‘未分類’

僕が先生と呼ばれたくないわけ

2013/02/22 Categories: 未分類

タオ指圧を教えて来た。
その流れからだが、利他について話すことが多い。
理由は単純である。

自分が受ける側になったときのことを想像して欲しい。
誰だって、自分が患者さんの立場になったらわかることだ。
施術を“飯の種”と思って診ている人よりも、“病気になった子を想うが如く”、親身になって指圧施術してくれる人から受けた方が、癒されるに決まっている。

また実際、そういう人でないと、気と経絡の施術にはならない。
だから僕は、経絡施術をやりたいと思っている人に対して、利他の修行や活動を説いて来たのである。

しかし、これは何も“そうしなさい”という意味ではない。
人様に、何かしろ、というほど自分がエラいなどと、僕は思っていない。

“気と経絡の施術をするなら、日常的に利他の心と行動が必要なんですよね。それが無意識になるには修行が必要なんですよね”と言っているに過ぎない。

言わば、
“魚を釣るなら、釣り竿にえさをつけて垂らしましょう。”
“郵便局に行くなら、そこの角を曲がりましょう。”
“明日は雨ですから、傘を持って行きましょう”
のように、釣りのノウハウや地図、また天気予報などの情報を流しているというに過ぎない。

まさか、交番でおまわりさんに道を聞いて、“あっ、先生!”などとは呼ばないだろうし、天気予報のおじさんを「天気予報の先生!」と人は呼ばないだろう。
先生とは、もっと厳めしくおごそかに、“あなたは何々しなさい”と言うものである。

僕は、タオ指圧を習いに来た人とは、「共通の目的」を持っていると思って来た。それを前提に話しているつもりだった。

共通の目的とは、“気と経絡で人を癒す”ことだし、“最高最善の施療を人に施そう”ということだ。

それには日頃の「利他の活動や修行があると良いですよ」というのは、ボディビルのトレイナーが               “筋肉つけるなら、プロテインのサプリが良いですよ”とか、スポーツトレーナーが、                    “タイムを上げるには、筋トレやりましょう”と勧めるようなものである。

ところだ、だ。なぜかそれを、あたかも僕が“XXしなさい”と言ったようにと誤解されてしまうことが。これまでよくあった。
これにはちょっと参る。

まず僕は、人に何か指図するということがキライである。
それはなぜか? 自分が人に指図されたくないからである。

それに、“人から言われたから”としぶしぶすることで、人が成長することはない。そう僕は思っている。

僕自身が、人に言われて何かをするということは、まずない。(多分、ウチの奥さんはそれで困っているかも知れないが)

だから人に”何かをしろ”というつもりは全くない。
だけど、僕としては、人の希望には責任を感じる。そこで、“気と経絡で人を癒したいのなら、XXしたらどうですか?” と言ってしまう。

くどいようで申し訳ないが、それは、“お酒買いたいなら、そこの道を曲がったところに酒屋があるから、次の道を右に曲がった方がいいですよ”とか言うようなものである。

だから、もちろんこれは指図ではない。ただ、ご本人の希望が叶う方法を知っているのに、アドバイスもしないというのでは、僕としては申し訳ないのでせざるを得ない。

もしその人が掘り出せる宝が、10メートル下にあるならば、“シャベルで掘って下さい”と言うより他はない。知っていながら何も言わないのでは、職務怠慢というよりも人として問題だしなあ、、、。

いやしかし待てよ。もしかしたら、この“XXして下さい”という言葉が問題なのかも知れない。なぜなら、掘っている内に、いつの間にか、“先生に言われたから掘っています”
という風になったりするからだ。

あっちゃー! いつの間にそんなことになったんだろう?、と思う。

“私が一生懸命やっているのに、先生は誉めてくれない”と言われたこともある。
あっちゃー! その人は僕のためにやって下さったんだろうか? 

もし最初から、“先生のために、支援活動やります”なんて言われたら、僕は即座に土下座して、                ”どうか、お願いだから何もしないで下さい”とお願いしていただろうに、、、。

“私、がんばったけど、先生は認めてくれないし、もう役割は果たせません”という言葉を聞いたこともある。

あっちゃー! 僕は人に役割を押し付けるなんていいう、犯罪者まがいのことをいつの間にかしていたんだろうか?

僕は、人からそんなことを言われると、取調室で刑事に、“おまえが悪いんだぞ”と言われているような気になる。僕は、“はい、私がやりました。私が悪うございました”と、思わず言ってしまいそうになる。

しかし待てよ。僕は宝の取り方や美味しい居酒屋の情報を流して、“こんなのどうですか?”と提案しただけである。
それはあくまでも、同じ目的を共有していると思ったからした提案だったのだ。

僕は、「サル蟹合戦」の桃太郎、猿、蟹みたいに“鬼を退治する”という共通の目的を持っているという前提で 、おむすびを配る。

けれど、「言われたからやりました」という気配を感じたとき僕は、目的を共有しているというのは、どうも僕の思い違いだったのかも知れないな、と思う。

なぜなら、言われてする、ということは、やりたくないけど言われたからする、ということに他ならない。

それはたしかに、シャベルで掘るという作業は、なかなか大変だ。
だからと言って、僕があたかも“何々しなさい”と言っているように認識する底には、無意識の不満がくすぶっている。やがてその誤解は、意識的には無意識的にかは別として、僕を怒りの対象とするようになる。

