霊的存在と生きる(13)霊界話と青春にはどんな関係があるのか?

<写真は、サリンジャーが信奉していたラーマクリシュナ>

サリンジャーについては、本文の最後に出てきます。

 

時代の先を読んで、

霊界についてバラし始めてしまったが、

果たして良かったのだろうか?

 

そう思わないでもない。

 

まあ、何ごとも、

時が来れば理解する人たちは出て来るのだから、

と自分を励まして書いているが。

 

先に述べたように、

これから霊的世界を語る時代が来る。

 

しかし、人々が、自分自身で霊界と向き合う力をつけないと、

結局は、怪しげな教祖のメシの種にされてしまう。

 

各自が自身で霊的な力を身につけて行くことと、

人がカリスマティックな教祖を求める心情

(僕は、これをグルイズムと呼んでいる)

から卒業することは、

同一線状にあると僕は思っている。

 

ついでに述べておくと、グルイズムは、

“自分の人生や未来の責任を放棄したい”という、

ずるさが、元になっている。

 

参考文献としては、

心理学者エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」がある。

 

しかし、自分がタオ指圧を教える過程で

実体験して来たことが大きい。

 

グルになろうとすれば、

いくらでもグルになれた(……と思う)。

 

その場合は、相手が僕に投影するイメージのままに

ふるまうだけで良い。

 

しかし、いくら自分がバカでも、

僕は教祖的になるほどバカにはなれない。

 

それに、それは間違っていることだ。

 

間違ったことは、どうしてもできない。

 

先にも述べたが、存在は全て諸法無我。

 

独立した個など存在しない。

 

ならば、どうして特別なグル(個)

などというものが存在するというのか? 

 

そんな欺瞞は、幼稚園児だってわかることだ。

 

ただし、相手の求めに応じてグルにならないことは、

=好かれないという結果が待っている。

 

なぜなら、それは相手に対して、

”自分の未来は、自分で責任を取りなさい”

というメッセージを出すことだからである。

 

これは、あなたの(自分のもだけど)ズルさを許さない

という厳しさでもある。

 

だから、自分の責任を放棄したい、

グルを求める人から好かれることはないのである。

 

(なので、その精神的厳しさに耐えられない人には

やがて去られてしまう)

 

でも僕は、永遠の青春に生きたい。

 

だから、自分がインチキ野郎になるわけにはいかない。

 

人は自分の欺瞞を許したとき、青春を終えるのだ。

 

あとは、ただ生きているだけの

面白みのない人生が残されているだけだ。

 

世間に魂を売り渡してはいけない。

 

ところで、諸霊の救済などは、

ワークショップなどで実際に体験、

体感して頂くことができる。

 

それらについては、時期もあるし、

どのように表現するかも考える必要がある。

 

(なので、いずれ別章で述べていくことにしたい)

 

<注>

本文中の「インチキ野郎」は、

永遠の青春小説「ライ麦畑でつかまえて」に

出てくる主人公ホールデンの言葉。

「ホールデンは社会や大人の欺瞞や建前を

「インチキ(phony)」を拒否し、

その対極として、フィービーやアリー、

子供たちといった純粋で無垢な存在を肯定。

 

その結果、社会や他者と折り合いがつけられず、

孤独を深めていく心理が、

口語的な一人称の語りで描かれている。

 

解説は以下より

 

 

 

 

 

 

 

著者のサリンジャーは、ラーマクリシュナ

(インドで超宗教の道を教えた人)の教えを

広めていた。

 

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