霊的存在と生きる(8)霊的回向の功徳

霊的回向の功徳について考えてみたい。

 

一般には、功徳を「善行の結果」と解釈して来た。

 

”お寺にお参りしたから、良いことがあった。”とか、

”人に施しをしたから、幸運が来た。”などのように……。

 

法然上人も、浄土の世界を観見されたとき、

”念仏の功徳が積った結果だろうか?”と述べられている。(三昧発得記)

 

また、大乗仏教全般から言えば、

修行の最後には、「この(修行の)功徳を衆生に施し……」

と必ず唱えている。

 

しかし、もし霊的回向、すなわち諸霊の救済等を、

最初から目的として行じるならば、

「ウルトラC」的な展開が起こることになる。

 

何せ私たちには、内在の宇宙大霊が存在する。

 

そして今や、これまで体系化されていなかった、

諸霊救済の原理や修行メソッドが、確立している。

(40年もかかってしまったけれど)

 

何が言いたいのかというと、

功徳は、外から頂くものではない。

 

内在の宇宙大霊を発現させ、

それを一切に拡げること。

 

どのように?

 

諸仏菩薩や諸天善神の力を仰ぎ、

諸霊救済等の霊的回向を実践することによって……

 

そして、功徳をもらうものではなく、与える。

 

外からではなく、

内から湧く光や大愛、また歓喜を、宇宙一切に拡げる。

 

そして、諸仏菩薩や諸天善神の触光によって、

諸霊が救済されていく。

 

それによって、功徳が無限に内から湧いていく……。

 

そんな無限向上の霊的世界が展開すること。

 

それこそが、霊的回向の功徳の本質だということである。

 

では具体的には、どのような功徳があるのだろうか? 

 

いや、どのような功徳が湧いて来るのだろうか?

 

 

 

(続く)

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