2014年9月の記事

仲間探しの旅が始まった、東エルサレムで

2014/09/24 Categories:

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イスラエル軍の路上封鎖によって金曜礼拝に行けないパレスチナ人たちの痛みを背中に感じながら、僕たちはバスターミナルに向かった。 

 

そして、ホコリにまみれたバスに飛び乗ったのだった。

最も荒れているという難民キャンプに視察に行くためだ。

 

物珍しげにこちらを見るパレスチナ人たちに囲まれてバスに乗っていると、僕は心の中からくつろぎを感じ始めた。

 

「どこへ行ってもお互い知った者同士」という、このアジア的雰囲気が、僕はたまらなく好きなのだ。

 

その上、パレスチナ人は、ボラない。適正の料金しか受け取らない。

しかも、お茶やパンなどのお店の売り物でも、ただでくれたりするぐらいだ。

だからゼンゼン緊張しなくて良い。

 

僕はバスの中で、周囲の人に笑ったり、「マハバ!(アラビア語で“こんにちは”)」とか、「キーファク(まあこんな感じの発音?)」(元気?)なんて言って遊んでいた。

 

しばらくすると、僕と笑い合っていた客の中の1人のおじさんが、M女史に何やら挨拶し始めた。そしてM女史も、ああっ! と大きく反応し、僕を振り返って言った。

 

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<このおじさんがUN(国連)診療所の所長>

 

「この人、私たちが行こうとしている難民キャンプのUN(国連)診療所の責任者なのよー!」

ラマダン中のため、もしかしたら、誰とも会えずに視察だけになるかも、と覚悟を決めていた僕は、一瞬キョトンとした。

 

M女史は2年ほど前に、この難民キャンプで日本の医師団のボランティア診療をコーディネートしたことがあり、その時の縁で、この人と知り合ったという。

 

タオ指圧のボランティア治療を企画している僕らが、ラマダン中であるにも関わらず彼に出会えたのは、実にラッキーなことだった。

 

でなければ、キャンプ内の視察で終わっている公算が大だったからだ。

 

難民キャンプに着くと、僕らはすぐに、国連診療所の事務長室に案内された。

そこで僕はキャラバンについて説明し、来年にはグループで来て、“ボランティア指圧”を行う件について話した。

 

でも彼は、タオ指圧がどういうものであるかを知らなかった。そこで事務長に、「どこか痛いなどの症状はありますか?」と聞いた。

すると、事務長は上腕に痛みがあり、もう1人の補佐官みたいな人は、慢性頭痛で、とのことだった。

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<まずは痛みのある部位を確認する>

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<上腕の痛みを頸部のツボで取る>

そこで、事務長はオリバーが、そして補佐官(?)を僕が施術することになった。

約10分後、事務長の上腕の痛みはすっかり取れ、すっかりご満悦な様子だった。

(オリバー、エラい!)

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<英語が話せないので通訳してもらう>

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補佐官(ということにしておく)の慢性頭痛は、数十年前、インティファーダ(パレスチナ独立のための総決起行動)の時に、イスラエル兵に銃の台尻で殴られ、頭蓋骨陥没の重傷を負ったための後遺症だった。

(実を言うと僕も、ビリン村などのパレスチナ人のデモに参加して、万が一、イスラエル兵に銃の台尻で殴られてメガネが壊れた時のためにと、日本から替えのメガネを、前回に続いて今回も用意していた。)

彼はそれからずっと、慢性頭痛に悩まされ続けて来たという。

恐らく16歳とかそのぐらいの頃のことだろう。

 

イスラエル軍への憎しみを煽るつもりはない。

だが、インティファーダの時にも多くの人が殺された。

また少年でも、2度と投石できないように腕を折られたという。

(その映像を見たことがある)

 

補佐官の頭痛も取れ、何とか面目を施したものの、完治するには1度の施療では足りない。多少、予後が気になりながらも、僕は治療を終えなければならなかった。

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来年の再会を約して、僕らは難民キャンプを後にした。

キャンプの視察はできなかった。

 

それは、シェイクジャラの「金曜デモ」の時間(4時)が迫っていたからだ。これは、イスラエル政府の土地収奪に反対するパレスチナ人・イスラエル人合同の活動でで毎週行われているとのことであった。

 

2日間、ほぼ寝ずの状態でやっと入国したのは、つい先ほどのことだった。

にも関わらず、まるで休むことなく、こうして僕は歩き回っている。

何だか不思議だった。

 

でも、イスラエル人がパレスチナ人と合同でやるデモならば、

絶対に外せなかった。

これは、アースキャラバン運動を一緒にやる、中東の仲間を探す旅なのだ。

 

もしかしたら、海の中に潜って真珠を探すような、幻のような行為かも知れなかった。

、、、でも、やるしかないのだ。

 

そして僕らは、まず最初の2人とそこで出会ったのだった。

見つけた、、、。

奇跡は、起きたのだ。

 

<続く>

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What schedule was waiting for me after I pass through immigration?

