霊的存在と生きる(16)僕の人生に最も影響を与えた人物像は?

会ったこともないのだが、

僕の人生に最も影響を与えた人が

妙聖師であることは、すでに述べた。

 

妙聖師に教えを元に霊的修行を行うことで

人生が変わったから、ということはもちろんだが、

実はもう一つの側面がある。

 

それは、様々な人から散々聞いた、

妙聖師の人間像が、何とも傑作だったのだ。

 

少し、それらを並べてみよう。

 

「大先生(妙聖師は、そう呼ばれていた)は、

ゲームが大好きでねぇ。

 

双六や花札、それから将棋でも、

もう、チラと見せただけで

顔色が変わるぐらい好きなのよ。

 

見せたらすぐに、”遊ぼう!”となって、

皆んなとワイワイやってたわね。

 

それでいて、弱いんだけどね〜。

 

あんたの作ったゲーム(チャトランガのこと)

なんか見せたら、さぞ喜んだでしょうねぇ…….」

 

「プロレスの大ファンでね。うなりながら見てたよ。

 

あの頃は毎晩、法界回向(1時間45分のお勤め)があって、

みんなで集まってんだけどさ。

 

金曜日だけ休みだったんだよ。

 

なぜだと思う? 

 

その日は、プロレスの中継があったんだよ。

 

大先生に会いたいもんだから、一緒にプロレス観たりしてたけど、

プロレスよりも、プロレス観ている大先生を観てる方が

楽しかったな。

 

何せ一人で手足動かして、

真似しながら観てるんだから」

 

「元々、堅苦しいことが大キライでねぇ。

 

修行とかするの嫌だったのよね。

 

だけど、お兄さんの命令で、

光明会の別時念仏に参加させらてたのよ。

 

あの頃は、長男は絶対的だったからね。

 

でも大先生は、いつも別時で眠っては、

ひっくり返っていたのよね〜。

 

*注:光明会の別時念仏の修行は厳しい。

早朝から1日10〜12時間は行う。

 

また、お兄さんは、謹厳実直そのもので、

弁栄上人の主治医を勤めたお医者さんだった。

 

そして、自ら修行道場を建てるほど

熱心な修行者だった。

 

「かつては海外も放浪していて、

朝鮮だったか大陸だったか、

どこかで金山を当てて、

エライ羽振りで帰って来たこともあったそうよ。

 

だけど、それを散財しって、

すっ転々になっちゃた、って」

 

「あの頃、僕ら学生だったけど、

そっと僕らには、教えてくれたんだよね。

 

”いやぁ〜、カスピ海の近くの女性が一番だよ”とかさ。

 

放蕩生活の話がまた面白くてね。

 

大先生の元で修行するのは、

ホントに楽かったなぁ」

 

「どんな人が訪ねて来ても、

嬉しそうににっこり笑ってね。

 

その人を、ふぁ〜と温かく包んでいたよね。

 

まるで春の日差しに包まれたみたいになって、

一緒にいると安心したよね」

……等々である。

 

僕が道場に出会ったのは、

妙聖師が遷化されてから

10年後ぐらいではないかと思うが、

僕は、色んな人から、

以上のような話を尽きることなく聞いた。

 

金山で当ててから散財してからは、

気の治療師をしていたそうだ。

 

それは、「生気療法」と呼ぶもので、

気を入れると、患者さんが霊動のように

勝手に動き回って病気が治る、という療法だそうだ。

 

それは、法門を立てる前のことだったが、

道場の人も時おり生気療法を受け、

道場中を激しく動き回ったりしていたそうだ。

 

「修行なんか嫌いで、

眠ってひっくっていた」ような人が、

霊的回向の法門を立てるまでになるのだから、

人生、分からないものである。

 

それにしても、

会ってみたかったなぁ……

 

 

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