そもそもフェスト(祝祭)というのは、ギリシア時代から宗教的な祭事だったはずだ。日本だって、祭りと言えば神事で、古来から今に至るまでコミュニティの絆を深めるために行われて来た。

もちろん、一見コンセプトがあるようで実はビジネス、というフェスがあってもいいんだけど、その空気、正直言って僕にはしんどい。ウッドストックだって元々の目的は、LOVE & PEACEだったんだけどなー、とか思ってしまう。

あの伝説のフェスティバルWOODSTOCKは、ちょうど僕が、ニューヨークで新聞配達をやっていた中学1年の時にやったのだ。街中に貼られているポスターを見ながら、行けずにくやしい想いをしていた僕だった。1時間半もあれば行ける距離だったのに、、、。

そんな想いが無意識にあったためか、震災のあった年に、このフェスを最初に立ち上げた。まあ、ごたくはこれぐらいにして写真でもごらん下さい。

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今年は2〜3万人の来場者があったようだ。 木の右側にいるのが、事務局長のあぼじさん。

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ウワサのカップル。名古屋サンガのゆうきさんとひとみさん。 このハッピーな空気。僕にはごちそうです。

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新生AMILITAとして復活した僕らのバンド。「音楽を聴いて、背筋がぞくっとするほど感動したのは久しぶりでした」との感想を、車椅子で被災地支援に行っている浜田さんに 言われて、嬉しかったあ!

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 エヘン! ここは僕が考案した戦略ゲーム CHARI-TX(チャリティックス)のブース。一日中、たくさんの子どもたちで大にぎわい。お母さんには、「ウチの子がこんなに集中しているのを見たのはじめてです」と言われるし、実に平和でハッピーな場所でした。知人が、「フェスに遊びに行きましたが、あまりにも楽しそうに子どもたちとゲームをしているので、声をかけずに帰りました」と後でメールをくれた。

そうそう! 2日間で200万円以上の寄付が集まり、各地の人々を支援することができることになった。

皆さんに感謝、感謝!!

 GIVEを楽しむ人たちが集まると大きな力になるんだなー。僕はそんなコミュニティを創るという夢を捨て切れない。

みんな、子どもたちの笑顔を見たいはずだと思う。彼らこそ、僕たちの未来なんだから。ユニフェスについて詳しくはこちらをご覧下さい。

 

 

 

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昨日、博多でのタオ指圧体験講習を終えて、今はまだ博多のホテル。

博多在住のメンバーよっくんと、タイで行うタオサンガ世界大会ではダンスバンドをやる予定なので、その練習をするためだ。

、、、さて、前回のブログの続き。春からの展開をちょっと追ってみよう、、、。

5月の連休には、一大イベント「UNIチャリティ フェスティバル」を開催した。

これは、NPOユニで震災の年から始めた、“こんなのって世界初だよねー”と勝手に自負する、ユニークなイベントである。

どのようなフェスかというと、「出店者の皆さんに、売り上げの50%〜100%を寄付してもらい、みんなで世界の各地に支援する」というものである。

何か、もし実現したら、わくわくすると思いませんか? っていうか、実現しているんですよ〜!

ナンと、今や出店数も100に迫る勢い。開催までは、準備におおわらわだった。

でも、ビジネス目的でやってないためか、大変でも、いつも温かいほんわかムードが漂っている。僕には、この雰囲気だけでも、十分癒しになるぐらいだ。

きっとこれは、企画する側だけでなく、出店参加される方々もそうではないか、と思うんだ。

写真

<ほんわかムードのユニフェス・ミーティング>

そういえば、イタリア語のタオ指圧の本が出版されたんだっけ。イタリア語のは、これで2冊目。イタリアで頑張ってくれているメンバーのためにも、売れて欲しいな、とは思う。

写真 (2)

 

近々出版される「タオ指圧、究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)も進行中。下記はその写真撮影である。

実は、僕はこの本を、タオ指圧関連最後の書籍として執筆した。(というのは、僕はこれからは、仏教や念仏の、不思議な秘密世界をテーマにしたものしか書くつもりはないので)

写真 (3)

<撮影は雨森慶為さん>

写真 (1)

<ピーターもモデルになった>

いよいよ2日間に亘って開催される「UNIチャリティ フェスティバル2013」の当日からのことである。これは次回に、写真でご覧になって頂くことにしよう、っと。




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全力疾走中のため、長らくサボっているブログです。じきに春からのできごとを書きたいと思っております。

なにせ、締め切りのある原稿があります。まず、「タオサンガ」 という無料月刊マガジンでのインタビュー記事や、何でも質問箱の回答(身の程知らずにも!)などです。

締め切りはないけど、「和田寺ピープル」という、ほぼ週刊メルマガ(まぐまぐ)の一口法話もあります。

新刊「究極の経絡メソッド」(ヒューマン・ワールド)の出版に向けた作業もあります。(これは、かなりまさとさんやまひろさん等、周囲のメンバーおんぶししてもらっていますが)

