僕をパレスチナに駆り立てるもの

<写真は、山水人(やまおと)でのピースサイクルの送り出し>

パレスチナで過ごした、人生の何年か分を凝縮したかのようなあの10日間、、、。これを、帰国してからブログで語ろうと思ってはいた。

だけど、山水人(やまおと)でのキャンプ・ライブ。その後すぐに原爆の残り火を自転車で運ぶピースサイクル。

僕はその後、自転車で進むデビィを追って出発した。そして今は、身延山に向かっている。(と、これを書いたのが9月5日)

ところで、アースキャラバン中東で僕がやりたかったことの1つは、中東の実態を人々に体験してもらうことだった。

パレスチナと聞けば、人々は紛争やテロをイメージする。そして、危険な人たちがいる危険なところだ思う。     

僕は、人々がパレスチナにそんなイメージを抱いている、と聞くたびに、地団駄踏むようなくやしさに襲われてしまう。

実はこのくやしさには、僕の贖罪感覚が加わっている。それは現地に行くまで僕もそうだったからだ、、、。

車で1〜2時間(エルサレムからだったらたった30分)で行けるほど近くのイスラエルには、毎年ワークショップに行きながら、パレスチナで暮らす人々のことをまったく知らなかった自分、、、。

テロリストと聞いていた彼らが、実際には人懐っこくて、気前が良くて、知性やユーモアセンスのある汚名を着せられた人たちだった。これを知った時の僕の驚きと言ったらなかった。

、、、パレスチナの街に漂うあの温かい空気感は、日本にいるときよりもリラックスできるほどだったのだ。

その驚きは後に、”どうして自分は愚かにも、マスコミの言うことなんか、人々の風評なんかを信じていたんだろう?”と僕を後悔させたのだ。

イスラエルに定期的にワークショップに行っていたころ、仕事がある日以外は、地中海のビーチで泳ぎ、ビールを飲み、美味しいものを食べていた。僕にとってイスラエルとは、リゾート地でもあったのだ。

でも、僕ら家族が過ごしていたそんなパラダイス的な休日は、すぐ隣に生息していたパレスチナ人たちの苦しみの上に成り立っていたものだったのだ、、、。

それを知ってしまったら、どうしてそれを続けることができるだろう?                 

どうしてパレスチナ人たちの苦しみに寄り添わずにいられるだろう?

例えて言えば、「Aさんを苦しめる悪い奴だと思っていたBさんは、実はとっても良い奴だった。その上、AさんこそがBさんを苦しめている加害者だとわかった」で、真実を知らなかった自分が恥ずかしかったし、罪深いことだと思った。

パレスチナ人は皆んなテロリストである、というデマを、世界のマスコミが率先して人々のイメージに刷り込んでいたことは、僕にとって衝撃の事実であった、、、。

僕のくやしさは、「ワルかった!」というパレスチナ人に対する贖罪感と、「騙しやがって」という、マスコミのニセ情報に対する怒りが合体している

ただし僕は、自分のくやしさに人を巻き込みたいが故に、アースキャラバン中東を始めたのではない。

汚名を着せられ、信じられないような迫害や人権侵害を受けながらも、気前がよく、人懐っこく、支え合う社会を築くパレスチナ人たち、、、、。

そんな彼らと直接触れ合い、さらにその支援活動に関わることで、人生がより豊かさになると信じているからだ。

それは、アースキャラバン中東に参加した人たち自身も、大いに感じてくれていることだと思う。

 

 

 

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