この澄んだ瞳を忘れることはないだろう

多くの人たちがうまい言い訳を考えて自分の身を守っていく。

けれども僕は、無防備な子どものまま生きている。

 

でもそれって、きっととても幸福なことなんだと思う。

死んでも良いほどの幸福感で、全身が満たされたりするんだから。

 

この幸福感は、宝くじで10億円当たったって得られんな。

まあ良いや、それについて論を展開するのは置いておこう。

 

この幸福感は、長年かけて(人生の半分ぐらい使って)完成した

修行メソッドの成果であることは間違いない。

 

何せ僕は、お釈迦さまが悟りをお開きになった、

このブッダガヤの菩提樹の前で行じながら完成させるつもりで来たのだ。

それがここに来て、やっと最後のパズルが埋まった。

今はその検証作業のようなものをしている感じ…..。

 

何せ、これは人類の誰もが、

悟りの体感に生きることができるようになる

修行メソッドなのだ。

 

ごまかしのない利他に生きる志さえあれば……。

 

そして今日は3日目。

早朝は、英語のスピーチ原稿など様々な作業をした。

午前中は、様々な国の坊さんたちに混って、

幸福感に浸りながら、メソッドの検証。

 

だけどそれを言語化していく作業がある。英語もある

 

何せ他にも、山のようにやらなくてはならない原稿がある。

なので、菩提樹には午前中だけ行って、

昼からは宿で、ほぼ原稿作業に没頭した。

 

そう言えば、

バンコクからインドに向かう飛行機でも、

僕は企画書の原稿作業に没頭していた。

 

離陸でパソコンを開いて作業を始め、

着陸のアナウンスを聞いて「あ、もう着いたか」と

パソコンを閉じたのだった。

 

 

今日は、ブッダガヤに着いて四日目…..。

 

自分の定位置も決まって来た。

その芝生には、小さいテントらしきものの下で

いつも座って瞑想しているベトナム人らしき僧侶がいる。

 

一目見て、僕は彼の体感している世界の深さがわかった。

 

彼も僕の体感している幸福感がわかったのか、

瞬間、心が通じ合ったように、ニッコリと微笑みあった。

 

やはりここはブッダガヤの菩提樹なのだ。

 

さて、菩提樹の周辺の芝生で修行に打ち込んでいたら、

何人かの方がお布施を下さっていく。

 

ベトナム人の信者さん、どこかの国の尼僧さん、

男性僧侶の方、全部で4人の方から。

実は2日目も3日目も、お布施を頂いた。

尊いなぁ…..と思った。

 

ほんとに尊い。何て尊く美しいだろう。

 

お金に汚い人たちが多いこの世界で、

透明で美しい心に出会うと心底ホッとする。

 

今日は、突然、

ベトナム人の尼僧さんが

僕の前でひざまずいた。

 

剃髪しているが、顔を見たら、

まだ少女と呼べるような方だ。

 

彼女は、次の瞬間、僕に五体投地して

幾つかの果物をお布施して下さった

 

僕も五体投地して受け取り、

菩提樹に捧げるように果物を掲げた

 

僕はこの澄んだ瞳を忘れることはないだろう、

と思った。

 

ここで修行している尊い方たちに、

悟りの体感に生きる修行メソッドを、

お伝えしたい。

 

何としてでもお伝えしたい…….

 

僕は、そう思わずにはいられなかった。

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