だから、フェイスブックなんかは見ずに、このブログだけをご覧頂いている方からは、“あいつは、どこかに逃亡したのでは?”などと思われていたかもですねー。ふふふ。

サボってばかりで申し訳ないので、メルマガに掲載される一口法話をここに載せちゃいます。メルマガ「和田寺ピープル」の編集者麻呂さん、申し訳のうござんす。

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一口法話

仏教では我を捨てることを説きます。

しかしそれは、形ある何かに対してではありません。

形あるもののために我を捨てるのは、完全な間違いだし、それは、とても
危険なことです。

形あるものとは何でしょう? それは国家だとか、団体だとか、
教祖などです。

そもそも、形ある対象に我を捨てるのは、たましいにおける自殺行為です。

なぜならそれは、崇拝する何らかの対象に、自分の我を投影しているに過ぎないからです。

これでは、人は本当の意味では幸せになれません。

仏教で無我を説くのは、あくまでも形なき法や、宇宙大霊に対してです。

形なき大霊に対して我を捨てることで、幸福の源泉である、大霊が自らに宿るのです。

グルにはまるのは恋愛みたいなものだから、とやかくいう気はあり
ません。

でも僕は、グル的な崇拝対象に従う人を見るたびに、”本当の意味で幸せになる道を選んで欲しいなあ”、ついそう思ってしまいます、、、。

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解説は、またあらためて書きたいと思います。下記は、5月の連休に主催したチャリティ フェスのフォトギャラリー

 

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やることが多過ぎて、とてもブログに手が回らないので、取り急ぎ「ひとくち法話」でもお読み下さい。

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本当の自分探し

そういえば一時、「自分探し」が流行りましたね。

あなたは、本当の自分をどのようなものだ、とイメージしているでしょうか?

 仏教では、 ”すべての人に仏性がある”といいます。

また、”本当の自分は仏である”ともいいます。

 「本当の自分」に対するイメージによって、人の生き方はずいぶん違ったものになると思います。逆に、生き方によって自分に対するイメージも人生も変わります。

 今日申し上げたいのは、あなたが、もし幸せになりたいのならば、、、

決して、本当の自分を価値の低い存在のように思ってはならない、ということです。

潜在意識にも、そう思わせてはならないのです。

 たとえば、よくある“どうせ私なんか、、、”というのは、無意識からのネガティブ・メッセージです。

 その声の言うことに従ってする行動は、後の人生で、”どうせ私なんか、、、”と思うような結果を生んでしまいます。

 では一体どのように、そのような「人生の負のスパイラル」を断ち切ったら良いのでしょうか?

 まずは意識的に、「本当の自分は”仏さまである”」というぐらいに、自分を気高い存在であると思うことです。それがスタート。

 もちろん、それだけでは、人生の負のスパイラルを生む潜在意識のネガティブ・メッセージを黙らせることはできませんよね。連中はうるさいからね。

 自分が気高い存在であることを、自分の潜在意識に刷り込む必要があります。

それには、極力、自分が気高い行動をすることこそが、秘訣なのです。

 ” 気高い行動って、どんなこと?”

逆を考えればわかるでしょ。

「自分の利得にならないことはしない人」は気高い人でしょうか?

「自分の利得になることしかやらない人」は気高い人でしょうか?

 だから気高いと言っても、そんなにおおごとではないのです。

たとえば、電車でお年寄りに席を譲るとか、玄関でみんなの靴を揃えるとか、、、。

 誰に知られることもなく、人々のためになることをする人。

 他の人の喜びを、自分は陰に隠れて楽しめる人。

 自分には何の利得にならないことを黙ってできる人は、気高い人なんです。

 そして、そういう行動を取っていると、あなたの潜在意識はあなたをどう思うか?

あなたを誇りに思うのです。

 潜在意識が、あなたを気高いと認めるのです。

そしてあなたを、気高く幸福な人生へと導くのです。

 さて念仏とは、文字通り「仏さまを念じる」ことです。

 仏さまを念じることによって、”どうせ私なんか、、、”とあなたに思わせて来た、あなたの潜在意識が浄化されます。

 そして、気高い真実のあなた、仏性が顕われます。

 仏さまが顕われるのです。

 仏教は学問でも知識でもありません。

苦しい修行するものでもありません。

 あなたの潜在意識を変えるものです。

あなたの幸福で気高い人生を創造するためのものです。

 

 

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朝から果てなくメールのやり取り。

昨夜、カナダのローレンスに、イスラエルの兵役拒否ネットワークグループのURLとリーダーのアドレスを送った。すると朝メールが来ていて、ぜひユニで彼らをサポートしようと興奮している。

ローレンスは、ユダヤ人のサンガメンバーでで、僕と一緒にパレスチナをまわった人だ。

 僕はあからさまに父性を発揮するということが、まず滅多にない人間なのだが、なぜかローレンスにだけは違う。

 「おい、ローレンス。このプロジェクトは、絶対に誰にも頼らずに、自分でやるんだぞ。

今こそ自分の足でたつ時だ。

責任を持って、イスラエル人のためにタオサンガのドアをお前が開くんだ。いいな。今こそ男になれ!」

などと、芝居がかった口調のメールを送る。

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ローレンス(僕は彼を、なぜかDOG犬と呼んでいる。ゲーム好きなので気が合っている)

 なぜだか、わからないんだけど、何かこう芝居がかった父性で彼に申し渡すのは面白いのだ。(向こうは大マジメというところがさらに)何やら自分が、大岡越前になったみたいな気分。

 その一方、兵役拒否してイスラエルの刑務所に入っていたオフェルというリーダーにメッセージを送る。

「あなたの行為は人間として立派だと思う。あなた方のことを少しでも世界に知らせるお手伝いができたらと思っている」と。

イスラエルで兵役拒否するのは、相当大変なことだと思う。戦時中の日本で兵役拒否することに、多少は近いところがあるかも知れない。刑務所に入れられるし、まともな就職もできなくなる。それでも、パレスチナに行って非人間的な行為に手を染めたくない、と兵役拒否するのは見上げた根性だと思う。

