旅の終わりは、次の旅の始まり

<写真は台湾最後の夜>

 

今日は夜、ライブがあるのだが、

 

その前に、バークレイ音楽院に留学していたという

金持ちのご子息の豪華マンションにお邪魔した。

 

彼も僕と同じく、ニューヨークの学校にも行っていたそうで、。

地元クィーンズの話なんかしてたら、

同じ場所を知ってたりして、ちょっと懐しかった。

 

彼から「湾生」と呼ばれる、

台湾で生まれ育った日本人が

40万人いたという話を聞いた。

 

 

日本の敗戦によって、彼らは難民のように、

日本に「移住」せざるを得なかった。

 

僕は驚いた。

 

今はずいぶん少なくなっているだろうが、

僕は、その人たちと繋がりたい、と思った。

 

彼の専門はバイオリンだが、チェロを披露してくれた。

(バイオリンとは、後でセッションした)

 

 

その豪華マンションの近所に、

旧日本軍が使っていたという、

お座敷宿みたいなところとがあった。

 

「何かあれば、、、」と思って行ってみたが、

う〜ん、、、特になさそうだった。

 

夕方になり、ライブをするところに向かった。

 

山の上に楽器や機材を持って登った。

 

このような時は、念仏などのマントラを唱えると、

一気に楽に登れるようになる。

 

とは言え、何せこの体調である。

 

入国からほぼ10日、半病人のまま、

ハードスケジュールをこなして来た。

 

まったく休まなけりゃ、

そりゃまあそうだろう。

 

(まあ、法体を認識するトレーニングにはなったけど)

 

今回の旅、最後のライブも

諸霊救済の回向になるようにと願って、

僕は必死に務めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おかげで演奏後は、心身が楽になった。

 

(観客もそうだろうと信じる)

 

そして翌日は、台湾最後の日。

 

(ホテルを移動したら、また窓がほぼなかった〜)

 

夕方からは、今回、知り合った原さんが、

お仲間と共に夜市の屋台に連れて行ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

<右端が原さん>

 

この中のお一人の浅田さんという方(原さんの隣)が、

先の「湾生」の会(東京台湾の会)事務局長の

簡憲幸さんという方を紹介してくれ、

月末にお目にかかることになった。

 

あらゆる縁や機会を逃さないようにして来て良かった。

 

翌日、やっと帰国した。

 

 

用事が諸々あったので、関空でなく、

東京着のフライトだった。

 

ただ、帰ったら、

誰とも口を聞きたくないほど、疲れていた。

 

(なので、翌日一日は、休んだ)

 

とは言え、2日後にはスケジュールがあり、

もう動き出した。

 

旅の終わりは、次の旅の始まりである。

 

追記:帰国後、仏教タイムスの板倉記者が

ブログを読んでくれているのを知って、

ちょっと驚いた。

 

 

 

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