霊的存在と生きる(14)霊的回向を世界の宗教の人たちと分かち合う時代

会ったこともないが、

恐らく僕の人生に最も影響を与えたのは、

霊的な法界回向の法門を立てた妙聖師だろう。

 

何せ、人生ズタボロだった19歳の僕を救ってくれたのが、

霊的な法界回向だったのだ。

 

そして、真剣に修行を始めてその3年後には、

圧倒的な宗教体験を得ることができた。

 

本書の前篇で、四種の「悟りの体感」について述べているが、

全てその時の体験が元になっている。

 

また、経絡診断ができるようになったのも、

その霊的体験を抜きにはとても考えられない。

 

ところが、だ。

 

いくつか困ったことが起きたのだ。

 

僕は、妙聖師の弟子だった、

神風特攻隊のパイロットだった僧侶について修行していた。

 

(だから僕は、妙聖師の孫弟子に当たる)

 

ところが、僕の直接のその師匠は、

ある日、爆弾宣言をしたのである。

 

「妙聖師の教えは、

従来の仏教との整合性がどうしても

取れない所があるからやめる。

君もやめなさい」である。

 

そうして、そこのお寺では

霊的回向は行わなくなってしまった。

 

何てこった!

 

「霊的回向はやめなさい」と言われたって、

僕として人生が根本的に変わるほど大きな救いや、

霊的体験、また悟りの体感まで得たのである。

 

だから、本当に困った。

 

妙聖師の教えに基づく霊的回向は、

当時、東京道場や関西のお寺、数か所、

また九州などで行われていた。

 

東京道場では、妙聖師が晩年に結婚した

霊的能力の高い奥さんが導師を勤めていた。

 

僕は、縁あって、当初、

その東京道場で修行していたのである。

 

困ったことの一つは、

当時、二十歳の僕が、その方に、

法門の後継者となることを

期待されてしまったことだ。

 

僕は、どうやってその状況から逃げようかと

必死に画策した。

(同時に期待に応えられないという罪悪感にも、

いたく苦しんだ)

 

そんなこともあって、

僕は、自分を縛らない師匠について行った。

 

そして、従来の仏教の修行のみを

行うようにした。

 

しかし、いくら真剣に行じても、

自分が霊的・法界回向で体験した、

あの圧倒的な宗教体験は再現できなかった。

 

それに諸霊が救済を求めてやって来るので、

心身は重苦しいままであった。

 

何にしても従来の修行では、

霊的な問題に対処できない。

 

「利他行を実践する」という、

理想も実現できない…….

 

 結局、数年後、「自分がいくら呼びかけても、

応えてくれない師匠」の夢を見てから、

どうしても師匠の元には行けなくなった。

 

それによって僕の無意識は、「霊的な法界回向と,

従来の仏教の整合性をどう取るか」という、

妙聖師の課題を一人で背負うことになった。

 

 

(証診断に開眼することで、

「僕は、増永先生が体系づけた経絡治療の真髄を、

どうやって国境と世代を超えて伝えられるか?」

という文化的責任を背負った。

どうも、このことと符号している気がする。

(拙著「<気と経絡>癒しの指圧法」講談社+α新書

をご参照下さい)

 

どちらにしても、

”何でまた自分みたいな者が、

こんな恐れ多いことを…..”とは

大いに思うところだ。

 

それに、師匠「と仰いでいた人の

「君も霊的回向はやめなさい」

というの言葉は、常にトゲのように刺さっていた。

 

しかし、いくら従来の仏教との整合性が

取れない所があるからと言っても、

自分の得た霊的体験や、悟り体感は、

あまりにも圧倒的で、

功徳の大きさは否定できない。

 

だから僕は、悪戦苦闘しながらも、

長年、この課題に取り組んで来た。

 

 

………そして、40年後。

 

僕は、従来の仏教(だけでなく、宗教全般)

との整合性を持った、

霊的回向のメソッドを体系づけることができた。

 

それは、どの宗教の人でも実践することができる、

普遍性や汎用性を持ったものだ。

 

法界回向を行じていた法門は、

組織としては消滅した。

 

しかし、妙聖師が発見された

霊的・法界回向のメソッドとその功徳を、

世界中のあらゆる宗教の人たちと、

分かち合うことができる時代が来たのである。

 

 

 

 

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