こちらは、アムネスティの記事)

 ところで昨年、NPOユニで交通費の1部をサポートした「壊れた5つのカメラ」の映画監督ガイ・ダビデ氏。彼とは今でもやり取りしている。

 映画がオスカー賞にノミネートされたことあって、今やイスラエルでは(あるいは世界では、かも知れない。TIMEか何かの、表紙になっていたから)すっかり有名人のようだ。

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<左がガイ氏>

が、その後も態度は変わらず、特にブイブイ言わせることもない。僕の“「タオ指圧を学びたい」というイスラエル人に会って、イスラエル政府のやっている人権や土地の収奪の問題を、理解させて欲しい” という依頼には、快く応えてくれる。

 その後、カナダのゆたかさん茂木さんとスカイプで、ゲームChari-TXのオンライン化についての話し合い。カナダのRobも入る予定だったが、、、。

 さらに、UNIチャリティ・フェスティバルに出店するかも知れないという、オマーンからの留学生アザとのやり取り。彼は、ガザからの留学生イヤス氏からの紹介。他にもボスアニアからの留学生も、チャリティ・フェスの参加に興味を持っているとのことだ。

 大学生といえば、バンコクで知り合った大学生アイスが日本に来る。「羽田に夜遅く着くけど、どうしたらいいいの〜?」その前も、日本の写真送って来て「ここに行けるか?」、「どこに行ったらいい?」、「日本に行くなんて、私はもうエキサイトしてるぅ!!!」とか、細かいメールが来る。

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(右がアイス。左がフランスから来たボリス)

僕はこれまで、そのたびに作業をとめて、調べたり返事をしたりしていたのだが、最後にはとうとう「ガイドブックを見ろ」とだけ返事した。

しかし小学校の頃の成績表に「世話好きである」などと書かれた性格は、まだ直っていなかった。羽田に電話して問い合わせたりしているから、、、やれやれ。最後には、羽田で寝る方法を書いた面白いブログを発見して送った。

そうこうする内に、 オランダからタオサンガ・タイ世界大会に参加する人のことで、またまたメールのやり取り。ふぅー。アメリカからもタイ大会の質問が来る。懇切丁寧に説明する。最近は、こんなことばっかりである。

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(中央がアメリカのデボラ)

 でも、これらは事務的な話ではない。各地でタイ世界大会参加受付をやっている彼らが今ぶつかっているのは、人間としての根本問題なのだ。(タイ大会がビジネスだったら、こんなややこしいことは起こらない)

 ややこしい話で申し訳ないのだけど人に何かを与えようとする人間は、必ずそれを受け取る人間のエゴとの直面が避けられない。与える人間は、与えられる人間から、いくつかの反応を受け取る。

 1)感謝し、これに応えようとする。(他に与えるという形で)

2)無意識に、もっともらえないか? と思う

2)“与えられた”という、自分の心の負担を感じないように、“それは当然だ”と思える理由を探す。

 これらが、いろいろなバリエーションになった態度で現れる。

1)ならなんと素晴らしいことだろう。でも、それはたましいが育ってからの話で、通常は、長い忍耐の期間が続くことになる。

 その忍耐中に、相手のエゴに飲まれそうになったり、思わぬ自分のエゴが出てきたりして、それが質問となって、こちらに来るというわけである。

 さて、今書いたのは、メールのやり取りの一部に過ぎず、こうして午前中はつぶれてしまうことが多い。

朝、ゆっくり念仏したり運動したりとかできたら本当は理想なんだけどなあ、、、今のところはまだ夢である。(たまにできることもあるが)

こうしてブログまで書いて、時間はさらになくなってしまった。

 でもなあ。だからといって、それが修行が拙いことの言い訳にはならないしなー。

ああ懺悔、懺悔、、、。

そう思っていたら、バングラデッシュからメール。先生たちの給料がまだ届いていない。来週はラカイン人の正月だから、その前に払いたいんだけど、どうしよう〜?、と。

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<バングラデッシュのラジョーさん>

慌てて、給料の送金がどうなっているのか、ヨーロッパのNPOユニにメールする。じきに届くだろう、との返信。NPOユニで、ラカイン人の村の小学校の先生たちの給料を払っているのだが、今年はヨーロッパが担当している。

ああ、こうして時間がどんどん過ぎていく。1時半になったので、ランチにしようかぁ、、、。

 

 

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 ホントに長い間、ブログをサボっていた。1月の旅ブログでエネルギーを使い果たしたということもある。しかし本当の理由は、自分の生活を人が読んで面白いと思うのかなー? と疑問に思ってしまったからだと思う。

たしかに僕には日常生活というものがあまりない。一人で食べたり、また寝たりすることに時間を費やすのも、何だか時間が惜しいような気がするぐらい、日常生活にあまり関心がない。

 これは、僕が特別な人間というわけではない。いつまでも子供のままで生きているからだと思う。

 ほら、子供ってそうでしょう?  食べなさい、と言われたって、もう寝なさい、と言われたって、面白そうなことやドキドキするようなことだけをやっていたい、というわけ。

 そういえば、引きこもりの人の言葉に、”一日は長く、一年は短く” (感じる)というのがあった。僕は逆で、”一日は短く、一年は長く” (感じる)。いつまでも遊んでいたいので、休もうと思っても、つい走り続けてしまう、、、。