でも、宝は自分の足下を掘らなければ出てこない。
自分で掘り出すという行為を抜きにはできない。
どんなに僕が宝を差し上げたくても、それはどうしても無理なんだ。

自分が吸う酸素しか呼吸できない。
自分が摂る栄養は、自分の歯と胃で咀嚼するしかない。
自分の無意識に眠る宝は、自分の修行と活動で覚醒させるしかないんだ。

だから僕を「先生」と呼ばないで。
僕は、宝の地図と行き方を教える情報屋に過ぎないんだからさぁ。

その代わり、情報が間違っていたら刑期を勤める覚悟はできています。

と、まあ、こんな気持になることもある。

0
Posted in 未分類 |

年末はバングラデッシュで(4)  静けさと幸せ、、、

2013/01/15 Categories: バングラデッシュ支援 未分類

12月31日 “そういえば大晦日”

クルスクル村のUNI小学校に行く。(ここは車で40分ぐらいなので、行くのは楽である)

4人の先生がいて、ラカイン語を教えている校長は、僧侶である。

ラジョーさんの通訳で、これからどうやって、全17の村に支援を広げていくかの秘策について話す。

さて、その後は、ラジョーさんが先生たちにゲーム、CHATRANGA を教える。

すると、僧侶の校長まで、“ボッカーン”とか言いながらやっている。真面目な顔しながら面白いぜい、この人!

<おもしろ〜い!>

<そうか、こう動かすのか>

<キミ、もっと戦車を前に出した方がいいよ、とか口出しする校長。戦略眼センスあり、と見た!>

“後で子どもたちに配って教えて下さいね”と、何セットか置いていく。

 その後、各教室を回る。子どもたちに、ちょっとした心の持ち方で気がパワフルになる方法を教える。

そしたら驚いた! 案外みんな、喜んでやっているではないか!

ああ、そうか! これからは、タオサンガでやっていることを、気軽に、どんどん広げていったらいいんだな、と納得!

<おみやげを配ると、、、>

<緊張している子と、後で笑っている子とか>

<最初はいろいろだけど>

<最後はみんな、やっぱりみんなうれしい>

ラジョー家に戻ってお昼を食べた後は、ラジョー氏のお勤め(日本のお経)の練習につき合う。

なにせ夜は、学生たちも集まって、ミニ年越し念仏をやる予定になっている。ラジョーさんもリーディングするので、気合いが入っている。

ラジョーさん、最初の頃は、声がやたらでかいだけで、メロディも読み方もいい加減だった。でも、ずい分うまくなって来た。

彼は今、スカイプという、複数で同時に話せるパソコン電話で行う、お経の練習会に毎週参加しているからである。

ちなみにこの練習会は、ヨーロッパ、カナダ、日本、バングラデッシュをつないでやっている。

 その後、意を決して(というほどでもないが)シャワーを浴びる。バングラデッシュに来て以来、はじめてである。

ラジョーさんが、お湯を入れたバケツを持って来てくれる。それを少しずつ水でうめながら、久しぶりに土ぼこりにまみれた身体を洗う。

ああ、ありがたや。今日の夜は念仏会だもんな。さっぱりしなくちゃ。

 そして夜、ミニ年越し念仏会。最初僕は、2、3人でやるのかと思っていたが、十数名も来て驚いた。

そこで最初は、気の体験ワークをしたり、念仏について説明したりした。

その後、1時間ほどお勤めを行い、 終わったあと、お父さんといった感じの人が、“念仏をしていると幸せです”と微笑む。

近くにいた2、3人の人も、そうやな、と言った感じで、うなづいている。、、、僕の心には、しみじみとした幸せ感が広がった。

、、、 念仏を終え、人々が大音量で音楽を流して騒いでいる中を歩く。ふけていくコックスバザールでの大晦日の夜。

僕の心の中には、静けさと幸せがあった、、、。

続く

0

世界の軍事費で出来ること

2012/11/27 Categories: 未分類

世界の軍事費で出来ること

-戦争を止めて、ゲームChari-TXをしよう!-

世界から、毎秒2万5000ドル(約2百万円)が、軍事費のために消えていきます。軍事費総額は、年間で約8000億ドルです。

さて、これだけのお金があったら、果たして人類は何ができるでしょうか?

◯まず、飢餓に苦しむ人は、世界に約8億人。その1年分の食糧に必要なのは、980億ドル。これは軍事費の1/8以下に過ぎません。(国連世界食糧計画)。

◯世界中の難民は、約2000万人。そのテントや毛布は1億ドルあれば足ります。(国連ユニセフ他)

◯世界中の子どもの,ビタミン不足による失明を救うのに必要な額は、たったの0.2億ドルです。(国連WHO)

◯すべての人類が基礎的な教育を受けるのに必要なのは、60億ドルだけで、これは軍事費の0.75%です。(ワールドウオッチ研究所)

◯すべての人類に安全な飲み水と下水設備を提供するのは、90億ドルでできるのです。(ワールドウオッチ研究所)

◯世界中の全女性の妊娠・出産にかかわる保健衛生費は、120億ドルで賄えます。(ワールドウオッチ研究所)

◯地球上のすべての人々が、健康に必要な栄養を摂取するには、130億ドルあれば可能です。(1998年の国連開発計画の報告書)

◯全地球の砂漠化は、87億ドルで防止できるのです。(国連砂漠化防止条約)

それでも全部で、1468億ドルに過ぎません。
6532億ドルもおつりが来るのです。世界にはずい分たくさんのお金があるんですねぇ。

では、そのおつりを何に使いましょうか?

