霊的存在と生きる(17)物理的にあり得ない身体ポーズで、地獄の衆生を救う

霊的な法界回向の世界を学行している内に、

僕は法華経で説かれている霊的側面が、

現実として実践されていることに驚いた。

 

いやむしろ、先にも述べたが、

(これはもちろん僕の解釈だが)

”無数の衆生が度脱される”とか

法界回向で実践されていることが、

法華経に記述されていることに驚いた、

 

その他、妙聖師は、自分が見ている霊的見地から、

道場の人たちの過去生を伝えたりした。

 

また先祖の因縁や、

”その人の何と言う守護神が、

今日の回向に来ていた”、なども話した。

 

さらに、ここが法華経と符合する点なのだが、

妙聖師も時おり、“今回の法界回向の功徳で、

あなたの霊位はどこまで上がりました”

「授記」(仏になる予言)していたのだ。

(膨大な種類の霊位が発表されていた)

 

ご存知の方も多いと思うが、

お釈迦様は、法華経の「授記品」という章で

弟子たちそれぞれに、”あなたは将来、

何々という名前の仏になります”

予言(授記)している”。

 

 もっとも妙聖師に、

”あなたは”菩薩位の◯段になりましたよ”

と言われても、聞いた方としてはどうだろうか?

 

”よほどの悟りの体感に目覚めていない限り

ハッキリとした実感はなかったのではないか”

 

僕などは、ついそんな風に思ってしまう。

 

まあそれは、お釈迦様の弟子たちにしたって、

そうだったかも知れないが……。

(法華経が、非仏説かどうかはさておき)

*注:明治以降、「大乗経典は非仏説」

(お釈迦様が直接説いたものではない)

というのが、定説である。

 

それはともかく、『授記』に関する僕の解釈は、

「妙聖師は、修行者の潜在的な可能性が

どこまで開けたのかを伝えていた」

というところで落ち着いた。

 

ところで当時、その法門の熱心な修行者に、

滋賀県の教育委員長がいた。

 

僕は、その人から直接、聞いたのだが、

「ある日、妙聖師は、法界回向の際、

地獄の衆生を救っていたようだった」と。

 

そして、「手を地面に付けたまま、

身体が真っ直ぐ、45度浮いたまま、

しばらく静止状態になった」そうだ、

 

物理的にはあり得ない、

不可能なポーズである。

 

その方は、”その時は、あまりの驚きで、

思わず木魚のバイを落として、

ポカーンと見入ってしまった”と言われていた。

 

宇宙法界には、解釈のしようがないことは、

山ほどあるに違いない。

 

 

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