前回、大乗仏教の修行者たる菩薩は、
「相手の気持ちを察して問いかけ(先意承問)て
ケアーする人だ。
では、”ひっそりと押し黙り、
僕に場を盛り上げさせている”なら、
それは一体、どのようなお方なのか、
わからない、と書いた。
何せ彼らは、時に僕を、”せんせい”と呼ぶ。
しかし僕にしてみたら(内なる太宰にとって彼らは)
前々回のブログで述べたように、
ホストクラブに来た金持ちマダムか、
接待先の社長なのである…..
ようするに僕の状況とは、
”楽しませてくれよ”とばかりに、
神輿(みこし)の上に座っている人を
何年も何年も担いで来た、ということなのだ。
いくら明るい顔をしていても、
もはや、息も絶え絶えである。
”一体、この状況は何なのだ?”
実はこれ、僕にとっては、最大の謎だった。
……..また、これはちょっと切ない話なのだが、
僕は、お互いが相手の気持ちを察して問いかけ、
(先意承問)ケアーし合う、菩薩のコミュニティが
できることを願って活動し続けてきた。
お互いに対しても、
道場に慣れていない人に対しても、
誰に対しても、
そんな風に振舞える菩薩たちのコミュニティ……
それは、ヘレンケラーが語ったように社会を変え、
互いの幸せに責任を持ち合う世界を創るのだ。
僕は、そう信じて来た。
しかし……続く
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