◯世界中の兵器を1720億ドルで廃棄できます。(米モントレー国際研究所資料)
(これには、化学兵器に汚染された地域の環境浄化費 500億ドルも含みます)
※ようするに、アメリカの軍事費のおよそ6か月分で,世界中の兵器は廃棄できるのです。

いやー、まだおつりが来ますね。人類は金持ちだ!

そこで、

◯地雷は世界中に1億1000万個埋まっています。地雷1個を除去する費用は300ドルかかるので、330億ドルかけたら世界中の全ての地雷を除去できます。

ついでに、全ての地雷被害者に義足・義肢などを贈りましょう。約3億ドルあればできます。

しかし、まだまだ無くならない。4479億ドルもあまっています。
では、アフガニスタンを復興しましょう。250億ドルあれば可能です。(UNDP等)アメリカの軍事費の34日分です。

これでもやっと半分だけ使いました。まだ4229億ドルも残っています。そこで、

◯貧困国の全債務(借金)を免除しましょう。貧困国が背負っている巨大な債務がなくなれば、利子に苦しまず、その分を人々の保健や教育,また福祉などの整備に当てられますからね。


「低所得国」61カ国の対外債務は約4210億ドルですから、これでやっと、19億ドルまでに減らしました。

そこでさらに、ソマリアなど「特に貧しくて借金の返済が困難な国(重債務貧困国)」の対外債務(借金)を免除しましょう。これが約2200億ドルもありますから。(と言ってもこれは、3か月と何日間か分に過ぎませんが)

ですから、浮いた軍事費を人類ために有効に使い始めたのが、2012年の12月31日だとしたら、2014年4月8日のお釈迦さまの誕生日には、すべてのプロジェクトが完了します。

人類に智慧があれば、毎年8000億ドル、毎秒2百万円というお金は、人殺しの道具のためでなく、人を幸せに生かすために使うことができるようになるのです。

(サイト/「軍事費でできること」参照)

http://www.osaka-c.ed.jp/ed/h14/kankyou/Security/military/military2.htm

だから諸君、戦争を止めてゲーム(Chari-TX チャリティックス)をしよう!

 

0
Posted in 未分類 |

タオサンガの目的とは?

2012/11/19 Categories: 未分類

人生を芸術にすることがタオサンガの目的である。

なぜなら、念仏と如来の大愛を分かち合うために生きることで、心も生き方も生活も、クリエイティブでエキサイティングなものになるからだ。

いや念仏云々の前に、むしろこう言おう。もし人生が、クリエイティブでもエキサイティングでもなかったら?

私たちは、色あせた日常の中に埋没し、年々老いて朽ちていくだけだろう。そもそも人間存在などそんなものだ。

もし念仏がなかったら? 僕に言わせれば、人は永遠の世界につながるすべもなく、ただ生き、老い、そして死んでいくだけだ。

多くの人は、人生なんてそんなもんだと思っている。永遠の幸福と喜びの世界があるなんて、予感していないから、、、。

もっともそんな人でも、内心、無意識は不安にかられていている。本当はその心の砂漠に耐えられない。

そこで、テレビや映画を見たり、小説を読んだり、買い物をしたりする。あるいは、来年の旅行の計画を立てたり、友人たちと飲んだりする。そうして日常を忘れることに努める。

あるいは、親戚や仕事のことをあれこれ考えたり、日々の雑多な問題について悩んだり、日常の多忙に逃げたりして、生老病死の現実を見ないようにする。

人生なんてそんなものだ、それ以外に何があるんだ、社会で生きることは大変なんだ、そう思って一生を終えるのも、また人生。有限の時間をどう使って、どう人生を終えるかは自由だし、人それぞれだ。

しかし一方ではそうでない人もいる。どうしても、世の中に合わせて生きているだけでは耐えられない、ただ日常に埋没したまま終わるような人生では耐えられない、そう感じて焦燥感にかられている人だっている。

せっかく生きているんだから、有限な人生を芸術にしたい。クリエイティブでエキサイティングなものにしたい。そう切望する人もいるのだ。

そして恐らく、タオサンガでの念仏修行に向いているのは、そのような人だろう。その他、世間では、当たり前のように行われている、無責任な大人のウソになじめない人、また思いやりあるが故に、人生で傷ついて来た人も、またそうだろう。

ならば、こうして出会ったのも何かの縁だ、と思いたい。共に人生を芸術にしようじゃないか。心も、生き方も、生活もアートにしようじゃないか。

シャガールのように美麗に、モーツアルトのように美しく。そして、いつでも全てを捨てる覚悟で、あるいは捨てて生きた、一遍上人のようにかっこ良く。

<一遍上人像>

※朝昼晩と大変密度の濃いーときを、一ヶ月近く過ごしていました。その間、まったくブログが書けませんでした。何をやっていたかは、次回のブログで。(あまり期待されても困るけど)

 

 

 

 

 

0
Posted in 未分類 |

スピーチの苦手な僕が、トークイベントの通訳なんて!(汗)

