この夜、無数の聖なる存在によって、人々の痛みは癒されていった

夕方には、別のお寺で、法話&ワークショップを行った。

 

住職は、非常にオープンな心の持ち主だった。

 

何せ、お坊さんも自ら参加して、体験されたのだ。

 

 

 

 

 

 

<お互いの痛みを特定の手法で癒し合うワーク>

 

何よりも、住職は、顔がハンサムだ。

 

それで僕は、法話の開口一番、おばちゃんたちに向かって、

「皆さん、こんなにハンサムなお坊さんのお寺に来れて、

幸せですね!」とジョークをぶちかました。

 

果たしてウケたのか、滑ったのか分からない。

(何人かはニヤリとしたような気がするが)

 

ま、とにかく法話&ワークショップはスタートした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ハンサムな住職>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オーム ナモ ブッダ」というインド仏教向けのマントラを

皆で唱和している内に、つくづく感じたことがある。

 

それはインドの土地は、”聖なるものと邪悪なものが混在している”

ということだ。

 

 

全員が何かしらの痛みを抱えている。

 

その多くの原因が、救われない霊や魔などの霊的な問題だ。

 

 

だからお寺に、諸仏菩薩、また諸神の方々をお招きし、

(勧請というけど)諸霊の救済や諸魔の浄化を祈りながら、

皆さんと共に唱和した。

 

すると、やがて信じられないほど多くの諸仏菩薩、

また諸神の方々お出で下さっているのを感じた。

 

その時、現出したのは、まぎれもいない聖なる空間だった。

 

そして救済や浄化などの霊的回向(えこう)が起こり、

それによって、人々の痛みは癒されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住職は最後の挨拶で、

「オーム ナモ ブッダのマントラを繰り返し唱えるのは

素晴らしいことだ」と言われていた。

 

ワークショップなど諸々が終わったあと、

このお寺でも、何人もの人々からお布施を頂いた。

 

けれども帰りがけに、弁栄上人に習って、全て住職に布施した。

(住職には、”お布施して下った人には、内緒にね”、

とそっと耳打ちして)

 

*弁栄上人(1859年〜 1920年)は、明治大正時代に、

超宗教の念仏を広め、各宗の僧侶や牧師、また神主の弟子までいた人。

 

日本中を行脚して、

各地のお寺で法話したり、南無阿弥陀仏と書いた米粒を

配ったりしていた。

 

弁栄上人は、行脚先の寺で頂いたお布施を、

全てその寺に布施していた。

 

大正9年に亡くなった、

会ったこともない師匠だけど、

従わないわけには行かないよね。

 

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