僕は基本的に、あと先考えずに、人生を世界をきらめかせよう、と思って生きているつもりなのだが、、。
実はたまに、オレってもしかしたらアリでなくキリギリスだろうか? 冬になったら死ぬんだろうか? なんて思うこともないわけじゃない。(弱気になった時だけど、、、へへへ。 ^^)
アースキャラバンをはじめてここ5年は、乗るかそるかの想いで生きている。昨年から今年にかけては特にそう。(なので、良い子のみなさんは真似しないようにしてください)
と、まあ半ば本気のジョーダンはさておき、ここ一年以上、ブログをまともに書いていないという自覚がある。
近況報告みたいなのを書いたのは、もう昨年春のパレスチナでの活動ぐらいまでだろう。
なので、ここでまとめて書くことにする。
春のパレスチナから帰国してすぐ、2018年のアースキャラバンが日本全国で始まった。
パレスチナからはサミーが来て、長崎から広島まで各地でイベントしながら、一緒に自転車で巡った。
それから再び、夏にパレスチナで活動したのだが、アースキャラバンもいよいよ、ディープな世界に入っていったな、という実感があった。
例えば、夜明け前のパレスチナで、家を建てるのを手伝った。
これを聞いても、ああそうなの、と思うだけかも知れない。
でも実際のところ、イスラエル軍に捕まるのを覚悟しながらだった。
暗い中、いつライフルを構えた兵士に捕まるか分からない中での作業だったのだ。
一体なぜか? イスラエル軍は、パレスチナ人が自分の所有している土地に家を建てるのを許さないからである。
そんなバカな、と思うかも知れないが、本当のことだ。
イスラエル軍がブルドーザーで、家族の家を破壊しに来るのである。
ひどい時は、パレスチナ人自身に自分の家を壊させる。
パレスチナ人は泣きながら、自分の家を壊さなければならい。
さもないと、莫大な家の解体費用を請求され、払えないと刑務所に叩き込まれるのである。・
、、、ため息が出るだけで、涙も出ないような話だ。
さて、心のどこかで身構えながらの作業だったが、この日は、奇跡的にイスラエル軍は現れなかった。
家の土台を作ったに過ぎないが、それは抵抗運動の象徴だった。
朝方に完成したときは、イスラエル人活動家もパレスチナ人も、日本人もヨーロッパからの参加者も、みんなで抱き合って喜び合った。
こんな時は、ああ自分は生きてる、って感じがする、、、。
朝日の中、パレスチナ人の家でご馳走になった食事がまた格別に美味しかった。
※写真は別件で、イスラエル軍に破壊されないように、洞窟に家を建てる作業を手伝ったときのもの。
その他、ナブルス市とタイアップして長崎Day ! というイベントを行った。イスラエル軍の迫害にあってナビサレ村からろくに出たことがない子供達を50人招き、また市民にも目一杯楽しんでもらうイベントを行った。
夜のステージでは、市長自ら音頭を取って、アースキャラバンのテーマソングを市民と共に歌った。
その他にもたくさんのできごとがあったのだが、もうこの辺にしておこう。
(写真もたくさんあったんだけど、今、見つからないのでご容赦を)
<秋>
松本に国際タオサンガ道場ができたので、10月に海外からも含めて40人ほどで、数日間の念佛修行を行った。
カナダ人やオーストラリア人だけでなく、イスラエル人もパレスチナ人もいて一緒に念佛していた。
まあ考えようによっちゃ、これって、かなり面白いことなのかも知れない。(タオサンガやっていると当たり前の風景なので、珍しい感じがなくなってしまったのだけど)
この時、アースキャラバン・バチカンでローマ法王に会って、原爆の残り火を届けよう、ということになった。
実現するかどうかなんて、考えもしなかった。
基本的に能天気で、どうしたら実現できるかしか考えていないからだけど。
<冬>
NPOアースキャラバンが運営している、バングラデッシュの仏教徒のための3つの小学校の視察。また、さらなる開校先を求めて活動した。
この時のことは、なまえのない新聞(amanakuni.net)で書いているので、こちらをご覧頂ければと思う。
この写真は何かと言うと、新しい支援先を求めて村に向かっているところ。
驚いたことにこの村は、道路のアクセスがなく、川を歩いて行かなくては入れないのである。
しばらく川を歩いて行ったら、やがて村の入り口を見つけて入り、秘境に住む村人たちとミーティングすることができた。
こんなことやっていると、なんだか、本当に辺境の地の支援やっている、という気がするから面白い。(実際そうなんだろうけど)
まあ、ユニセフなんかはダッカの五つ星ホテルに事務所構えているらしいから、まずこんなとこ来ないだろうしなあ、、、。(←おい、イヤミ言うな。人、それぞれなんだからさ)
帰国したら、新しい音楽念佛法要を創ることに没頭した。1日中休みなくであった。寝るのは3時とか時に朝5時まで。
完全に、何かに取り憑かれていたからできたんだろうけど、人間って、こんなに集中できるもんなんだ、とちょっと驚いた。
<春>
バチカンに行き、ローマ法王と会って、原爆の残り火を吹き消してもらった。これも連載している「なまえのない新聞」の記事。(僕の口から言うのも何だが、みなさん、なるべく定期購読してあげてくださいね)
その場で頼んだら、あっさり吹き消してくれたので、思わず嬉しくなった僕はつい手が出て握手してしまった。
あんまり嬉しかったんで、日本から持って行った純米酒とSHARE!のCDを差し上げた。
キリスト教はワイン飲むから日本酒もたまには良いのでは?と思った次第、、、。
この時のことは世界的なニュースになったらしい。
アランというオーストラリアに住む友人が、トップニュースだったよ、と言って送ってくれたテレビ映像がこれ。(字幕付けた)
<アースデイのステージで>
バチカンから帰って間も無く、アースデイで場開きの祈りというのを頼まれて行うことになった。
それでバングラデッシュから帰ってから創った音楽法要の一部を、4月20日のステージで「異宗教融合チャント」として行った。
スピーチも、ということだったんで、ついでにスピーチも行った。その時の映像がこれ。
ステージを観て、”音楽的な響きに癒された”、”美しいんで驚いた”とか、”素晴らしかった”、という人がたくさんいて、うれしかった!
メロディーは全部、あっちの世界から頂いたもの。とても自分の力でやったなんて考えられない。と、つくづくそう思う。
それで今は、アースキャラバン・ヨーロッパに行く準備中と諸々。やっと本を書き出した。
実は、ブログに本の原稿を掲載していこうかと考えている。それでとりあえず、かなりはしょりながらだけど、今までの行動をざっとなぞった次第、、、。
さあ、乗るか反るかで生きている僕は、果たしてアリかキリギリスか? 人生と世界がきらめけばそれで良し、としよう。
記憶はすべて過去の残骸。
どんな瞬間もあぐらをかかず、さらなる次の展開を創って行こう、とそう思う。
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