最後の日は、朝から治療とワークショップをした後、
何と、超過密スケジュールが待っていた。
一体、これは現実か? それともマーヤ(幻影)か!?
まさか、猛暑のインドで最終日に、
地鎮祭などの儀式を、連続5回もやるとは!?
一部を写真でご紹介すると……
<ここ、何か所目だったけ? 暑さのためか、参列者は減っていった>
<アミットさんがこれから運営する、
女学生のための寄宿舎の事務所だそうだ>
<着いたらテープカットが用意されていた…..>
<”所長の机にぜひ座って”ということで座らせて頂いた>
最終日の夜、いつものように2人でビールを飲んだ。
ところで、僕が泊まっていたのは、アミットさんのお母さんの家だ。
3階建てで、部屋が一杯余っている。
アミットさんは、お母さんの前では決してビールを飲まないそうだ。
それで僕が提案し、2人して、隠れて僕の部屋で飲むようになった。
(冷蔵庫からビールを持ってくるときも、隠して持ってくるのだ)
まるで高校生が親に隠れて、悪い友だちと、
部屋でビール飲んでいるような感じである。
(これが、けっこう楽しい)
アミットさんは、”RYOKYUさんがナグプールにいたら、
このムーブメントはすごく大きくなるのになぁ”と言う。
……..”僕も、そんな生活にも憧れるけどね。
でも、世界に向けたプロジェクトが山積みだし、
世界各地の仲間たちも、
それぞれの場所で頑張っているからなあ….”と思う。
そこで、「アミットさん自身がワークショップや
『希望の火声明』を、リーディングできるようにしようよ」と言った。
すると、本人も「ぜひ、そうしたい」と言う。
インドについた「希望の火」の種火が、
これから育っていくことを願わずにはいられない。
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