苦渋の決断と御仏のはからい

僕は10年以上前に、「苦渋の決断というのは、

こういうものだったのか」と思うような体験をした。

 

それは、

第一次イスラエル・タオ指圧があった時のことである。

 

そこを運営していた人物のあまりにも大きな問題が発覚し、

果たしてそれを公表すべきなのかどうか、僕は、ずいぶん迷った。

 

しかし、人のことを悪く言いたくはない。

さんざん悩んだ末に、その人物にこう伝えた。

 

「“ENDOは金取り主義者でヒトラーのような奴だ。

本当に悪い人間だとわかったので縁を切った”」

そう、生徒さんたちに言って良いから」、と。

 

そうして僕は、

黙ってイスラエル・タオ指圧の生徒さんたちの前から、

完全に姿を消した。

 

何か問題があれば、とにかく”自分が悪いことにしておいて、

姿を消せばいいか”みたいな手法を取ることが、

僕には時々ある。

 

ところが、だ。

 

それから何年かしたら、

イスラエルの元生徒さんたちから

ポツリポツリと連絡が来るようになった、、、。

 

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<マガリ>

 

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<タマール>

 

 

 

 

 

<アヴィ>

 

そしてなんと、2014年の夏には、

テルアビブでのワークショップを行うことになった。

 

自分が姿を消したイスラエルで

ワークショップすることなんて、

二度とないはずだったのに……

 

久しぶりのイスラエル・ワークショップでの僕は、

おっかなびっくりだった。

 

”以前、生徒さんだった人も来るに違いない……”

 

先に述べたように、

彼らは、姿を消した僕が、

いかに悪い人間かを、

散々聞かされていたはずである。

 

”それなのに、なぜ連絡して来たんだ?

なぜ、僕のワークショップなんか企画するんだ?”

僕には訳がわからなかった…..。

 

 しかし、後に彼らに会ってわかった。

彼らがどれほど、

僕との再会を心待ちにしていてくれたか、を。

 

”聞かされていた話なんか、

まるで信じていなかった”、と。

 

それを聞いて僕は、

何だか、胸が痛くなった。

申し訳なさで一杯になった。 

 

そして今や、

イスラエルの元生徒さんたちが、

イスラエル声明会や、

アースキャラバン中東の実行委員長として

大活躍してくれている。

 

少し前に彼らと、その時の話になった。

 

僕が姿を消す前にも消した後にも、

彼らは、例の問題ある人物に、イジメられていたのだ。

 

僕は、”それ言われると、

今でも本気で五体投地して、

謝りたいぐらいなんだよね〜”

と言った。

 

”黙って消えて悪かった”、と。

 

すると、今や大活躍してくれているマガリは,

涙を溜めて、

”ありがとう……”

と言った。

 

、、、、すべてはみほとけのはからいだったか

(ちょっとした思い出)

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