死んでも良いぐらいの幸福感

「おまえ、もっと楽な人生だって

あるんじゃないの?」

って言いたくなる時もある。

 

だけど、まあ、考えようによっては、

かなり面白い体験をしながら

日々を過ごしている。

 

いま、ここはインドのブッダガヤ。

 

言わずと知れたお釈迦さまが

悟りを開かれた聖地である。

 

お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹の前で、

様々な国から集まった僧侶たちによって、

ティピタカ・チャンティングなる

合同修行が行われている。

 

去年のサンガフォーラムで知り合った

インド人の坊さんに、ずいぶん前から、

何度も誘いを受けたこともあって

来てみたのだ。

 

 

インドに着いた翌日、

とにかく、まだ暗い中(わりと寒い)、

歩いて現地に向かった。

 

そう言えば大昔、

こんな風に「修行に身を呈したい」なんて思って、

深夜の山の中を歩いていたこともあったな、

など思い出したりもした。

 

朝5時半に、集合会場というところに行ってみた。

だだっ広い会場には、

十数名しか人がいなくて拍子抜けした。

 

だが、マイクとスピーカーでお経がガンガンなっている。

 

その後、朝食がふるまわられた。

 

シンプルな食事だが、

これはうまかった。

 

手で食べましたよ〜。

 

スプーンないし。

 

その後は菩提樹のあるところに移動となり、

登録受付のため、わけもわからないまま

色々と動き回った。

 

僕はこういうシチュエーションは

結構好きである。

 

つまり、頼る人が誰もいなくて、

いろいろ動き回ったり、人に話かけたりして

何とか目的を達成する過程。

 

何も保証もないけど、情熱だけある状態。

 

こんな場合は、自分の存在が発している

「気」だけが頼り。

 

出している気が明るいポジティブなものだったら、

必ず最終的には何の問題もないのだ。

 

そして運よく、

若いカンボジアの坊さんと出会い、

彼が手伝ってくれることになった。

 

今回の修行の会は

カンボジアのサンガが主催していた。

 

しかも彼は、修行者の世話係でもあった。

 

とてもラッキーだった。ありがたい。

 

聞けば、デリーの仏教学校の

学生僧侶だった。

何やら遠くのオフィスまで一緒に行き、

途中、小坊主くんの用事などもありながら、

時間はかかったが登録証を発行してもらった。

 

ただ後で分かったのだが、この登録証は、

主に修行者にふるまわれる

食事のためだったようで、

別に朝6時に食べに行かないなら、

特に問題はなかった。

(他に用途はあるんだろうか?)

こうして僕も、

様々な国の坊さんたちに混じって、

菩提樹の前に座った。

 

彼らが唱えているパーリ語のお経の

ローマ字の本も手渡された。

ミャンマーの坊さんが集まっているエリア、

カンボジアの坊さんが集まっているエリア、

ベトナム坊さんが集まっているエリア、

インドの坊さんが集まっているエリアなどもある。

チベットの坊さんはあまりいない。

要するにこれは基本的に、

パーリ語圏の坊さんたち(上座仏教)の

インターナショナルな合同の読経会だったのだ。

https://www.facebook.com/reel/1492503081413668?fs=e&s=TIeQ9V&fs=e&fs=e&s=TIeQ9V

 

(チベット坊さんらはサンスクリット語なのだ。

 

わけも分からずにいるお間抜けな日本人は僕だけだ。

 

そりゃま、そうだ けど ^ ^)

僕は最初、色んなところに潜りこんで

座って唱えたりしていた。

 

ただし僕は、

パーリ語をローマ字で読むのはすぐに諦めた。

 

後方の芝生のスペースで結局、

いつもの声明を一人、

延々と五体投地をやったりしながら過ごした。

2日目には「このまま死んでも良いや」というぐらい、

何だか幸福な気分になった。

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