霊的回向の功徳について考えてみたい。
一般には、功徳を「善行の結果」と解釈して来た。
”お寺にお参りしたから、良いことがあった。”とか、
”人に施しをしたから、幸運が来た。”などのように……。
法然上人も、浄土の世界を観見されたとき、
”念仏の功徳が積った結果だろうか?”と述べられている。(三昧発得記)
また、大乗仏教全般から言えば、
修行の最後には、「この(修行の)功徳を衆生に施し……」
と必ず唱えている。
しかし、もし霊的回向、すなわち諸霊の救済等を、
最初から目的として行じるならば、
「ウルトラC」的な展開が起こることになる。
何せ私たちには、内在の宇宙大霊が存在する。
そして今や、これまで体系化されていなかった、
諸霊救済の原理や修行メソッドが、確立している。
(40年もかかってしまったけれど)
何が言いたいのかというと、
功徳は、外から頂くものではない。
内在の宇宙大霊を発現させ、
それを一切に拡げること。
どのように?
諸仏菩薩や諸天善神の力を仰ぎ、
諸霊救済等の霊的回向を実践することによって……
そして、功徳をもらうものではなく、与える。
外からではなく、
内から湧く光や大愛、また歓喜を、宇宙一切に拡げる。
そして、諸仏菩薩や諸天善神の触光によって、
諸霊が救済されていく。
それによって、功徳が無限に内から湧いていく……。
そんな無限向上の霊的世界が展開すること。
それこそが、霊的回向の功徳の本質だということである。
では具体的には、どのような功徳があるのだろうか?
いや、どのような功徳が湧いて来るのだろうか?
(続く)
最近のコメント