『僕は16歳の頃、
世の中の人間は全員が
死にたい気持ちを我慢して生きている、
と本気で思っていた。
それが違うと知った時は、本当にびっくりした。』
要するに、僕は人と自分の距離感がうまく取れないのである。
だから、まゆさん(奥さん)に言われた。
「あなたは人を自分と同じように観て、
人も自分と同じことができる、
と思い込むけどそうじゃないの。」
そう言われてもなあ……
何せ、根底にあるのは、
”自分なんか大した人間じゃない”という想いである。
(”自分が大した人間だ”と思ったことは、
残念ながら一度もない)
逆に他の人は、自分と違って立派なんだから、
自分と同じかそれ以上のことができるはずだ、
と思っているのである。
ところで、次にまゆさんに言われたのは、
「あなたは人生を二の次にして活動しているけど、
普通、人はまず自分の人生があって、その上でのことなの」
つい最近、”これからは生命捨ててかからなくてはなぁ…..”
などと考えていたから、そう言われてもなあ…….
というのは僕は、
明るくて楽しい人だと思われているかも知れないが、
それは大宰を演じているからに過ぎない。
僕は、強い人だと思われているかも知れないが、
実際にはモロく、胸の潰れるような想いをしょっ中している。
(この点は、幼稚園の頃と、まるで変わっていない)
こんなにモロい心でよく生きて来れたなあ、とは思う。
当たり前だが、胸が潰れるような想いになると、
生きるのがやっと、になる。
それを唯一救うのは何かと言えば、
生命を捨てて活動なり、創作することなのである。
だから、僕が自分の人生を二の次にして活動しているのは、
立派な人間だからでも何でもない。
自分の気持ちを明るくするには、
それしかないからやっているだけのことである。
ところが、だ。
死に物狂いでやっていると、当然、身体が壊れて来る。
そして、それはそれで、
なぜか精神的に胸が潰れそうな想いにもなってくる。
大宰っぽい「生まれてすいません」的な状態がバレたのか、
奥さんに「あなたが倒れて死んだらどうするか、
考えておいてね」とも言われた。
残念ながら、生命を捨ててかかることでサバイバルして来た人間が、
自分が死んだ後のことまで考えられるはずないだろ。
やはり、とてもではないが、こんな人生観、
良い子の皆さんにはお勧めできないなぁ……。
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