佐々井上人 at 和田寺タオサンガ道場 KYOYTO と霊界話の続き(7)

このブログの読者ならお分かりと思うが、

1月と5月にナグプールで会ったご縁で、

インドの佐々井上人が京都の和田寺タオサンガ道場に来られた。

(個人面談の会場)

 

そして、ビデオシリーズ希望の戦士に登場して頂きたい、

と鈴木聡監督も来京して、インタビューも行った。

 

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さて、霊界話の続き……。

 

霊的回向の意義はどこにあるのだろうか?

 

人生をスムーズで、創造的に、歓喜をもって生きるには、

(それが幸福というものだと思うが)

不可欠なものだからである。

 

人間の生活に必要不可欠なものは何だろう?

 

ざっとあげてみると、

太陽の光、栄養摂取、浄化(排泄、掃除、風呂)、

喜びある人間関係 etc というところだろうか? 

 

上記の文字を見て、ほとんどの人は、

目に見える物質的なものを思い浮かべるに違いない。

 

目に見えない非物質的な、

太陽の光、栄養摂取、浄化(排泄、掃除、風呂)、喜びある関係 

を思い浮かべた人は極めて少ないだろう。

 

例えば、太陽の光がビタミンDの生成に必要なように、

霊界の太陽の光を浴びることは、

霊的な栄養として、智慧の発達に必要である。

 

氣ですぐに体験して頂けるが、

心が宇宙大霊に向かわないと、氣が砂漠のようになる。

 

心の栄養、霊の栄養がなければ、心も霊性も枯渇するのである。

 

また、住む場所(家)や、身体に関わって来る、

救いを求める霊的存在たちがいる。

 

救われない諸霊や魔などだ。

 

彼らは、われわれ人間の祈りを通して、

天に上がって頂かなくてはならない。

 

また、カルマや魔は排出して浄化されなければならない。

 

人は、掃除やトイレ、風呂には入っても、

目に見えない霊的な掃除や排泄をしない。

 

しかし本当は、人として生きるには、それだけでは片手落ちである。

 

なぜなら、ゴミ屋敷や汚れた身体で、

しかも排泄しなければ病気になるように、

霊的浄化を行わないのでは、病気になってもおかしくないのだ。

 

救われない霊や魔を心身に抱えながら幸福に生きることは難しい。

 

なぜなら彼らの気持ちが無意識の中に浸透して来るからだ。

そんな悲しみや怒りなどを無意識に浸透させて、

”ポジティブな未来を創れ”、と言ったところで無理な話である。

 

その他、目に見える人間関係とは別に、

目に見えない人間(?)関係というものが存在する。

 

それは、先祖だったり、守護の神々だったりする。

(もちろん直接的に、宇宙大霊との関係もある)

 

一般に、人の幸福度は、人間関係が大きく左右する。

 

実は幸福度も、そして人間関係も、守護の神々との関係が大きく左右する。

 

もしあなたが、常に天上界の神々の向上を祈るような心境にあるならば、

人間関係はいずれ良いものになっていくことだろう。

 

天上界の神々があなたの祈りに感応して歓喜されたら、

あなたの心が歓喜することは間違いない。

 

 

 

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