 まあそれはいい。問題は非日常の内容だ。いかに非日常的人生を送っているとはいえ、それが毎日続けば、それもまた日常である。

 わかりやすい例で言えばアジアの旅。旅も1ヶ月を超えるとそれ自体が日常と化してくる。これも不思議だけど、そうなのである。

 だから非日常には生きていても、こんな自分のやっていることを書いて、果たして人が読んで面白がってくれるものなんだろうか? とつい思ってしまう。

 いや思ってしまったのだ。それで、自分を叱咤してまで書こうという気が、まあ失せていたというわけ。

  さて、今朝からやっていたのは、イスラエルの元生徒さんとのやり取り。実は、およそ5年ほど前、僕はイスラエルでのタオ指圧指導から撤退した。それは、とある事情からだが、苦渋の決断だった。

 実は湾岸戦争の年から、僕は毎年のようにイスラエルを訪れていた。そしてそれは9回に及び、時には50人が集まるような念仏会も行い、ワークショップでもそれぐらいの人数は集まっていた。タオ指圧を学んでいた人は、数十人以上はいたと思う。

 もし本当に霊的につながっている人が一人でもいたら、何も言わずに黙って立ち去ることなど、できなかったかも知れない。実は僕は、あえて自分を悪者ということにして去ったのだ。当時関わっていた人物に、“「エンドーは守銭奴で、ヒトラーみたいな悪人」ということにして良いからね”と伝えて。

 と、こう書いても、意味不明でチンプンカンプンだろうと思う。申し訳ないとは思うのだが、詳細について書くことは差しさわりがあるので、お許し頂きたい。

 ところで僕は、自分が悪者になることは、それほど苦痛なことではない。”あんな不良と遊ぶんじゃありませんよ”と、友だちの親に言われるのは、むしろ名誉な気がするからね。ふはははは。

 だって、良い人と思われたら、良い人として振る舞わなければならないから、窮屈じゃありませんかぁ。

 さて、イスラエルから撤退した翌年に、僕は平和教育会議でワークショップを行うため、パレスチナを初めて訪れた。そして中東の真の実態というものを自分の目で見て知った。

 それは、世界のマスコミが伝えていることとも、一般(あるいは右翼的?)のイスラエル人が語っていたこととも、大きくかけ離れているものだった。

 はっきり言って、イスラエル政府がやっていることは本当にエグイ。人間として許せない。では、ヨーロッパ諸国の奴隷刈りは? 植民地化は? 日本の朝鮮半島支配は? みんなエグイ。もちろん同罪である。

 話があちこち飛び過ぎて、申し訳ない。まあとにかく、僕はすっかり、“かつて関係があったイスラエル方面では、自分は悪人と思われているだろうなー”と思っていた。でも、真実はいつか伝わるだろーな、とも思っていた。

 そうしたら5年たって、かつてのイスラエル人生徒が、一人、二人とコンタクトしてくるようになった。“僕はRYOKYUさんを信じている”、と。

 “ふっ、まるで青春ドラマみたいだぜ”、と不良の僕はそんな反応を示す。でもその一方では、せっせと長時間かけて、真剣に応対しているのである。

 例えば彼に出したメール。「中国のチベット支配は悪いと思うでしょ? 日本もかつては朝鮮半島を支配するなどという悪いことをやった。そのカルマを背負う日本人の僕が言うんだ。イスラエルのパレスチナ支配に反対する、と。だから一緒にパレスチナの非暴力独立運動をサポートしよう」とか。

 イスラエル人がタオサンガ活動に参加するのには、2つのことを乗り越えなければならない。1つは、仏教修行をすることは罪だとする、ユダヤ教の足かせという“宗教カルマ”を乗り越えること。

 もう1つは、大多数のイスラエル人が政府のプロパガンダによって思い込んでいる、「パレスチナ支配」の正当性を否定することである。

 これは政治問題などではない。苦しんでいる人を放置するかしないかの問題である。となると、他者の痛みへの共感や利他を標榜するタオサンガ(タオ指圧)にとって、どうしても避けて通れない問題なのである。

 5年たってコンタクトして来た旧タオ指圧の生徒さん。彼は、相当の葛藤を経て、この2つの問題を乗り越えた。

 これでようやく彼を、再び“タオ指圧&サンガ世界大会 at タイ” に迎えることができる。(10年前にも参加していた)本当につながることができる人がこうして生まれることは、心からうれしく思うものだ。自分がイスラエルでは悪人だと思われていると、僕はすっかり思っていたのだが、、、。

※タイ大会のページ http://tao2013.net     サンガWEBグループ渾身の作品です。ぜひご覧下さい。

 

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タオ指圧を教えて来た。
その流れからだが、利他について話すことが多い。
理由は単純である。

自分が受ける側になったときのことを想像して欲しい。
誰だって、自分が患者さんの立場になったらわかることだ。
施術を“飯の種”と思って診ている人よりも、“病気になった子を想うが如く”、親身になって指圧施術してくれる人から受けた方が、癒されるに決まっている。

また実際、そういう人でないと、気と経絡の施術にはならない。
だから僕は、経絡施術をやりたいと思っている人に対して、利他の修行や活動を説いて来たのである。

しかし、これは何も“そうしなさい”という意味ではない。
人様に、何かしろ、というほど自分がエラいなどと、僕は思っていない。

“気と経絡の施術をするなら、日常的に利他の心と行動が必要なんですよね。それが無意識になるには修行が必要なんですよね”と言っているに過ぎない。

言わば、
“魚を釣るなら、釣り竿にえさをつけて垂らしましょう。”
“郵便局に行くなら、そこの角を曲がりましょう。”
“明日は雨ですから、傘を持って行きましょう”
のように、釣りのノウハウや地図、また天気予報などの情報を流しているというに過ぎない。