2012/09/11 Categories: 未分類

「壊された5つのカメラ」という映画がある。パレスチナの非暴力抵抗運動を捉えたドキュメンタリー作品。僕がデモに参加した、ビリン村がその舞台だ。

その運動に共に参加する、イスラエル人のガイとパレスチナ人のイマードという2人の監督が共同製作した映画だ。

この映画は、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭での観客賞・審査員特別賞のダブル受賞を皮切りに、サンダンス映画祭ワールドシネマ監督賞、フランス シネマ・デュ・レエル ルイ・マルコレル賞など、世界各地の映画祭で受賞を続けている。

 さて、それを日本でも上映することになった。そしてNPOユニに、プロモーションのための両監督の渡航費の1部の援助要請があった。パレスチナ在住の日本人を介してである。

NPOユニでは、ガイ監督とも直接やり取りした結果、個人で寄付して下さる方も出て来てくれて、1000ドルほどの援助をすることになった。

そして、この機会に、縮小版(30分)の上映と監督たちのトークイベントをすることになった。場所は、東京タオサンガ道場のある、中野駅近くの公民館。

 そして、、、、成り行きで、なんと僕が出だしのトークと通訳をすることになったのである。(汗、汗、汗)

<中央がガイ監督、左がアマード氏>

<皆さんのおかげで、満員御礼だった>

 なんと言っても僕が一番苦手なのは、結婚式のスピーチ(ドキドキする)とか、LIVEステージでのMC(何話していいのかわからず、立ち往生)等々である。

注※ 東洋医学と仏教の講義は、何とか慣れたのだが、あれにしても最初は、悲壮感ただようほどの使命感があったから、奇跡的にできるようになったのである。

さて、出だしのトークは、「パレスチナ」と聞いてもピンとこない人のために、僕が自分の経験を話した。現地で何が起こっているかを理解してもらうためだ。

また、それを自分ひとりでやることに気後れした僕(タハハ、、、)は、パレスチナ・ナブルスの難民キャンプで会い、共にビリン村のデモに参加した川北さとしさんに来てもらい、彼にも話してもらった。

 

<東エルサレムで、さとしさんと>

<ヘブロンの学校でもチャリティワークショップをやったら、パレスチナ理学療法協会が感謝状をくれた>

<ナブルス難民キャンプ/田中さんと子どもたち>

僕が話したのは、湾岸戦争の時以来、9回イスラエルに行ったこと。パレスチ人居住区の東エルサレムは、テルアビブから、わずか車で40分で行ける距離なのに、そのイスラエルに占領支配され、土地や人権を剥奪されて苦しみあえいでいるパレスチナ人たちの苦しみを全く知らなかったこと。そんな自分が、とても恥ずかしくなったことなどだ。

いかに世界の人々がウソの報道を信じていて、現実を知らないか。その事実を、自分が身を持って知ったこと。そして、パレスチナ人と共に占領反対のデモに参加するに至るまでの、心の葛藤について、などである。

<デモでは催涙弾が飛んで来るので、マスク代わりのハンケチを被着するさとしさん>

イベントの場では、話せなかったこと

デモと聞けば、今は日本の脱原発デモが有名になり、僕もうれしい限りだ。60年代とは違い、警察とも協力し合って、極めて平和的。健康的で大変よろしい、と思う。

実を言うと、ビリン村のデモに参加しようとしていた僕は、思いやりあふれる(?)警告を3つ受けていた。

その1つ目。デモでは催涙弾が飛んで来るから危険。日本人が2人失明した。(実際には、催涙弾が岩に当たってその破片で眼をケガしたということ、と後で判明した)

もっとも、フィー(象さん)というあだ名で、みんなに慕われていた心優しいパレスチナ人が、イスラエル兵による高速催涙弾の直撃で殺されたのは事実である。(またその後、痛ましいことに、彼のお姉さんもデモで催涙弾を浴びて喘息による呼吸困難で死亡している)

<ガスマスクを持っているのは、多分イスラエル人活動家だろう。湾岸戦争の時に、政府が配ったらしいから>

2つ目。イスラエル兵はビリン村のデモ隊に化学兵器を放射しているから危険だ。(実際には、イスラエル軍の放水車が、妙なものが混ざっている黄色くて臭い水を放射していた)

実は、3つ目が大問題だった。それは、「パレスチナ人の少年などが、イスラエル兵に逮捕勾留されると、二度とイスラエルに逆らう気を起させないように、拘置所で拘束された上、独房に男性レイプ魔を送り込まれる」というものであった。

「・・・・。」

いやー、ここまで聞いたら、さすがにひるみましたねー。3つ目まで聞いた時は、正直、蒼くなりましたよー。

“うーん、しかし、ここでシッポを巻いて逃げるという訳にもいかんしなー。”と、ビリン村に行くには、覚悟が必要だった。“ここで安全パイに逃げるなんて、そんなカッコ悪いことできるかよ”と、決心をつけるまで、自分なりにいろいろ葛藤した上での、デモ参加だったのである。

スピーチでは、そんな恐ろしい話までは、肉声で言いたくなかった。それで、パレスチ人たちはとても親切だったという体験を主に話した。デモについては、催涙弾が怖くて葛藤したけど参加した、というところにとどめておいた。

さて、僕のビリン村行きのバス停までの道案内だけをしてくれる予定だったのが、今回、スピーチをお願いした川北さとしさんだった。

 彼が“デモには行かない”というので、ひとり僕が準備をしていたら、突然「やっぱり僕も行きます」と言い出し、イタリア人ジャーナリストのサンドラと共に、デモに参加することになったのである。

