長くブログをサボってしまったのには訳がある

あまりにも多忙だったり、本の原稿や作曲など、

何かに取り憑かれているともうブログは書けない。

 

一昨日と昨日は、朝からスタジオに入ってCD音源のミックスダウン。

延々と細かい神経を使う作業が続いた。

 

夜になって、シカゴに電話。

トルーマン大統領の孫のクリフトンに電話。

 

まず一発、ジョークをかまし、

「ギャハハ」と笑って電話を切ろうとして、

ハタと思い出した。

 

そうだ! 肝心の電話した目的があったんだ。

……と、来年の企画について話す。

 

オーストリアのアリスから電話がかかって来て、

これからの未来のビジョンについて話す。

 

「それって、エキサイティングね!」と歓喜のアリス。

 

その後、ブータン初のロックフェスティバルを企画する主催者と

メッセージをやり取りした。

 

イスラエルのアビとは、動画のクオリティを上げるAIのことで相談。

 

その後、日本のタオ指圧パンフレットの編集に取りかかる。

 

やっと連絡が取れた、

インドで希望の火アプリを作ってくれているシッタルダと電話で話す。

(来月、インドで会うのだ)

 

明日は、ネパール大使館にビザ取得のため、

書類を郵送するのを忘れないようにしないと。

 

そうだ! ベツレヘム(パレスチナ)のエリアスに電話しなくては…..

 

….とまあ、こんな作業が続く。

 

ところが、だ。

 

何か取り憑かれているときは、上記のようなことは、

ほぼ一切やらない、というかできない。(音楽のことい以外)

 

プロジェクトのことで動きながら、

原稿に取り憑かれているときはどうなるか?

 

結構大変で、以下のようになる。

(フェイスブックの投稿から)

<Enlish follows>

 

これを「才能」と呼んでいいのかどうか、

正直わからない。

けれど僕は、時々――取り憑かれる。

取り憑かれると、

頭の80%以上は、そのことで埋め尽くされてしまう。

今は、本の発行作業に取り憑かれている。

<一番右が、パレスチナの友人アムワー。
涙が出るほど良い人>

 

パレスチナへはプロジェクトのために行ったのだが、

ミッションで動いている時を除けば、

ずっとリライトや推敲、編集をしていた。

 

ベツレヘムに滞在していたある日、

夕方まで空いた時間が一日だけあった。

 

朝四時に起きて、気づけば午後一時。

 

その間、ずっと作業をしていた。

しかも、自分がどこにいるのか忘れていて、

ふと窓の外を見て――

ああ、ここはベツレヘムだった、と思い出した。

短いランチをとった後、

また夕方まで作業を続行した。

 

夜遅くに帰って来て、また作業。

 

我ながら、少し度を超えていると思う。

 

砂漠のような大地を走る乗り合いバスの中でも、

イラスト担当のとうみさんに何度も電話をかけて、

共同作業の相談をしていた。

<ナブルスの知事と>

 

エルサレムへ向かう途中、

検問所で銃を構えたイスラエル兵に

「降りろ」と命じられた時も――

僕はバスの中でパソコンを開いて作業をしていた。

 

延々と続くその日々。

 

ミッション以外の時間は、すべて作業。

 

エルサレムにいるマガリから電話が来ても、

おざなりに話してすぐ切ってしまう始末だった。

 

帰りの空港でも作業し、

飛行機の中でも作業し、

到着して荷物を待つ間も作業し――

 

そして、帰って来た今も、

ただ延々と、

作業を続けている。

_________________________

取り憑かれた日々は、

一昨日、ようやく終わりを告げた。

 

今は少々、腑抜け状態である。

(腑抜けのまま、動いている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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