――2023年のある日、ふと思った。
「戦後80年目には、何をやるかなあ……」と。
かつて、戦後70年目となった2015年、
僕は広島原爆の残り火を携え、アースキャラバンの仲間たちと、世界を巡る巡礼の旅に出た。
広島から東京までは、2週間にわたる自転車の旅。
平和を祈るイベントやライブ演奏を各地で行いながら、ひたすら前へと進んだ。
その後5年間、毎年、僕らは巡礼を続けた。
それは、“パレスチナのガンジー”と呼ばれるサミーとの約束を果たすためだった、
出発は長崎。自転車で東京へ向かい、その後はヨーロッパ各地や北米の先住民居留区――
そして、ゴールはいつも――エルサレム、ベツレヘム。
<ベツレヘム音楽フェスティバル>
5年の歳月で、74の都市、18か国で行ったチャリティイベント。
(何度も訪れた街もあったから、実際にはもっと全然多い)
イベントの収益はすべて、バングラデシュやパレスチナなど、
困難な場所に生きる人々の支援に充てられた。
つまり、それは“完全な持ち出し”で続けられた活動だった。
美しい皆の献身の賜物だった。
ある日、僕は一つの記事を目にした。
トルーマン大統領の孫と、東條英機元首相のひ孫(英利氏)が交流するという内容。
(実現はしなかったようだが)
さらに、松田学氏による、東條英機元首相のひ孫(英利氏)のインタビュー映像を観る。
その中で、第二次世界大戦中の政治リーダーの末裔たちが、
オーストラリアのテレビ番組で集ったという話を耳にした。
僕は考えた。
――ならば、テレビの1時間でなく、リアルな旅を皆ですれば良いじゃないか。
それは、実際に5年間にわたって世界巡礼をやってきたからこそ出た発想だった。
そんなHOPE80のアイデアを、僕が最初に話したのは、オーストリアのアリスである。
彼女はいつも僕の奇想天外なアイデアに、すぐ乗ってくれる。
そして、いざやるとなったら、決して敵前逃亡せず、
命懸けて実現してくれる凄い人である。
「原爆の残り火をバチカンに運び、
パレスチナ人少女ジャナが手渡す火をローマ教皇に吹き消してもらう」
というプロジェクト。
これも、僕の思いつきで始まり、
最終的にはアリスの文字通り「命懸け」の働きで実現したのだった。
さて、HOPE80の第一歩。
僕とアリスは、まず2019年、ローマ教皇に謁見する際にやりとりをしていた
トルーマン大統領の孫・クリフトンに、久しぶりに連絡を取った。
かつて彼は、バチカン宛の推薦状を快く書いてくれた恩人でもある。
(さすがは新聞記者。心を打つ文章だった)
Zoomを通じて、2人で持ちかけた。
「第二次世界大戦の政治リーダーの末裔たちと、世界を巡る巡礼をしよう」と。
クリフトンの反応は、半信半疑だった。
「そんなこと、本当に実現するのかい?」
僕らは笑ってこう返した。
「まあ、見ててくれよ」
――人生のパターンは、いつも同じだ。
「思いついたら、心の中ですでに実現している。
だから、闇雲にでも動き続けていれば、あとは何とかなる」
いつものことながら、保証など何ひとつない。
今まで、身を捨てて動き続けることで、想いを現実にしてきた。
今回もそうだ――
だけど、やっぱりここからが大変だった。
<続く>
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