2014/07/07 Categories:

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< 1日だけ、午後にアムステルダムをうろつくことができたー!>

 

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 <ビッグマスターことロブとみわさんの3人で、ギリシャ料理店へ。実はこの前日、僕は1人で入っていたのだ。

そしてその時、生まれて始めての体験をした。僕が何か別のことを考えながら、払うつもりで財布を見ていたら、何と1人の青年がやって来て、「お金ないの? 上げるよ」と言って、20 ユーロ(2000円ぐらい)カンパしてくれたのである。

ひぇー!! 断るのも好意を無視するようで悪い、、、。それで、何度を何度もお礼を言って、ありがたーく頂いた。、、、涙。その青年は片足が義足だった。しばらく心が暖かかったな、、、。>

 

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<この店で働いている左の女の子は、僕がランチを食べている間、じーっと僕の顔を見つめ続けていた。そこで僕は、ウインクしたり、そんなに見つめちゃイヤンとばかりに、面白い顔をしたりして遊んでいた。

トルコからの移民なので英語は話せなかったけど、後で、右の女の子が解説してくれたところによると、彼女は僕の顔を見ていると、、、、あれっ、何て言ったんだっけ? 忘れてしまった、、、。

まあとにかく、ここは特殊学級出身の人を積極的に雇っているお店とのことだった。日本にもこういう店が増えるといいなー。楽しいもん>

 

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<みわさんのクリニックが入っているのは、身体障害者の施設なんだけど、そこの廊下に何点か写真が展示してあった。「これって、東京のすなおさんという人によく似ていますねー」と言ったら、「本人ですよ」って。ああ、びっくり。

気仙沼でのボランティア活動の写真展だったのだ。そういえば、僕も行ったんだけど、すっかり忘れていたのだった>

 

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<オランダ・サンガの2人。ロブとみわさん>

さて、ヨーロッパ行脚の最終地のオランダに来たら寒かった。ひぇ〜。2日目に宿を変更して、やっと一息ついた。ここでも6日間過ごす。連日やることは同じといえば同じ。

ただし妙な表現だけど、それぞれの場所で、タオサンガ的な意味での「時代」が違う。

ではまず、その「時代」という意味について説明しよう。(ただし、これはタオ指圧のことなので、一般読者の方にとって面白い内容かどうかはわからない)

えー、さて最初は涙ながらに語る話、、、。

タオサンガは、タオ指圧から始まったが、タオ指圧を学びに来る人の心境は、時代によって随分と異なる。

例えば最初の頃は、「利他」なんていう言葉は誰も知らず、「はあ?」と言われた。(それで、あまり利他については言わないようにした)

だから仏教の「ブの字」でも言おうものなら、アヤしい宗教と思われた。(それでクラスでは一切、仏教の話を15年ほどしなかった)

また、NPOユニを立ち上げる前だったが、スリランカに井戸を創る話をしただけで、「先生は卑怯よ!」と陰口を言われたものである。(寄付をお願いしたわけでもないのに〜)^ ^;)

(ただ僕は、陰で誉められるよりは、悪く言われた方がよほど気楽なので、まったく気にならない。逆に誉められたりしていたら、良い人として振る舞わなければまずいなー、とか思って緊張してしまうので、誉められる方がむしろ苦手である。

持ち上げられるよりは、悪く思われているほうがよほど気楽で良い、というのだから、←まったくアマノジャクな奴だ)

言ってみれば人がタオ指圧に求めているのは、これの治療技術を身に付けて、まあありていに言えば、それをビジネスに生かすことだった。

入門してタオ指圧の心技を継承するために来る人はまずいなかった。今にして思えば、消費者の1人として”習い事”として来ていたのではないだろうか、と思う。

ビジネスマンか消費者か、その二者しかいない今の世の中で、それ以外のものを想像することは難しかった(あるいは、難しい)のだと思う。

またそう考えれば、仏教の修行もクラス以外の利他の奉仕活動をすることもない、ということも理解できる。そりゃ、何の得にもならないものな。

まあ、そういう時代だった。

もちろん、それでタオ指圧ができるようになるならば、それで気を認識し証診断ができて、経絡治療ができるようになるならば僕には何の問題もない。

いや、むしろそうであって欲しいぐらいだ。いやがる人に修行や利他の社会奉仕活動をさせるなんていう悪趣味は僕にはない。

そんな時間があったら、旅をして音楽をやってチャリティックスやって遊んでいたい。(心底そうだぜい)しかしそれでは、経絡がわかるようにはならないんだよ〜。(、、、と涙声)

