アメリカ、日本、ドイツ、インド――主要国の子孫たちが続々と集まってきた。
僕はインド・コルカタで、独立インド軍の伝説的指導者チャンドラ・ボースの甥御さんと、その息子さんたちにもお会いした。
チャンドラ・ボースは、日本軍とともにインパール作戦でイギリス軍と戦い、インド中の人々に独立への火を灯した英雄。
ネタジと呼ばれ、今でもインドでは、国民的な尊敬を集めている。
彼の出身地、ビハール州では誕生日が祝日になるほどだ。
甥の息子のスガタ・ボース氏は、ハーバード大学の教授で、教養と気品を兼ね備えた人物だった。
お互いの話が盛り上がったのは、歴史の “IF” だ。「もし、日本軍とチャンドラ・ボース率いる独立軍が、シンガポール陥落後にそのままインドに上陸していたら、インドの独立はもっと早まっていたのに〜』である。
さて、そんな熱いインド訪問の後に、次に狙いを定めたのは、インドを植民地支配した側――イギリスのチャーチル首相の子孫探しだった。
どうやら何人かいるらしいのだが、なかにはオーストラリアで麻薬所持で逮捕された人もいた。「その人、面白そうじゃないか!連絡取ってみよう!」となり、早速リサーチ開始。
遊び心こそ、こういう時に必要なのだ。
あらゆる方法で連絡先を探し、メールを送り、手紙も郵送した。電話を何度もかけた。しかし、応答はない。
(もしかすると、チャーチル家として表に出ないよう、意図的に外部と連絡を断っているのかもしれない)
そうこうしている内に、トルーマン大統領の孫・クリフトンが、チャーチルのひ孫、ダンカンと知り合いだよ〜、ということで繋いでもらった。
電話で話してみると、ユーモアがあって、人柄もいい。まずはビデオ出演に参加してもらい、そこから一気に次の物語が動き出した。
しかし、彼自身は全行程の参加は難しいということで、代わりにお姉さんを紹介してくれた――それが、また意外な次回の展開を生むことになったのだ。
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