<イタリア人ジャーナリスト、サンドラ。お互い、いつのまにか、デモ隊の最前列まで到達してしまった。>

 その後彼は、夜のパレスチナ人村を守るというナイトパトロールの活動までするまでになったのだから、人間というのはわからないものである。

 というところで、彼に話を引き継いでもらった。

<パレスチナの村には、深夜、戦車とイスラエル兵が少年を検挙にやって来る。少年を守るナイトパトロールの国際活動に参加したさとしさんが、その時の恐怖体験を語る。(彼は、東エレサレムでアラビア語を勉強していた)>

 さて、その後の通訳だが、言ってみれば僕のは超訳。(良いか悪いかわからないが)なるべく瞬時に相手の言わんとしていることを理解し、その気持が伝わるように訳すよう努める。

 正直言って、これには自分が話す何倍ものエネルギーが必要だった。質疑応答などで、相手の言いたい所がどこなのかわかりにくい時などは、特にであった。(汗、汗、汗、ふう〜大変、ひぇ〜)

 僕は、“イスラエル人でありながら国籍や利害を超えて、パレスチナ人の苦しみに人間として共感し、活動する心ある人。そんな人と、いつか出会いつながりたい” そう、ずーっと思い続けて来た。だから、イスラエル人監督ガイ氏との出会いは、実りあるものだった。

彼は、仏教にも興味を持っていて、京都のタオサンガセンターの音楽念仏の修行にも参加する予定だった。

それで、京都に来て修行に参加したり、古都の寺巡りなど案内して上げられるようにアレンジした。

彼も京都訪問を楽しみにしていたようだが、直前に東京でのテレビインタビューが入って、来れなくなってしまった。

ガイから来た「残念至極です〜、、、」のメールに僕は、「じゃあまた、京都か世界のどこかで会おう」と返信した。まあ、なにごともご縁ですからね。

皆さんに感謝、そして一人一人の課題とは?

フェイスブックを通じて、援助を申し出て下さった寄付者の方々や、イベントの開催から会場での設営、その他、裏方として動いて下さった方々に、心から感謝したい。

さて、イベントの最後に、ガイ監督が、「パレスチナ問題をどうするかは人類とっての課題である」と言ったが、これは意味深いことばである。

というのは、僕がパレスチナのことに多少なりとも関わり、またこの問題についての人の反応を見て思うことがあるからだ。それは、パレスチナ問題は、「他人の苦しみとどう向き合うのか?」という、私たち一人一人にとっての課題だということである。

<NPOユニで作った、パレスチナ平和的抵抗運動のTシャツ。ヨルダン経由で送られてきた。出資してくれた大久保守晃さんは、僕のかつてのインドの旅仲間である。中央の絵はガンジー>

「最大の悪は、他人の苦しみに対する無関心である」という言葉がある。これを具体的な意味で言い換えれば、パレスチ人の苦しみを他人ごととすることは、チベット人の苦しみ、福島の人の苦しみ、そして米軍基地のある沖縄の苦しみも含めて、すべて人の苦しみを、他人ごとで済ませてしまうことに通じるのではないか? ということである。

※NPOユニのホームページには、より詳しい現地体験記を掲載してある。また、それとは別に浄土宗平和協会の会報に寄稿した記事もアップされている。興味ある方はご参考にされて下さい。http://npouni.net

※また、映画の予告篇は下記アドレスで見ることができる。必見!

0
Posted in 未分類 |

久しぶりの滝行念仏

2012/09/03 Categories: 未分類

3年半ぶりだと思うが、滝行念仏に行った。場所は、南禅寺の奥の院の山を上がったところ。ちょっと願を立てたので、今回は12日間行くことにした。

ところで、苦しい時の神頼みではないが、そんなことで願いごとが適うのだろうか?と思われるかも知れない。実は、僕も最初はそう思っていた。だが、これが思いのほか、霊顕あらたかなのである。

<夕方以降の滝の行場は、雰囲気があり過ぎてけっこう怖い>

体験はいくつかあるが、ひとつだけ例を上げることにしよう。かつて同じ合気道の道場で一緒に稽古していた友人がいた。彼女(ドイツ人)は、とある日本のお寺にお嫁に行ったのだが、子どもがなかなか生まれず悩んでいた。

実は、普通一般の寺は、天皇家と同じで後継ぎ問題がとても重要。(カワイソー)したがって、これがなかなか大変なのである。

 その頃の僕は、よく滝の行場に通っていた。そこで悩める友人のために人肌脱ごうと、誕生日に100本のロウソクが入った箱をプレゼントした。それは、滝場では、願いごとをロウソクに書いて灯すのが作法だからである。(僕の知っている範囲では)

そして「ロウソクに願い事を書いて持っておいでよ。代わりに100回滝に通って祈って来て上げるから。僕にはロウソクに何て書いてあるかはわからないように、キリのようなもので掘ればいいよ」と言った。

人に願いごとを読まれるのはイヤだろうな、となんとなく思ったからだが、よく考えてみたら、ドイツ語で書いてりゃ、病院のカルテと同じで、僕にはどうせわからなったな。

 とにかく100本のロウソクを持って、毎日滝行念仏に行った。そうしたら、何と40何本かで懐妊。僕は、拍子抜けするほどあっけないような気がした。しかし医者には、「奇跡的だ」と言われたらしい。

