希望の火が提供する気の世界の学びでは、
様々な霊的体験が得られるが、
その内の一つについて述べておきたい。
人には、目には見えない気のからだというものが存在する。
実はその気のからだには、
それこそ毎秒と言って良いぐらい、
様々な因縁を伝わって諸霊はやって来ることが体験できる。
(この様々な救霊の求めに対して、
アイヌ文化は、
「人間の使命が諸霊を天に送ること」としたのだろう)
もちろん、諸霊はやって来ていることを、
ほとんどの人は気づかない。
だから、”ああしんどいな、疲れたな。
まあこれが生活(人生)というものだろう”と、
無意識に諦めている。
それは年齢と共に積み重なっていく。
そして、心身の不調や重さ、苦しさとなっていく。
やがて病気になる。
人はまさに、「生老病死」を迎えていくのである。
先に述べたように、
様々な因縁を伝わってやって来た救われない諸霊には、
悪霊が随伴している。
そして、これら悪霊は、
人が救霊のために霊的回向しなければ、
抱えているカルマと合一する。
別の観点から言えば、
人がカルマの重力から脱出しなければ、
カルマに捕まり、
それは諸霊や悪霊を引き込むことになるのだ。
だから人は、
カルマの重力から脱出し,
霊的回向を実践するようにならなければならないのだ。
一見、人類は文明が進み、
進化したように見えるかも知れない。
しかし霊的レベルから言えば、
3才レベルにすら届いていない。
(霊的に大人であれば、自分一人の足で立ち、
自分や周囲、
そして世界の未来に対して、
はっきりとした責任を持って生きている)
お釈迦さまは菩提樹で悟られたとき、
”どうせ人類は理解しないから、
この悟りの状態のまま涅槃に往ってしまおう”と思われた。
果たして人類は、
その頃からどれほど霊的に成長したのだろうか?
いつまで虚しく「生老病死」を迎えていくのだろうか。
すぐ近くに光はあるのに。
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