胸の痛みに耐えながらも……

胸に3本の矢が刺さったような痛みに

耐えて生きている

 

僕のことを精神的に強い

と思っている人がいる。

 

しかし実は最近、

心身はボロボロである。

 

何せ、人々のエゴのパンチで、

サンドバッグのように打たれ続けているのだ。

 

いっそ全て放り出そうか、と考えたりもする。

 

しかし、世界を変えるために、

戦場で戦っている戦友たちがいる。

 

彼らを置いて、自分一人が、

敵前逃亡するわけにはいかない。

 

だけど、まるで胸に3本の矢が刺さったような痛みに耐えて

かろうじて生きている僕がいる。

 

もしかしたらこれは、

この世に生きる苦しみの中にいる人々の痛みなのかも知れない。

 

彼らからの通信なのかも知れない。

 

心の痛みに耐えながら、生きている僕だったが、

なぜか、宇宙大霊の悟りの体感だけは失われない。

 

理由はわからない。

 

そう言えば、法華経の言葉に以下のようなものがあった。

 

「衆生劫火に焼かれようとも、わが国土は安穏にして、天人常に充満す」

(記憶で書いているので、多少は違っているかも知れない)

 

およその意味(超訳)は、

”たとえ人が業の火に焼かれて苦しんでいたとしても、

自分の心の浄土は、天使が舞っているように平和だ”と言うものだ。

 

この言葉を思い出したのは、

 

まるで自分の心を表しているかのようだからだ。

 

一方ではすごく苦しみに耐えている状態であるにもかかわらず、

もう一方の体感(無意識)は、天人が舞うほど平和なのだ。

 

だから、毎日の法話配信は、止めるわけにはいかない。

 

これは、僕からの

「この世に生きる悲しみから、悟りを求める人」

への通信なのだ。

 

いつか交信し、つながり合うことを願い続けて、

僕は今日も法話を配信している……

 

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