まさか、交番でおまわりさんに道を聞いて、“あっ、先生!”などとは呼ばないだろうし、天気予報のおじさんを「天気予報の先生!」と人は呼ばないだろう。
先生とは、もっと厳めしくおごそかに、“あなたは何々しなさい”と言うものである。

僕は、タオ指圧を習いに来た人とは、「共通の目的」を持っていると思って来た。それを前提に話しているつもりだった。

共通の目的とは、“気と経絡で人を癒す”ことだし、“最高最善の施療を人に施そう”ということだ。

それには日頃の「利他の活動や修行があると良いですよ」というのは、ボディビルのトレイナーが               “筋肉つけるなら、プロテインのサプリが良いですよ”とか、スポーツトレーナーが、                    “タイムを上げるには、筋トレやりましょう”と勧めるようなものである。

ところだ、だ。なぜかそれを、あたかも僕が“XXしなさい”と言ったようにと誤解されてしまうことが。これまでよくあった。
これにはちょっと参る。

まず僕は、人に何か指図するということがキライである。
それはなぜか? 自分が人に指図されたくないからである。

それに、“人から言われたから”としぶしぶすることで、人が成長することはない。そう僕は思っている。

僕自身が、人に言われて何かをするということは、まずない。(多分、ウチの奥さんはそれで困っているかも知れないが)

だから人に”何かをしろ”というつもりは全くない。
だけど、僕としては、人の希望には責任を感じる。そこで、“気と経絡で人を癒したいのなら、XXしたらどうですか?” と言ってしまう。

くどいようで申し訳ないが、それは、“お酒買いたいなら、そこの道を曲がったところに酒屋があるから、次の道を右に曲がった方がいいですよ”とか言うようなものである。

だから、もちろんこれは指図ではない。ただ、ご本人の希望が叶う方法を知っているのに、アドバイスもしないというのでは、僕としては申し訳ないのでせざるを得ない。

もしその人が掘り出せる宝が、10メートル下にあるならば、“シャベルで掘って下さい”と言うより他はない。知っていながら何も言わないのでは、職務怠慢というよりも人として問題だしなあ、、、。

いやしかし待てよ。もしかしたら、この“XXして下さい”という言葉が問題なのかも知れない。なぜなら、掘っている内に、いつの間にか、“先生に言われたから掘っています”
という風になったりするからだ。

あっちゃー! いつの間にそんなことになったんだろう?、と思う。

“私が一生懸命やっているのに、先生は誉めてくれない”と言われたこともある。
あっちゃー! その人は僕のためにやって下さったんだろうか? 

もし最初から、“先生のために、支援活動やります”なんて言われたら、僕は即座に土下座して、                ”どうか、お願いだから何もしないで下さい”とお願いしていただろうに、、、。

“私、がんばったけど、先生は認めてくれないし、もう役割は果たせません”という言葉を聞いたこともある。

あっちゃー! 僕は人に役割を押し付けるなんていいう、犯罪者まがいのことをいつの間にかしていたんだろうか?

僕は、人からそんなことを言われると、取調室で刑事に、“おまえが悪いんだぞ”と言われているような気になる。僕は、“はい、私がやりました。私が悪うございました”と、思わず言ってしまいそうになる。

しかし待てよ。僕は宝の取り方や美味しい居酒屋の情報を流して、“こんなのどうですか?”と提案しただけである。
それはあくまでも、同じ目的を共有していると思ったからした提案だったのだ。

僕は、「サル蟹合戦」の桃太郎、猿、蟹みたいに“鬼を退治する”という共通の目的を持っているという前提で 、おむすびを配る。

けれど、「言われたからやりました」という気配を感じたとき僕は、目的を共有しているというのは、どうも僕の思い違いだったのかも知れないな、と思う。

なぜなら、言われてする、ということは、やりたくないけど言われたからする、ということに他ならない。

それはたしかに、シャベルで掘るという作業は、なかなか大変だ。
だからと言って、僕があたかも“何々しなさい”と言っているように認識する底には、無意識の不満がくすぶっている。やがてその誤解は、意識的には無意識的にかは別として、僕を怒りの対象とするようになる。

でも、宝は自分の足下を掘らなければ出てこない。
自分で掘り出すという行為を抜きにはできない。
どんなに僕が宝を差し上げたくても、それはどうしても無理なんだ。

自分が吸う酸素しか呼吸できない。
自分が摂る栄養は、自分の歯と胃で咀嚼するしかない。
自分の無意識に眠る宝は、自分の修行と活動で覚醒させるしかないんだ。

だから僕を「先生」と呼ばないで。
僕は、宝の地図と行き方を教える情報屋に過ぎないんだからさぁ。

その代わり、情報が間違っていたら刑期を勤める覚悟はできています。

と、まあ、こんな気持になることもある。

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2013/01/29

また1つドジを踏んだ

ロッブリーからバンコクに戻っても、あまりのんびりする余裕はなさそうだった。

僕は、一向に追いつかないブログ作業に取り組まなくてはならなかった。活動とブログの両立は、そうそうできるものではなかったのだ。

 ところで、ドジをまた1つ踏んだ。僕は22日が帰国日だと思っていた。ところが、だ。何気なくチェックしたら、それは21日の間違いだった。チェックしなければ、22日に空港に行くところだった。

