困難を極めたナチス高官の子孫をめぐる道のり

<写真はパリで講演するヒムラーの孫、ケイトリン・ヒムラー>

 

トルーマン大統領の孫・クリフトンとの出会いを皮切りに、

僕たちは第二次世界大戦中の政治指導者たちの子孫を探し始めた。

 

オーストリアのアリスは、

ナチス高官の末裔でありながら、

平和活動に取り組んでいる人々と会ってみることになった。

 

クリフトンからは、フランクという人物の存在を教えてもらった。

 

日本人である僕は、イスラエル大使館で働いていた友人・ニルの紹介で、

ソ連の北海道侵攻を食い止めた樋口季一郎中将の孫・樋口隆一さんともお会いした。

 

なぜ、イスラエル大使館のニルがきっかけだったのかと言うと、

関東軍時代の樋口中将は、ナチスから逃れて満州とソ連国境で立ち往生し,

凍死寸前だった2万人のユダヤ難民を救出したことで、

イスラエル政府から特別な認定(ゴールデンブック)を受けている人物だったからだ。

 

この救出劇は、当時関東軍の参謀長だった

東條英機の決裁によって実行された人道的支援であり、

いわゆる「ポトポール事件」として知られている。

 

日本政府は、ナチス・ドイツからのユダヤ人返還要請を人道的理由から拒否し、

満州や上海の日本人居住地、神戸などで彼らを手厚く保護したという歴史がある。

 

そこで僕らは、東條英機元首相のひ孫・東條英利さんにも会った。

 

樋口さんも東條さんも、HOPE80の趣旨に深く共鳴し、

参加に前向きな姿勢を見せてくれた。

 

しかし、参加者枠の都合上、一人に絞る必要があった。

 

アリスとも相談したが、「どちらでもいいのではないか」とのことだった。

(ヨーロッパの人々にとっては、どちらの名前もそれほど馴染みがないそうだ)

 

樋口さんはドイツ留学の体験があり、

音楽家で僕とも共通点が多く、明るい人柄だった。

 

しかし戦後、東條家を襲った数々の悲劇を思うと、

僕には東條英利さんを外すという選択はできなかった。

 

それに、歴史の真実を明らかにしたい、という想いもあった。

 

(例えば、開戦当時の日本では、首相に、開戦の権限はなかった。

にも関わらず、「戦争を始めたのは東條英機である」とされ、

開戦の責任を取らされた。あるいは自らその責任を引き受けた)

 

一方、ナチス高官の子孫をめぐる道のりは困難を極めた。

 

彼らの背負う罪悪感は、想像を絶するほど重い。

 

ある高官の孫娘は、自らには何の罪もないにもかかわらず、

「ナチスの血を絶つため」と不妊手術を受け、

子どもを持たない道を選んでいた。

 

あまりにも痛ましい….。

 

そんな平和活動に携わる彼らのインタビュー映像を見ても、

あまり明るい気持ちにはなれなかった。

 

アリスはドイツ・ミュンヘンまで赴き、

ようやく見つけたヒトラーの側近ヒムラーの孫娘にも会った。

 

しかし、希望の火の理念には賛同を得られず、

別の人物を探すことになった。

 

次に、ユダヤ人を救ったドイツ人企業家シンドラーの末裔を探した。

 

シンドラーに子供はいなかった。

 

しかし、調べている内にシンドラーは外に婚外子を作ったという情報を得た。

 

そこで僕らは、ドイツの探偵社にまで連絡した。

 

しかし、「シンドラーの婚外子というだけで名前が分からなかったら探しようがない」

と2社から断られた。

 

HOPE80実現までの道のりは、そう簡単ではなかった。

 

それでも僕たちは、ナチス高官の末裔に出会うため、

あきらめずに手を尽くし続けた。

 

<続く>

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