霊的存在と生きる(10)分かりやすい具体的なメリットは?

10)

霊的回向のメリットについて、

少し具体的に分かり易いものを述べてみよう。

 

自分の「氣のからだ」にもたれかかっていた

(肉体に入り込んでいる場合もあるが)

救われない諸霊が、

諸仏菩薩によって救済される(その情景は美しいものだ)と、

身体が軽くなり心は平和なる。

 

救われない諸霊には、

必ずと言っていいほど邪霊(悪霊)が

随伴しているので、なおさらである。

 

ところでこの邪霊だが、

誤解のないように述べておくと、

人間が堕ちて成った存在ではない。

 

カルマが人から独立して

独自に動き回って活動するようになってしまったものだ。

 

邪霊(悪霊)が単独でやって来て、

「氣のからだ」に入り込もうとしてくる場合もある。

 

そんな邪霊(=魔)は、

こちらの氣(生命エネルギー)を吸い取って来るので、

少々、タチが悪い。

(カルトに入り込んでいる魔は、そんな感じ)

 

いずれにしても、

邪霊(悪霊=魔)は、救う対象ではない。

 

(ただし、かつて僕が霊的回向の法を学んでいた体系を作った師匠は、

”悪霊の中でも、わずかに救われるものもある”と言っていたそうだ。

 

僕には、そこの所はよく分からないが、

一応、情報として述べておく。

 

誰か分かったら教えて欲しい)

 

魔そのものが強烈に氣(生命エネルギー)を吸ってくる場合と、

魔が人をコントロールして、

こちらの氣を吸わせてくる場合とがある。

 

前者の場合は、魔の浄化を回向するだけで良い。

 

しかし後者の場合、コントロールされている人は、

目覚めて変わらないと、やがては病気になってしまう、

というのが、1つのおきまりのパターンである。

 

(なので心から、その人が1日も早く変わってくれることを、

切実に願わざるを得ない)

 

まあここで、話を戻すと、

最も分かりやすい霊的回向の具体的なメリット(功徳)は何か?

 

それは、よく眠れるようになることである。

 

そりゃまあ、そうだ。

 

気のからだに、諸霊や邪霊が入り込んでいる中で、

良い睡眠が取れることはまずない。

 

自分の経験から言うと、

霊的回向の修行を始めた19歳の頃のこと。

 

3か月して突然、気づいたのは、

”自分が生まれてこの方、

安らかに眠ったことが一度もなかった”ことだ。

 

つまり、その時、僕は生まれて初めて、

”ぐっすりと気持ちよく眠った”という体験をしたのである。

 

長い間、(それこそ子どもの頃から)

気のからだに入り込んでいた諸霊が天上界に救われ、

また邪霊が殲滅浄化されたからだと思う。

 

また、やはり同じ頃だが、

深夜、比叡山で道に迷い、魔たちに(恐らく)、

何度も何度も崖まで導かれて、

危うく転落しそうになったことがある。

(諸霊も多かった)

 

結局、その翌日の昼に比叡山の山頂に着いた。

 

そして、その後、山を降りて、京都市内の寺で、霊的回向の行に参加し、

すっかり心身が楽になった。

 

(そこの寺は、表向きは伝統仏教だったが、

裏では、僕が学んでいた霊的回向の法を行じていた。

 

その頃はいくつの寺が、霊的回向に参加していたのだ)

 

驚いたのは、そのままお寺に泊めてもらったら、

何と、11時間もぐっすりと眠ってしまったことである。

 

そんなことは初めてだった。

関連記事一覧

PAGE TOP