元号が令和なったことだし、万歳三唱でもしよう

日本人は特別に心の豊かな民族である、というような話を、最近あちらこちらで聞くようになった。

(元号も令和になったことだし、僕も、万歳三唱でもしようか、という気分である)

ところで人間が皆、アフリカ出身であることは、よほど無知でない限り誰でも知っていることだ。

しかし、日本人特別論を語る場合は、どうやらその辺の話には蓋をして、思考をストップさせることが決まりらしい。

これはちょうどユダヤ民族というものが存在しないにも関わらず、あたかもユダヤ「人」が存在していることになっているのと、似たような話である。

(ユダヤ教信者の家系は存在する。しかし、民族としては存在しない。これは歴史的にも、また現実を見れば否定のしようがないことだ。だが、日本と同様、イスラエルでも、アフリカ系ユダヤ「人」を差別することで現実には目を瞑り、”その歴史学者の話は陰謀論”ということにして、思考がストップする)

さて、日本人が特別に素晴らしい民族だと思いたい気持ちはよくわかる。(中国人だって、イスラエル人だって、ザンビア人だって、皆、同じことを思うのだから。人は自分の所属先に自己愛を投影するものだからである)

だからこそ、そこで一つ提案がある。

これこそ、日本人が特別に情緒豊かな民族だと思うことに、何の矛盾もなくなる素晴らしい提案である。(←と、自画自賛する)

民族なんて話は、どうせ人間がアフリカ大陸を出た以降の話なんだから、「民族」の定義を、「性格」とか「人間性」の分類にしてしまったらどうだろうか?、という提案である。

たとえば、情緒が豊かな人は、「日本民族」という風に。

そうして、情緒が豊かな人には皆、日本のパスポートを発行し、そうでない人は皆、国外追放することにする。

そうなれば、血も涙もないようなお役人とか、武器を買って福祉を削る政治家とか、モンスター老人(その他、様々なモンスターたち)は皆、国外追放になって、逆に情緒豊かな人がたくさん移住して来るから、それこそ「美しい日本」になるに違いない。

それでこそ、「日本民族は、特別に情緒が豊かである」という言葉が、世界普遍の真理になるではないか。

もっとも周囲が、”自分の心が美しい”と自賛する、自称「良い人」たちばかりになると、僕などは、かえって息苦しさを感じることになるので、そこには自分に都合が良いように僕も真似して、思考をストップさせることにしよう。なにせ“日本人”(別に僕は、特別に情緒が豊かな素晴らしい人間ではないが)は、真似が得意な民族で、自己の西洋化に成功したのだ。

イスラエル政府にも、ユダヤ人の定義について僕から同じような提案をすることにしよう。別に、BIBI(ネタニアフ)は友だちじゃないけど。

例えば、人種差別をしない人間を「ユダヤ人」と定義する法律ができれば、パレスチナ占領も終わり、イスラエルは素晴らしい国になるに違いない。

僕の万歳三唱は、両国政府が賢明な決定をする時まで、大事に取っておくことにしよう。

最後に一曲聴いて、”ちょっと考える”ことにしよう。

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