困ったことに、21日はウドンラチャタニで出会った3人と再会を約束していた日だったのだ。

旅の途中で会った3人とバンコクで再会できないのは残念だった。4人で行くチャオプラヤ河のディナークルーズがふいになるのも惜しかった。

仕方ない、とランサンに電話した。電話で彼も、しきりに残念がっていたが、僕が黙って帰らずに、ちゃんと彼に電話で伝えたことを喜んでもいた。

フランス人の日本のマンガ好きの2人にはメール送った。ところが、“それはあまりに残念だ〜、明日の20日に会えないの?”という返事が来た。

結局、翌日僕のホテルのロビーで、6時に彼らと待ち合わせることになった。(この日ランサンは、まだ地方から帰っていない)

お誘いの電話

僕はホテルで、せっせとブログ原稿を書いていた。すると、夕方5時半に電話がかかって来た。なんだ、早く着いたのかな? そう思って受話器を取る。

すると、ボリスが言うには、彼らは今、タイ人の家に泊めてもらっているのだけど、今日は仏教儀式の日で、大勢親戚が集まっている。それでこの家の人が言うには、これからみんなで夕食するから、僕にもこっちへ来ないか、と言っている。だから良かったらこちらに来ない? と、言わばお誘いの電話であった。

これも何かの縁。面白そうなことは見逃さない。これは、僕の人生の指針でもある。僕は、了解、と答え、ほどなくタクシーに乗った。

着いたら、やたら大きな家だった。部屋はたくさんあり過ぎてよくわかないほど。外国人も6人宿泊中で、ドイツ人、アメリカ人などもいた。

<宿泊滞在中の外国人たち>

<アメリカから来たという2人。お互い、近所で育ったそうだ。この他にもドイツ人の女の子がいた>

午前11時から食事が出て、ずっと食べ続け、これからまた夕食だという。

誘ってくれたのは、アイスという大学生の女の子だった。今年は日本に行って、富士山に登りたいそうだ。何だか、タイで知り合いがどんどん増えて来た。僕は、楽しいことはいつでも大歓迎である。

あっちこっちの部屋で、何やらかにやら、やっている。僕らも、あっちこっちの部屋で、いろいろと食べさせてもらった。気のいい両親や、親戚一族の人たちだった。

<アイス。日本に来たいそうだ。イギリスにも語学留学したという>

<ボリスによれば、アイスは優秀な大学生らしい。(タイの東大みたいな所で、さらに優等生)もしかしたら、Tシャツの表情を真似しているのかな? と思ったけど、そんなことないよね>

<みんなで料理できる、大きな台所>

<次々と料理が運ばれてくる>

 

旅が終わる、、、 
夜11時頃、ホテルに帰ってきた。明日日本に帰るんだな〜。
荷物をまとめた僕は、屋台のバーにビールを飲みに出た。バーと言っても、もちろん屋台の値段。1本300円もしない。そしてバンコクは不夜城だ。

バングラデッシュから始まって、いくつものミッションをこなして来た。1ヶ月に及ぶ旅だった。

やっと旅が終わった、というよりも、ああもう終わりか、という感じだった。実は、いつまでも続けたかった。いつまでも漂泊していたかった。

もし叶うことなら、「利他の悲しみ」(下記の注を参照)など、味あわずに済む人生を歩みたい、とそんな気にもかられた。

僕には屋台で風に吹かれて食べる食事と、一杯のビール、そして楽しい人たちとの出会いがあれば、それで良かった。

、、、本当は、いつまでも旅人でいたかった。 、、、。

       ーーー(旅ブログ篇、終わり)ーーー

 注:「利他の悲しみ」は先月書いたブログです。あれから加筆修正しているので、今一度ご参照頂けたら僕はとても嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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一般社会では何の役にも立たない、“旅のサバイバル術”

ちゃんとした睡眠が取れないまま、夜明けを迎えた。主な原因は、蚊の猛攻だった。蚊取り線香を日本から持ってくるのを忘れていた。

もっとも、東南アジアで安宿を泊るなら、日本製の蚊取り線香は必需品だった。ついウッカリしたのだ。

もっとも最初はかゆみの原因が、のみかナンキン虫かと思った。昔の東南アジアの安宿では、かつてそういうことが、ままあったからである。でも、さすがに今はそういうことはないだろうとは思うけど、、、。

余談だが、虫対策の場合には、まず、薄いビニールシートをベッドの上に敷く。その上に持参のシーツを敷いて寝れば、ベッドにいるのみなどが上がって来ないので、バッチリ大丈夫である。

まあ今ここで、こんな旅のサバイバル術の講釈を垂れたところで、聞かされた方にしてみれば、“はあ、そうですか。で?” みたいな話で、何がどうだということもないだろうけど、、、。

朝食後に出発

夜中にあまりにも痒かったので、“もしかしたら、蕁麻疹? そうだったらどうしよう〜”、と一瞬嘆きモードに入りそうだった。

だが、明け方に蚊の羽音が聞こえ、かゆみの原因がわかってホッとした。(←こんなことでホッとする自分が少し悲しかった)だって、ホッとしたところでかゆみが消えて、すんなり眠りに入れるというわけでもないんだから。

結局、まだ暗い内から起きだした僕だけど、 それでも練気2体操のお陰か、普通に元気だった。(皆さん、練気2はお勧めですよ〜)

それで、原稿を途中で切り上げて朝食を食べるやすぐに、宿のおじさんにエイズホスピスの行き方を教えてもらい、パバナプ寺院へと向かった。

目的のパバナプ寺院が歩いて行ける距離だというのは、僕のまったくの思い込みだった。まずはバスでふもとまで行き、そこからモタサイ(バイクタクシー)に乗り換えくては行けない所だった。

