<写真は、サリンジャーが信奉していたラーマクリシュナ>
サリンジャーについては、本文の最後に出てきます。
時代の先を読んで、
霊界についてバラし始めてしまったが、
果たして良かったのだろうか?
そう思わないでもない。
まあ、何ごとも、
時が来れば理解する人たちは出て来るのだから、
と自分を励まして書いているが。
先に述べたように、
これから霊的世界を語る時代が来る。
しかし、人々が、自分自身で霊界と向き合う力をつけないと、
結局は、怪しげな教祖のメシの種にされてしまう。
各自が自身で霊的な力を身につけて行くことと、
人がカリスマティックな教祖を求める心情
(僕は、これをグルイズムと呼んでいる)
から卒業することは、
同一線状にあると僕は思っている。
ついでに述べておくと、グルイズムは、
“自分の人生や未来の責任を放棄したい”という、
ずるさが、元になっている。
参考文献としては、
心理学者エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」がある。
しかし、自分がタオ指圧を教える過程で
実体験して来たことが大きい。
グルになろうとすれば、
いくらでもグルになれた(……と思う)。
その場合は、相手が僕に投影するイメージのままに
ふるまうだけで良い。
しかし、いくら自分がバカでも、
僕は教祖的になるほどバカにはなれない。
それに、それは間違っていることだ。
間違ったことは、どうしてもできない。
先にも述べたが、存在は全て諸法無我。
独立した個など存在しない。
ならば、どうして特別なグル(個)
などというものが存在するというのか?
そんな欺瞞は、幼稚園児だってわかることだ。
ただし、相手の求めに応じてグルにならないことは、
=好かれないという結果が待っている。
なぜなら、それは相手に対して、
”自分の未来は、自分で責任を取りなさい”
というメッセージを出すことだからである。
これは、あなたの(自分のもだけど)ズルさを許さない
という厳しさでもある。
だから、自分の責任を放棄したい、
グルを求める人から好かれることはないのである。
(なので、その精神的厳しさに耐えられない人には
やがて去られてしまう)
でも僕は、永遠の青春に生きたい。
だから、自分がインチキ野郎になるわけにはいかない。
人は自分の欺瞞を許したとき、青春を終えるのだ。
あとは、ただ生きているだけの
面白みのない人生が残されているだけだ。
世間に魂を売り渡してはいけない。
ところで、諸霊の救済などは、
ワークショップなどで実際に体験、
体感して頂くことができる。
それらについては、時期もあるし、
どのように表現するかも考える必要がある。
(なので、いずれ別章で述べていくことにしたい)
<注>
本文中の「インチキ野郎」は、
永遠の青春小説「ライ麦畑でつかまえて」に
出てくる主人公ホールデンの言葉。
「ホールデンは社会や大人の欺瞞や建前を
「インチキ(phony)」を拒否し、 その対極として、フィービーやアリー、 子供たちといった純粋で無垢な存在を肯定。
その結果、社会や他者と折り合いがつけられず、 孤独を深めていく心理が、 口語的な一人称の語りで描かれている。 |
著者のサリンジャーは、ラーマクリシュナ
(インドで超宗教の道を教えた人)の教えを
広めていた。
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