断捨離と地球の新時代(3)ー最終稿ー

断捨離が、人類が次のステップに向かうための儀式であることは、

前ブログで述べた。

 

物を捨てたがらない旧世代人精神と、断捨離したい人との相克。

前者は、家の中の物は置いておけるなら大丈夫と考え、

後者は、物で埋まっていない自由な空間こそ価値がある、と考える。

 

物質に価値を置くか、非物質に価値を置くかの違いである。

両者の認識には、テレビ・新聞の報道を信じるか、

それとも、自分が丹念に拾ったネット情報を信じるか、

ぐらいの違いがある。

 

ただし、時代の変化は待ってくれない。

デジタル世代なら、もちろん非物質に価値を置いているからだ。

 

<所有は人類を不幸にした>

前ブログで僕は、人の所有に対するものの考え方が変わり始めた、と述べた。

実は、所有って、人類史の中では比較的、最近の概念だ。

 

人類の経済は、物々交換から始まった。

その時は、もらうより多くを与えることが習慣だった。

 

貯蔵できない頃の話だから、物を所有するという概念もなかった。

貨幣経済が進むにつれ、人類は、貯蔵できる「お金」を所有し始めた。

それはやがて、物や土地にまで及んだ。

 

銀行ができて利子が始まり、お金がお金を増やすようになった。

同時に人々は、

お金=物を所有しているのは、ステータスが高く、豊かで、幸せ、

という概念を持つようになった

 

しかし、人類の無意識は、次の段階を志向するようになった。

それはそうだ。

所有欲の権化である「強奪資本主義」が、

人々を不幸にして、苦しめているのだから。

 

自由な旅の暮らし。家に物を置かないミニマリスト。

また、所有に興味を持たない悟り世代。

いずれも、そんな不幸な旧時代に対するアンチテーゼだ。

 

<所有から共有(シェア)へと向かう人類>

近年起きたIT革命は、デジタル作品を生んだ。

デジタルは、安価に大量生産できるどころか、

無料で無限に生産できる。

 

膨大な音楽がシェアされ、映像がシェアされるようになった。

デジタル革命は、人類の無意識に、

共有(シェア)という概念をインプットした。

 

無意識に植えられた種は、現象化を求める。

それは、カーシェアリングや、

その他、諸々のシェア・マーケットとして現れている。

 

人々がデジタル作品だけでなく、

様々な物を共有(シェア)するようになれば、

地球は、大量生産、大量消費、大量破棄による環境汚染から解放される。

だからこそ人類は、今、無意識的に、

所有から共有(シェア)の世界へと向かっているのだ。

 

ひるがえって、断捨離では、使っている物とそうでない物を分ける。

それによって、普段は使っていない物が、

山ほどあるのを家の中に発見する。

 

それらは、他の人に共有(シェア)されることで生かされる。

断捨離が、人類が、個人所有から共有(シェア)に向かうための儀式なのは、このためだ。

 

共有(シェア)の精神は、人類が新たな経済システムを生むためには必須である。

そして、共有(シェア)経済の社会は、所有社会よリも、人々をはるかに幸福にする。

 

その象徴として、やがてはフリーエネルギーが、共有(シェア)されるようになる。

そんな幸福な社会が、より速く実現するためにも、

僕は人々に、この通過儀礼を奨励したい

 

アースキャラバンの合言葉は、SHARE! !なのだ。

新しい時代に飛び立つ用意はいい?

 

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