ゲストハウスのおじさんは、タイ語のわからない僕のために、モタサイに見せろ、と親切に紙に書いてくれたり、そっち方面行きのバスを停めてくれ、僕の行き先を車掌に伝えてくれたりした。

<中央が親切なおじさん。家族経営のゲストハウス>

市街を出てしばらく走った。近くに来たら、車掌が親切に教えてくれた。田舎の人は親切だな〜。

バスを降りた後は、道でたむろしているモタサイ(バイクタクシー)に声をかけた。そして行き先を伝え、バイクの後部に乗り込んだ。モタサイは、万事了解しているようだった。

モタサイは畑を右手に見ながら、山の上目がけて走り出した。やがて山上の入り口で停まった。どうやらここらしい。仰々しいチェックポイントまであって、門番に、何しに来ましたか? と聞かれる。

上座仏教では珍しい“開発僧”(かいほつそう)

僕が事情を説明すると、門番は電気自動車のカートを呼び、それに僕をに乗せた。そして、事務所まで連れて行ってくれた。何だか、すごい所だなー。

僕が何冊か読んだ、ここに関する本での情報は、約10年前のものであった。本から受けたイメージでは、ここは僕にしてみれば、マザーテレサがカルカッタに創った、「死を待つ人の家」の仏教版というものであった。

実を言うと、まあこういう言い方も何なんだけど、上座仏教(タイの仏教もこれに入る)には基本的に、人を救うという思想がない。(じゃあ、大乗仏教を標榜する日本の寺は何しているんだ?と言われて返す言葉もないだろうし)

/注:大乗仏教とは、人々の救済や利他を修行の目的とする、お釈迦さまの死後500年ぐらいしてから生まれた教えで、チベット、中国、韓国、日本は大乗仏教です。

しかしタイにも、近年になって、民衆に対する慈悲の施しを実践する、「開発僧」(かいほつそう)という人たちがわずかながら顕われた。ここパバナプ寺院にエイズホスピスを創った僧侶も、その内の一人だった。

書籍等によれば、ここは医療差別され、家族からも捨てられたエイズ患者を看取るエイズホスピスだった。寺の中に、独自に施設を創り、安らかに死を迎えられるような看取りを実践しているということだった。

共感した僕は、何かお手伝いできることがあればと思って、NPOユニの寄付を多少携え今回のリサーチを始めたのだった。

何ごとも自分で確かめることが大事

一方では、ここも最初の頃とはずいぶんと変わり、すっかりシステマチックになっている、という話や、いやー、あそこはもう観光地になっていますよ、などというバンコク在住者からのウワサも聞いた。

しかしまずは、実際に現場に行ってみなくては、何ごともわからない。人は良いものを悪く思うこともある。

実はそれ、自分の体験からもわかる。なにせ僕のことを悪く言う人がいることを、僕自身が知っているのだ。(タハハ、とここでけっこう虚しい笑い、、、別に、自分が良い人だなんて思ってはいないけどさ、、、 (☍﹏⁰) 、、、実は涙)

そういう時、僕の頭の中には、一体何が鳴り響くのか? そう、それは昔ヒットした山本リンダのあの曲である。

“ウワサを信じちゃ、いけないよ〜♬。あたいの心はウブなのさ〜♩” (またしても、ふ、ふ古い!。流行ったのは、ニューヨークから帰って来た中学生の頃だったかなぁ。3年ぶりに聴く歌謡曲が、しばらくは懐かしかったので憶えているのかも)

まあとにかく、そんなんで僕は、何ごとも自分でたしかめるにこしたことはないと思って、やって来たのだった。

しかし正直言って、これほどとは思わなかった。

案内してもらう

僕を乗せたカートが事務所に着いたら、中から、患者兼スタッフらしき人が出て来て、応対してくれた。僕は彼に、自分が来た理由を話した。

最初は、この人は僕が来たことを、ちょっとメンドウくさがっているのかな? なんて思った。が、まあそんなことを気にしてもしょうがない。とにかく、彼が案内してくれることになった。

それほど大きな敷地ではないが、案内してもらうと、施設内には、たくさんのコテージがあり、喫茶店やコンビニ、また何と銀行のATMまであった。(後で、なぜATMがあるのか、その理由がわかった)

聞いてみると、現在160人が入居していて、スタッフは25人いる。医者はいないが、看護士はいるという。またHIV感染者で、発病していない人も何人かはスタッフをやっているという。

亡くなる人は月に10人ぐらいで、また現在、85km離れたところに1500人収容のエイズ村を建設中だという。

末期患者の病棟にも案内してもらった。部屋に入る前にはマスクをつけ、消毒液で手を拭かなければならなかった。

患者さんたちは10数名いた。ほとんどが寝たきりで、エイズ患者特有の斑点が身体に出ている人も多かった。

 <末期患者の病棟>

 ベッドに座って絵を描いている人がいたので、近寄って見せてもらった。声をかけ、少し他愛ない話をした。

ただ、マスクをしているし、タイ語が話せないので、盛り上げにくかった。なぜか、部屋の中に犬がいた。

その他、遺体をミイラにして集めた安置室があって、そこも公開されていた。

<ミイラとなるべく、献体された遺体>

 患者の骨を集めた部屋もあった。どの部屋も大きく、きれいで掃除が行き届いていた。ウワサ通り、ここはすべてがシステマチックだった。

ボランティアは受け入れていますか? との質問には、“さあわかりません。申請してみないと”とのことだった。しかしボランティアが入る余地など、あまりなさそうに見えた。