<一度、ほら貝を吹く人山伏さんがやって来た>

僕はその後も、無事に生まれることを願って、100本まで通い続けた。といえば聞こえはいいが、あっけなさ過ぎて、途中で止めるのも何だかシャクなような気がしたからだ(←何考えとんじゃ、おまえは!)。

さて、ご加護のお陰か、無事男児を出産した。彼女が後で述懐したところによると、妊娠を告げられてから生まれるまで、ずーっと護られている感じがしていたそうである。

 ところで僕は、元々とても寒がりだった。どのくらい寒がりだったか白状しよう。僧侶養成の最後に、加行(けぎょう)という真冬に3週間行われる修行がある。知恩院でのそれは、むちゃくちゃ寒いと聞いてビビった僕は、代わりに東京の増上寺で受けたほどなのである。(うー、なさけなか、、、)

それが何とまあ、滝行念仏に行くようになってから変わった。真冬に雪が降っている中でも、滝に打たれたりするのだから、変わらざるを得なかったとも言えるけど。

雪が降っている滝の行場で、口笛吹きながら服を脱いだりするようにもなった。そんな中、前回の3年半前。1月5日から54日間ほど通った。

 寒がりだった僕のこの変化。そのカラクリを言ってしまうと、ようするにイメージなのである。「雪の中=冷たい=やばい大変だ」というイメージがあるのを、「気合いかければ大丈夫」というイメージに換える(換えざるを得ない)。

 そうなると、まあ平気になる。ただ真冬だと、背中なんかは“冷たい”というよりは“痛い”みたいな感じの時も、ちょっとはあるけど、、、。

 面白いのは、雪なんか降っているときよりは、むしろ3月とかの外が春っぽいとき。えーっ? という風に、逆にキツく感じるのである。きっと、イメージでは春なので、身体は冷たくない水をイメージする。しかし実際には、水は冬と同じように冷たい。そのイメージと実際とのギャップで心身にフェイントがかかり、キツく感じるのだろうと思う。

<今日は、随分と水量が少ないなあ、、、>

滝行念仏では、一瞬にして気合いを入れざるを得ない状況になる。トランス的な精神状態に入ることを余儀なくされる。いやでも集中せざるを得ない。その時の集中力が神仏を呼び寄せ、それが祈願の成就に結びついているのかも知れない。

滝行念仏の際に聖水を造ると、エラく気のパワーが入った癒し水ができる。今度作って、欲しい人に差し上げようかな。

 

 

 

 

 

0
Posted in 未分類 |

3日間、悶え苦しんでうなり、そして少し泣いた

2012/08/30 Categories: 未分類

 “なんか変だな”と最初に思ったのは、ライブが終わったあと、倉庫代わりにしているアパートに音響機材を運んでいるときだった。

汗にまみれ、あまりの重さにへとへとになりながら、機材一式を2階に運んだ。その時、皮膚に妙なものが付いたような、妙にイヤな感覚をおぼえた。

 その後、焼き肉屋「いちなん」の屋上で、バーベキュー・パーティ兼、ゲーム大会があった。そこでまあ、ホストとして、みなさんが楽しく遊べるように動き回っていて、その時は、何も感じなかった。

 寝る前や翌朝から、突然、身体の一部が痒くなり始めた。「?」と思ったが、それでも東京の念仏会のために、新幹線に乗って出かけた。

午後になり、かゆみは増す一方だった。そして、夕方からは全身的に痒くなり始めた。

 果たして、夜にはどうなったか? あまりのかゆみに、マジでうなるほどになっていた。そしてつらく苦しく、とうとう朝まで一睡もできなかった。ついに僕は、そこで白旗を掲げた。京都に帰ったのである。

 治療師のはしくれとしては、実にお恥ずかしい限りだが、この突然の蕁麻疹の発症で、僕は3日間完全にダウンした。途中、あまりのかゆみにのたうち回り、うめき、そしてちょっと本気で泣いた。

<いやー、つらかったス>

ムヒなど全く効かないほどの激しいかゆみ。念仏修行中みたいに身体感覚を消失させると、苦しみは茫漠として来る。だけど僕は、むしろ症状を感じて引き受ける方を選んだ。

 なぜか、まゆさんに温泉化粧水でぴちゃぴちゃ身体を叩いてもらうと、1、2時間は耐えられるぐらいに収まった。そこで症状が激しくなるたびに、うぅーと、うなりながら階下に降りて、そして、うぅー!とうめきながら、日に何度も温泉水でぴちゃぴちゃ叩いてもらった。

これには本当に助けられた。そしてアトピーに苦しむ人の気持が、少しだけわかる気がした。

 食べ物が原因ではない。僕は高校の時にもなったことがあるのでわかる。最初は、一度目の私立高校の時。学校に行くストレスが原因だった。次は、二度目に入った都立高校の時で、これはクスリの過剰摂取によるものであった(タハハ。このときは、眼が開けられないほどひどくなった)

今回の原因もまた、はっきりしている。心身の過度の酷使である。実は、4日後にやっと症状が引いてからも、ついまた長時間に亘っての原稿書きなどで無理をした。そうしたら、またぶり返しそうになり、慌てて自分に誓った。これからは1日3時間以上の原稿書きなどの作業は止めにしよう、と。

 まるで、孫悟空がイタズラをした途端、頭の輪が締め付けられるようなものである。ああ、くわばら、くわばら。

 

