この10年間やって来た作業がやっと終了した。
(….と思う)
最後の方は、連日に亘って数時間、作業していた。
「それって何の話?」と聞かれても、
ちょっと答えにくい。
何せ、世の中の人のほとんどが
価値を感じないようなことだから。
聞いて、すぐにピンと来る人は、
さすがに少ないだろう。
……と、ここまで書いて来て、
黙っているのもナンなので書くけど、
要は、「人が、”悟りの体感”を体験できるメソッド」だ。
(ついでに言うと、宗教に関係なく、修行も抜きで)
もっとも、残念ながら人類の約2%は、
その回路がないのでムリだけど。
それでも、ほぼ皆が体感できるのだから、
福音(朗報)とは言えると思う。
もっとも、一気にここまで至ったわけではない。
(何せ10年かかったのだ)
この作業に取りかかる10年前より、
はるか以前に僕は、
人が気を体感するメソッドを発見していた。
そしてそれを、世界各地でシェアして来たのだ。
さらにそこから進んで、「誰か相手がいる場合は」、
”悟りの体感を体験できるメソッド”にまで発展した。
ただし、これには制約があった。
自分一人では体感できず、
体感させてくれる相手を必要とした。
次は、「何とか 自分1人でも体感できるようになるメソッドができないか」
と思い、この10年間、散々模索して来たのだ。
そして10年目にして、
まるでヒョウカンから出たコマのように、
出来上がった。
実は悟りの体感については、
次に出る「希望の火」の本で詳細に述べた。
本当に詳しく書いた。
(…..なので出たら読んでね。
登録すると無料で読めるので)
僕のポリシーに、
「他の人と分かち合えないものは語らない」というのがある。
だから何としてでも、
「誰でも体感できる」道筋を作りたかった。
ところで本で詳細に述べた、悟り体感の内容は、
僕がはるか以前に体験した圧倒的な体感をもとに書いた。
そのころ、日常的味わっていた体感は、
僕の中で根っこはしっかり残っているにせよ、
正直言うと、表面的な部分でかなり薄れたところもあった。
だから、「今のお前のはどうなんだよ?」と問い詰められたら、
僕としては、「汚れちまった悲しみに、今日も小雪がふりかかる…..」
なんて、中原中也みたいに、ブツブツ一人言をいわなくてはならなかったのだ。
だから、このメソッドが確立して、一番、助かったのは僕だった。
何せ、日常でいつでも悟りの体感の
『気持ち良さ』を味わうことができるように、
再びなったのだ。
それに、「もしかしたらこれで、
人類に霊的ルネッサンスをもたらすことができるかも知れないな。」
と妄想したりもする。
何せ、どの宗教の人だろうと(ここがミソである)、
普遍的に悟りの体験を得ることができるのだ。
そうしたら、人類はやっと
宗教から「卒業」できるのかも知れないな。
まあ、世の中のほとんどの人は、物質を追い求めていて、
それこそ、本気でやる人は少ないだろう。
それでも、日常いつでも悟りの体感の気持ち良さを
味わうことができるようになることに価値を見出す、
1%の人はいるだろう。
僕はそんな人(自分を含めて)のために、
この10年間、作業して来たのだ。
そう言えば、、、と思い出した。
自分が考案したゲームのファイナル版(ニンジャホープよりも壮大な)
のルール完成にも、10年かかったのだ。
このゲームも、
いつの日か価値を見出す人たちが
もっとたくさんあらわれて、
日の目を見ると良いな。
自分が考案したゲームを人が楽しんでいるのを見ると、
僕は幸せな気持ちになるから……。
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