一通り案内してもらった後で僕は、NPOユニからの寄付を置いてきたいのだが、と彼に言った。

バーツ(タイのお金)の持ち合わせが少なかった僕は、施設内にある銀行のATMでお金をおろした。彼は、ひときわ立派な寄付受付専用の事務所に、僕を案内してくれた。

<寄付受付の事務所>

<寄付の祈りが書いてあった>

<案内してくれたマスさん。こちらの気持が伝わったのか、途中からはずいぶん好意的になってくれた>

その後、事務所に戻って、モタサイ(バイクタクシー)を電話で呼んでもらった。チェックポイントで待っている間、大型バス二台が到着し、中から次々とタイ人観光客が降りて来た。

<入り口のチェックポイント付近>

<大型バスから降りて来た観光客たち>

それで僕は、ここが観光地だというウワサの意味を理解した。(タイの観光寺院にATMが置いてあるのは、よくあることだった)

ようするに、ツアーでやって来て見学した大勢の観光客が、寄付のお金を置いていくことで、ここのホスピスは運営されているのだった。もしかしたら僕を案内してくれた彼は、いつもはツアー客を相手にしているのかも知れない。それで、彼が一瞬、個人で訪ねて来た僕をメンドウくさそうに見たのではないかな、と思った。

それは、考えようによっては素晴らしい運営戦略かも知れない。いずれにしても、実際にエイズ患者を看取っていない僕に、何を言う資格があろうか。

バイクタクシーがやって来て、僕はエイズホスピスを後にした。こうして、旅の最後のミッションは、終わった。

<この人力車のおじさんは、“オジサン”と日本語で自己紹介した>

 宿で荷物を受け取り、ロッブリー駅まで行く。歩いても問題なく行けるのだけど、人力車が誘って来たので、おつき合いで乗った。何ていうかさー。愛ですよ。人間、気持に余裕がないとなー。(←おまえ何、エラそうに講釈垂れとるんじゃ)

切符を購入し、列車を待つ間、駅前の屋台でそばを食べた。食べている途中、ふいに先ほど見た、遺体のミイラを思い出して僕の箸は止まった。

この日のランチで、僕は肉を残した。

、、、南無阿弥陀仏。

 

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翌朝僕は、エイズ・ホスピスのある街、ロッブリーへ向かうため、中央駅へ行き切符を買った。出発は40分後だった。

<中央駅/坊さん用の特別待合い席もあるが、普通のおじさんやおばさんも、当たり前にのんびり座っていたりするところが、タイらしくで実にいい!>

<待てども来ない列車を待つ外人観光客>

<列車は大幅に遅れた>

出発予定のホームが変わったりしながら、延々と待たされた。放送がタイ語でわからないので(英語でもあったが、何だかよくわからない)、そのつど、車掌らしき人に確認に行ったりして落ち着かなかった。まあ旅とはこんなもんだ。

ホームに直座りして文庫本読んだり、同じ列車を待つ身の旅行者同士で、他愛もない話をしたりして過ごした。シカゴから来たというインド人カップルの医者がいた。日本にも行きたい、と言っていた。出身はムンバイだという。

<あっ、と思ったら違った>

<とうとうホームに直に座って、文庫本を読む>

ようやく列車が到着したので、乗り込む。列車に荷物を積み込むのは一苦労だったが、昨日からやって来たので、ようやく少しコツがつかめて来た。まあ別に、こんなことがうまくなっても、何がどうということもないんだけど。

列車に乗ること3時間半、ロッブリーの駅に着いた。駅から出たら、珍しくおばさんの人力車が声をかけて来た。

20バーツ(60円ぐらい)だと言うので、まあいいか、と乗った。そしてあらかじめ見当をつけておいた、ゲストハウス(安宿)に行った。

<ゲストハウスに到着。人力車であっけなく、3分ぐらいだったけど。おばさんへのつき合いで乗ったようなもんだから、まあいいか>

部屋代は250バーツ(700円)だから、シャワーもトイレも共同である。運良く、1部屋だけ開いていた。

部屋に入ったら、すでに4時前だった。本当は、すぐにでもエイズホスピスに行くつもりだった。

しかし調べてみると、とても歩いて行ける距離ではなかった。バスとモタサイを乗り継いで行くらしい。

<本日の宿。もちろんクーラーなんてない。写真で見るときれいに見えるなあ。安宿の利点は、近くに屋台街があることである>

暗くなる前にと、僕は水しか出ないシャワーを浴びた。そして街を散策したり、猿に占領されている寺院を見に行ったりて過ごした。屋台のそばも軽く食べた。

またパソコンの電源が壊れたので、街の電気やを回ったら、運良く三軒目にあり、購入することができた。

<この寺は猿に占領されている>

<街のいたるところに猿がいる>

<ヒッチコックのサル版というわけではないが、、、>

<駅付近の寺。見所も多い>

 

  <この寺にも猿が、、、>

 

 <お釈迦さまのお膝元でノミ取り>

 <みんな元気か?>

<ロッブリーは遺跡と猿の街>

ロッブリーの夜

夜は遅めに、やはり屋台のテーブルで、ホッとくつろぎながらビールを飲みつつ食べた。明日のHIVホスピス寺院が、最後のミッションだ。

 

<一人屋台でくつろいで食べる。空芯菜の炒め物、貝、ご飯、ビール。今回の旅、最後のミッションの前夜>

ただし、ブログのミッションはなかなか追いつかない。この時点でも、まだバングラデッシュでの出来事を書いていた。実はブログこそが、僕にとって一番大変なミッションだった。(これ、ほんとのことです、、、)

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