2014/09/05 Categories: English

(1)

I couldn’t believe it, but I got in. After I passed through the immigration gate it felt as if I was in a day dream.

But what has happened to the missing Oliver? I called him on my mobile. Oh, I can get him now . “wow!”.

“Oliver where are you!?”

“In Tel Aviv already ”

“Un-believable!”

“Please wait and I will pick you up with Elan. I am at Elan’s home and can be at the airport in about 30 mins.”

Got into the Country

(Got into the Country).

We made it! We met each other with a big smile.

 We gotta tell bus driver exactly where we want to go.

While waiting for the bus we ate the breakfast which Oliver had bought. Oliver always prepares well.

(While waiting for the bus starting , we ate the breakfast which Oliver had bought. Oliver always prepares well.)

I realized that both Oliver and I are great optimists, always crazy and keen with our dream. (This could be the character of a Tao Sangha member ). Any way… We just  want to keep  meeting with people,  anyone who truly wishes  for peace in the Middle East including wishing that all  human beings  to be free . We simply believed that if we talk to people to people sincerely then the Caravan Project will be  realized . Oliver and I, never doubt  this. So, anywhere with anyone who has this  kind of wish in this direction, we were dying  to make contact with.

(2)

Well, I have a great  friend called Alan in Australia, who started his own business from a garage sale and now has many branches overseas. (He is an amazingly generous man) Whenever I tell him that I am going to do something he always says that my optimism is just amazing. I didn’t know why he says that???? But  by realizing how  optimistic we are about  the caravan project … just simply believing that  sincere effort  can make this happen,  now I understand what Alan means. But I must say to  Alan “Hey Alan, what else can I do?”

(3)

A Japanese activist woman, Ms Mieko, who is living in Jurusalem  is going to co-ordinate the schedule today for us , which is:

  1. Visiting a refugee camp in Eastern Jerusalem. Now it is Ramadan but if possible we want to give volunteer Tao Shiatsu. We are checking out and preparing for Tao Shiatsu members to do during the Caravan Project  next year.

*Ramadan is a custom of Islam. Even though there is really hot sunshine, for one month from sunrise to sunset people fast, not eating anything. They do this to experience and understand poverty.

2. Meeting  an activist who is elementary  school teacher  who is asking me to do Ki workshop for the children. I  was really wishing to connect  with people who are working in the education field because I wanted to  put pictures from  the children with their  dream for the future  Earth on the Caravan’s web site .  I also heard that some  schools in Israel, have “GO workshops ” (Japanese traditional strategy game), so I have a dream of a Chari-TX convention together  with Israeli and Palestinian elementary schools, playing together.

3. Join the demonstration to protect  the rights of Palestinians and to free Palestine. Both Palestinian and Israeli activists coming together in a place called Sheikh Jarrah where many Palestinian houses have been demolished  or people have been evicted from their homes where they had lived for forty years. I did volunteer shiatsu to the family who were evicted and sleeping in the streat with Lawrence the last time that I was here. http://endo-ryokyu.com/past_blog/?p=428

We were willing to meet Israeli activist  for the human rights  on this  demonstration to talk with them about next year’s Caravan project if they would be interested to coorporate with us.

By the way, every Friday in a famous village called Billin on the West Bank, a non violent demonstration takes place with the whole village . Many international and Israeli activists go there too. The film “5 Broken Cameras”, which was nominated for an Oscar, describes this village in a documentary. I have some connection with a photographer and leader in the villedge  so in the beginning I was going to visit Billin and  join the demonstration  but Mieko already had her plan to take us to Shakujara  demonstration and we had no choice.  But the Shakujara demonstration has opened a door for us for the Caravan project.

He always takes good photographs

(Photo taken by Haytham in Billin. He always takes great  photographs)

(4)

Because I was delayed by one day, I have to go to Jerusalem directly from the Airport. The Japanese activist woman  Mieko has told me many times that I have to be at the Damascus gate of Jerusalem no later than 12: o’clock because there is a lot to do. We have to hurry and with a lot of effort we can make it. I  was wondering  if we can make it??   Can we?

 

 

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東エルサレムの路上で、僕はそっと涙を流した、、、。

2014/09/03 Categories: 未分類

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<連日空襲されているガザの人々には隠れるところもない、、、>

 

われわれを乗せたシェラート(乗合バス)は、一路エルサレムを目指す。

一体、空襲されているガザの様子はどうなっているのか? 、、、気になる。

 

バスの中でプロジェクトについてオリバーといろいろ話をする。イスラエル政府の批判になえると、オリバーはつい興奮して声が大きくなり、僕はそのたびにヒヤヒヤした。

今われわれは、ガザ空爆を支持する市民が80%もいるイスラエルにいるのだ。そして右翼はどこにでもいる。

 

乾いた大地を疾走したバスは1時間ぐらいでエルサレムに着いた。急いで予約したホテルを探す。

僕たちは、1日目の西エルサレム(イスラエル側)のホテルの予約票を持っていた。スムーズに入国審査を抜けるのに必要だったからだ。

 