0
Posted in 未分類 |

たとえ生きるのが下手でも

2012/06/22 Categories: 未分類

 UNIチャリティフェスティバル(http://npouni.net )に参加してくれた「焼き肉屋いちなん」をやっている孫恵文(そん・けいぶん)さんと、時おり会うようになった。(名刺で名前を見た時に、「何て、かっこいい名前だろうな〜!」と思った。だが、まあそれは、このテーマではないので、ここまでにしておこう)

<孫恵文さん>

 孫さんと会うのは、「サンガキッズクラブ」を始めるに当たって、いろいろ相談するためだ。

 これは、タオサンガやNPOユニに、何らかの関わりのある子供たちが定期的に一緒に遊べる時間を創ろう、というプロジェクトである。孫さんには委員をお願いした。

 僕は、子供が気になる

どの子供を見ても、見るたびに2つの点が気になる。1つは、“ちゃんと愛されているか?”で、もう1つは、“孤独でないか?”である。僕は、20代の頃に幼児教育論を書きかけたぐらいだったから、子供が気になるのは、何も今に始まったことではない。

 子供は、親(または大人)に愛されなければならない。それは、無条件でなければならない。そして、愛情は満たされなければならない。親(または大人)には義務が、子供にはその権利がある。(しかし、心に義務を課すことはできないのが、何ともはがゆいところだ)

 街で子供が視界に入ると、日ごろ愛されているかが気になって、チラホラ見たりする。それで、愛されている顔をしていると(満ち足りた顔をしている)、安心してホッとする。逆だと胸が痛む。(チラチラ見ていたりすると、変質者と誤解されないか、同時に心配でもあるが)

 共通の特徴

 孫さんの店のメニューに「“美味しい!”と言われるより、“安い!”と言われる方が嬉しい変わり者」というような自己紹介が書いてあって、僕は一発で孫さんのファンになってしまった。

 それで実際にお会いしてみたら、“腹に何も持っていず、何とも安心できるお人柄”という印象を受けた。

 ところで、孫さんのことを考えていて、自転車屋さんの安田さん、また印刷の大平さんなど、僕が妙に共有できる部分を持っている人たちにある、共通の特徴は何だろうか? と考えた。

 そしたら、この「腹に何も持っていなくて安心できる」ということではないか、と思った。このような人は、世の中でうまく立ち回ることはできないに違いない。心の中に何かを隠し持ちながら、人とうまくつき合うということは苦手だろうから。

 また、自分がそうじゃないから、心の中に何かを隠し持つ人の気持がわからないのだ。このため、人に騙されたりすることもあるだろう。いや、正確に言うと、もう少し違う。ここで、ちょっと自己分析してみよう。

 騙されながらも信じるのはなぜか?

 誰かが自分を騙していたら、実は無意識のレベルでは見抜いている。しかし、それを認めるのが、どうも「億劫」なのだ。たとえ相手が自分を騙していても、それを認識したり証明したりするには負(ネガティブ)のエネルギーを必要とするからだ。

 信じた方が、たとえ物理的には損でも、霊的レベルでは楽だ。それに、信じていれば、いつかは相手も、改心して変わるかも知れない。そんな淡い希望を抱きつつ、無意識ではわかっていながらも、騙され続けるということになる。

 これは良心的な少年院の教官もそうだろう。また、100年以上前に書かれた“宗教的心理の諸相”(ウイリアム・ジェームス著)にも、「何度だまされても信じ続ける」宗教者についての記述があったから、お人好しは古今東西変わらないのだろう。

<Photo world collection より>

そんなことでは、世間でうまく立ち回ることはできないのかも知れないが、“放っておいてくれ”と言いたい。僕は安心できる人とだけつき合いたい。生きるのが下手なのだ。

 

2
Posted in 未分類 |

ヨーロッパから約1ヶ月ぶりに帰国

2012/05/30 Categories: 未分類

27日ぶりに帰国した。一瞬、肩の荷が下りたような気がしたが、それもつかの間のことだった。

最初の半分はイタリアだった。連日いろいろとやっていたから、ここが終わった時には、あとヨーロッパを二カ所回らなければならないと考えると、気が遠くなるような気がした。

<イタリアで>

ウィーンでは3日目に、イスラエルから来た古い生徒さんに途中で帰ってもらわなくてはならなかった。彼はユダヤ教との葛藤が本人の中で未解決で、それが問題のある態度となって顕われており、周囲に異様な気をまき散らしていた。(彼からはその後、ウィーンの参加者全員に対する丁重な謝罪のメールが来た)

しかしその3日間は、足が、がくがくするほどで、僕は「いやー、もう人生には参りました。とほほ」という感じだった。

 <ウィーンの道場付近>

最後の地オランダは、僕が初めて足を踏み入れた場所だった。美しい国だが、見とれている余裕はなかった。

<みわさんの家で生まれて初めて納豆を食べるアルフレッド(西洋人で食べれる人は少ない)>

<これから食べますよ>

<けっこう、美味しいよ>

<ほら、全部食べましたよ

皆さんタオサンガのワークショップは初めてで、僕は1日目で、すっかりへばってしまった。”ああ、こんなつらいことは、もう2度とできない!”なんて、グチるほどだった。

流れが変わったのは、「仏教と気の幸福力」という一般向けのワークショップをやってからである。
実は最初は、一体何をやったら良いのか? まったく見当もつかなくなってしまっていた。