だからと言って、ビジネスライクに形だけ教え、無責任に免状だけ出すなどという罰当たりなことは僕にはできない。(できたら楽なんだろうけど、マジメさが邪魔しちゃってできないんだよ〜、とまた涙)

僕が指圧を教えるようになったわけ

僕が人にタオ指圧を教えるようになったのは、二十代の中頃に証診断ができるようになり、これの継承という責任を負ったからである。だからクラスをやっているのは、他の人が経絡治療できるようになるためである。

それにしても、よりによって何でまた僕が、そんな責任を負うことになったのか、、、とよく思ったものだ。(実は今でもたまに、、、)

“タオ指圧をしたら早く治り過ぎてビジネスとしては不利になる”という言葉を耳にしたこともあった。(後で聞いたら、”そんな気持ちで言ったわけではない”と説明されて、ああそうだったんですね、と一応それなりに納得はしたが。

しかしその時は、言葉通りに理解するしかすべがなく、僕は、“自分の世代でタオ指圧が理解されることはないだろうなぁ、、”と思ったものだった。

、、、それでも僕はやり続けなければならなかった。

書籍を書き続けたのも、実は後世に残すためであった。そしてそんな「時代」は長く続いたし、生きている間ずっと続くのだろうと思っていた。

しかし「時代」は、僕が考えていたより、よほど速く進んだ。一般の世の中でも、ライト兄弟以前は「鉄が空を飛ぶわけがないじゃん」と”科学者”に言われていた。それが初飛行の66年後、人類は月に到達したのである。(これの真偽については今は問わない)これと同じようなことが、タオ指圧でも起こり始めた。

今、学んでいる人には信じられないかも知れないが、最初は全身二十四経絡や超脈を、荒唐無稽なこととして否定する生徒さんすら普通だったのである。

それが今は逆転して、むしろ最初からそれらを前提として学びに来ている。それどころか、真の意味でタオ指圧が実践されるようになる時代は、目の前まで来ているのである。

また話は戻るが、先に述べたように、かつては仏教のブの字も言えなかった時代が長くあった。今は最初から仏教、念仏を前提として学びが始まるようになった。ようやく新しい時代が始まったのである。

ということは、だ。

今後はどうなっていくのだろうか? 次の時代にはどうなるのだろう?

 、、、それは明白である。やがて人々は、仏教(念仏三昧)の修行を前提として、タオ指圧を学びに来るようになるのである。(それが、いつかはわからない。が、時代の変化は思っているよりも早い)

そしてその後の時代には? 利他行(奉仕活動=クリエーション)をすることも、当たり前になって行く時代になる。最初からそれを前提として学び始める。

タオ指圧の学びが、そこから始まることを、「未来の彼ら」は知っている。

今や、ネットが生活の1部であることが当たり前であるよううに、世の中とは、常に、「現在の最先端が、未来の前提となる」ものなのである。。

タオ指圧は世界を変える。利他を当たり前とする世の中になるためにあるのが、タオ指圧だからだ。

念仏とタオ指圧、霊技一体の指導法が生まれたのは、今の「時代」を迎えるためだと思う。そしてもちろん、ここからさらに、タオ指圧の心技は発展して行くことだろう。

とまあ、タオ指圧の「時代」の話はここまで。

オランダでは?

残念ながらオランダで、最先端までの内容はできなかった。(←まあ当たり前だろうが)それでも今の時代、いや理想の未来という時代に、一瞬でも近づいてもらいたい。ただそれだけを痛切に願って、精魂傾けた日々であった。

残念至極だったのは、チャリティックスを持って来なかったこと。フレデリックという、中学校の音楽の先生がいたからである。彼は、授業で音楽念仏を教えたいと言うほど、ぶっ飛んだ人なのだ。(元プロのミュージシャンである)

バングラディシュではラジョーさん(NPOユニの現地所長)も、小学校に念仏とチャリティックスを教えに行っている。もしフレデリックも同じように念仏とチャリティックスを学校でやったら、、、、。

バングラディシュとは姉妹校のようなものになる。そしてオランダの中学生たちがバングラディシュに行き、ラカインの子供たちと一緒に、現地で念仏とチャリティックスをやったら、、、。

いやー、さぞ面白いだろうなぁー。楽しいだろうなー。(こんなたわいもない想像で、僕は幸せな気持ちになるのだ。とても、安上がりである。ふふふ)

オランダとバングラディシュを結ぶ音楽念仏とチャリティックス! 
世界各地がそんな風に結ばれることだって可能なのだ。

理想の未来は間近だ!

僕は、そう信じて生きている。

※チャリティックスの哲学については、月刊タオサンガの「住職に聞く!」コーナーをご参照下さい。