ようやく探し当てたホテルに荷物を置くなり、シャワーも浴びずにあわてて飛び出した。約束の時間が迫っていたからだ。

 2日近く眠っていないが(その前も入国できるか不安で、あまり眠れなかった)、心身が興奮気味なのか、疲れは感じなかった。

 問題なく入国できた喜びもあったし、何よりも二人ともキャラバン・プロジェクトの使命感に燃えていたのだ。

 

もっとも、僕らが焦って約束の時間に行っても、結局は30分以上待つことになった。まあ、ちょっとはずっこけたが、これからの活動のことを考えてアドレナリンが上がっていたためか、さして気にならなかった。(2人とも良い性格なのである)

 

ところで、なるべくお昼までに来るように、というお達しの他にも、僕がメールで3回ぐらい受けていたサジェスチョンがあった。それは、投石や火炎瓶が飛んでくる可能性があるから、くれぐれも帽子と走りやすい靴をはいてくるように、というものであった。

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 <はたして、帽子でボウシできるのだろうか?>

はて? 石や火炎瓶を防ぐのに、帽子なんて役に立つのだろうか? うーん、、、? 待てよ。これはもしかしたら、「防止」のシャレなのか? ふとそう思ったが、これがマジな話で、会ったときに、あんた帽子は!? と言われるのも困る。(なので、帽子は100円ショップで1つ買って来たぞ)

 

靴はスニーカーを履いて来た。スニーカーを履くなんて、中学校以来である。実は、雪駄(坊さんの履くぞうり)で行こうかな? と思っていたのだが、ちゃんと言いつけを守ったのである。(まあぞうりは、たしかに走りにくいしな)

 

それで思い切って、ナイキを買った。そしたら、これが軽くてななかなか履きごこちがよろしい。(でもナイキのために、インドネシアの子どもたちが低賃金で働かされている、と聞いている。だから、何だか申し訳ない気持ちになった)

 

さて、ようやく現れたM女史、、、。

彼女の話にによると昨夜は東エルサレムで、イスラエル兵とパレスチナ人の間で衝突が起こり、4人が殺され60人以上が負傷したとのことである、、、。痛ましい話だ。彼女は、パレスチナ人の友だちに呼ばれて病院に行っていたので、寝坊しちゃってぇ、、、ということだった。

「帽子持ってくるように、って何度も言ったけど、アタシ自身が帽子忘れちゃって」というM女史。まあまあいいじゃないですか、と鷹揚に返事をする僕。

入国できてハッピーだったから、気にならない。そうか! 自分がハッピーだったら、何ごともあまり気にならないんだな、と、このとき一人納得した。(つまり、相手に腹を立てるのはハッピーでない時、というわけね。)

なぜ、 宗教的な深い悟りを得ている人は腹を立てないのか? (誤解のないように書いておくが、これは僕のことではない)それは、宇宙大霊の歓喜光を受けていて、いつも喜びが湧いているからなんだ、(経典にも歓喜という言葉が随所に出てくる)なんてちょっと思った。

 さて、悟ってない僕らは、イラク人経営のカフェでランチを食べ、水を飲んだ。東エルサレムに入ると、ラマダン中のため水も飲めなくなるからだ。

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<パレスチナ人の少年が、イスラエルの入植者に生きたまま焼かれ、殺された。そのことに対する抗議行動から、大きな衝突に発展した>

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<殺され、傷つき、逮捕されるパレスチナ人たち>

 

食事が終わった僕たちが連れて行かれたのは、東エルサレムのダマスカス門の近くの広場である。

イスラエル軍が道路封鎖をしていた。このため、イスラム教のパレスチナ人たちはモスクの金曜礼拝に行けない。大勢の人たちが仕方なしに道路に座り、モスクに向かって礼拝している。

 

自分たちのモスクにすら行くことができないでいるパレスチナ人たち。

 

元は自分たちの土地だったものが奪われ、その上で精神的な支柱である信仰行事ですら、自由にできない。

 

その光景は、占領の理不尽さを浮き彫りにしていた。

見ていて、あまりにもつらくなった僕は、柱の影に行ってそっと涙を流した、、、。

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<モスクは目の前なのに、イスラエル軍に路上封鎖されていて行けない、、、> 

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<銃を構えるイスラエル兵>

 

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<仕方なく路上礼拝をしているパレスチナ人たち>

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<映画監督の古居みずえさん/ガザに入れる許可が降りるのを待っている、という>

※後日、DAYS JAPAN という雑誌に、彼女がこの四日後に撮影したとされる写真と記事が載っていた。どうやら、無事入れたようだ。(ジャーナリストのみ特別に入れるらしい)

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<数百メートル先のモスクに向かって祈る、、、>

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<見ているのがつらかった、、、>

この後は、劣悪な難民キャンプに行くことになっていた。果たしてラマダン中にボランティア指圧なんかできるのだろうか? M女史には、施術できなくても、来年のために視察だけでも、、、と言われていた。

 

ところが、途中のバスの中で偶然会った人が、なんと、、、、!     <続く>

 

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