのである。

 

次の日、母親は涙で目を晴らし、

「あの女性が可哀想で眠れなかった」と言っていた。

 

僕はその女性が、

楽屋で他の「見世物芸人たち」と談笑している姿を見ていたから、

”それなりに幸せなんじゃないの”と思っていた。

 

いじめられっ子で無価値人間には、

誰かと談笑するような、心の余裕はなかったからである。

 

僕のママン(母親)は、

カメのような小動物や、

見世物芸人には深い感情移入をしていたが、

僕が、姉のいじめと、自己の無価値感情のために、

小学生で、すでにやっと生きているような精神状態にあることにも、

まったく気づかないほどの、鈍感力の大家だったのだ。

 

(もし気づいていたとしても、

苦悩するだけで、どうにも対処できなかっただろうから、

僕が全てを引き受けることが、

家族ダイナミクスにとって一番良かったのだと、

今では思うが)

 

ところで、『異邦人』の主人公と同じく、

僕のママン(母親)も死んだ。

 

つい、数日前のことだ。

 

僕は知らせてもらえず、

伝聞であり、しかもすでに2日ほど経っていた。

 

だから、「今日、ママンが死んだ。」 ではない。

 

「数日前、ママンが死んだと人から聞いた。」である。

 

カミュの小説以上の話だ。

 

これで衝撃を受けない方がおかしいだろう。

 

僕もあまりの無力感に、引き込もりになりそうになる。

 

何せ僕は、

姉に携帯を取り上げられた母親のために、

新しい携帯を買って契約したばかりだった。

 

僕は母親の死を知らされないまま、

母親の誕生日(4月8日)に、

その携帯を、ゆえさんに持って行ってもらおうと、

東京道場に郵送していたのだ。

 

(続く)

 

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