さんざん迷ったあげく、「般若心経」をからめて、仏教の持つ人を幸福にする力を気で体感できるワークをしようと思い立った。

そして、話し始めて1分、、、。だが、誰一人、般若心経を知っている人がいなかった。え〜!?   どうしよう〜。

それで結局は、念仏を気で体感するワークショップになった。簡単に説明すると、一人が仰向けになり、それを数名で取り囲むように座る。そして利他心を持って、「トラウマの癒し」など様々なテーマで念仏を唱えるのである。

それで仰向けになった人は何を感じるかというと、これが実に不思議なんだけど、たとえ初めてであっても、えも言われぬような癒しや、快さを感じるのである。時には、霊的な体験をする人までいるから驚きである。

このワークショップは、参加者の皆さんが喜びに包まれる中で終わった。そして翌日は、悩みのタネである、「タオ指圧ワークショップ」である。

<オランダ在住のめぐみさん(左)と主催者のみわさん(右)>

<8時過ぎてもまだ明るい。有名な赤線”飾り窓”の裏の道>

<レストランで>

今までタオ指圧のワークショップでは、極力、仏教や念仏と切り離して行って来た。(理由については、和田寺NOW! に連載の「住職に聞く」を参照して下さい)

ところが今回、タオ指圧ワークショップに、先の仏教ワークショップが最初から組み込まれていた。だから皆さん、仏教ワークショップを体験した上で、タオ指圧ワークショップに参加した。

それで僕は、参加者の仏教ワークショップでの体験を元に、タオ指圧ワークショップを行った。そしてこれが、実に効果的だったのである。

と、こう書いても、読んだ人は「ふーん、それで?」というだけかも知れない。が、これはタオ指圧の歴史の中では初めてという、実に画期的なことなのである。

まあこれ以上の説明は控えるが、今後は、仏教や念仏ワークショップを土台にタオ指圧を教えることになる。今回のオランダでの流れの変化は、大きな歴史的なターニングポイントになると思う。

27日間、たった1日しか休みがなかった(その1日も、街のコインランドリーで洗濯に費やしてしまった)が、このターニングポイントを得たのは、実りが大きい。

<ワークショップ主催者のみわさんとご主人>

みわさんのご主人とは、途中から気心も知れて来て、共に和気藹々という感じになれたのも良かった。彼は長年、障害者の施設で働いていた人で、さまざまな豊富な知識を持っている人だった。

実は、今、ヨーロッパのサンガの間では、マスターゲームという遊びが流行っている。流行っていると言っても、僕が始めた小学生レベルのゲームなので、もっぱら僕とアルフレッドの間だけ。よって、まだ普及率は低く書くのは恥ずかしいのだが、、、。

まあどんなゲームかと言うと、マスターというのは先生という意味で、「センセイと呼ばれるほどのバカでなし」という、恥ずかしげな意味がこめられている。

これは実際にやらないとわからないのだが(実際にやって説明しても、何がおかしくて僕らがゲラゲラ笑っているのか、さっぱりわからない人も多い)

例えば、レストランで先に座ったら、「先に座った人はマスター(先生)!」と言われる。マスターと呼ばれてしまうと、負けなのである。

先生と呼ばれると、おしりがムズムズして何とも居心地がワルいと感じるから、マスターゲームが成立する。

そのマスターゲームに、みわさんのご主人もいつの間にか、参戦していた。そこで僕とアルフレッドは、敬意をこめて、彼を「ビッグマスター」と命名した。ははは。ジャイアント馬場みたいに身長が2メートルもあるからである。

 

 <タオのTシャツを着ているビッグマスター>

 

4
Posted in 未分類 |

 イタリア道場のオープニングを終え、ウィーンへ

2012/05/16 Categories: 未分類

 今、ウィーンに向かうため、イタリア・ベローナの空港にいる所。イタリア12日間の滞在中、休む間はほとんどなかった。だから、空港にいる今が、つかの間の休憩というわけ。(もっとも、こうしてブログを書いているのだが)

 イタリア道場のオープニングは、地元の新聞に掲載されたので、それなりに賑わって良かった。楽しかったのは、いろいろと子供たちが来たことだった。

ジェノヴァに住んでいる方で、僕がメールをやり取りした日本人がいらしたが、オープニングのことを連絡していなかったのに、家族で来てくれてビックリ!

僕たちは、こうた君という9歳の男の子と仲良くなった。彼は、センターがよほど気に入ったみたい。“帰りたくない〜”って、午後から最後の夜9時過ぎまでセンターにいてくれた。

<道場開きのお勤め>

<こうた君と僕。同じ顔をして笑っている>

<食事の接待もした>

ところで、下記は治療デモンストレーションの風景である。

<どこが痛いのか、症状を聞いた上で、経絡診断を行い、、>

<治療を始める>

<“一体、どうなることか、、、”とみんな見ている、と>

<“あっ、どこも痛くなくなっています”と言われて、“ホッ!”>

<Graze グラッツエ!ありがとう >

<拍手>

ここまでの時間は、10分ぐらい。しかし、考えようによっては、“猿回しのサル”のようなものと言えなくもないなあ。

 

<こちらでは、子供の治療>

<目が面白いなあ>

 最後の2日間は、タオ指圧の生徒さん限定のワークショップ。受け手に幸運をもたらすには? というテーマ。

 さて、夜ウィーンに着いて、今は翌日。やっと今日1日だけが休み。だが、明日から2日間の、念仏ワークショップの内容を練らなくてはならない、、、。

 

1
Posted in 未分類 |