2013/01/25 Categories:

奇遇だな ぁ

500バーツほどの中級ホテル(1300円ぐらいかな?)でチェックインを終えた僕が “あれっ?” と思ったのと、向こうが、“ああっ!”と言ったのが、ほぼ同時だった。

 そこに、ウドンチャラタニの空港に着いて飛行機を降りるとき、荷物のことで声をかけ合ったおじさんがいたのだ。(英語のうまいタイ人だな、とその時ふと思った)

彼が、いやぁ、これは驚いた。どこから来たの? と聞くので、日本から、と答えた。すると、“日本には行きたいと思っているんで、あとで話したいなぁ”と言うので、“じゃあ、夕食でも一緒にしようか?” と提案した。

すると、“でもちょっと、僕の生徒が迎えに来ることになっているんだけど、彼と一緒でもいいかなぁ?”。“そちらが構わなければ”、と僕。“では、7時にロビーで待ち合わせよう”ということで話がまとまった。

 空港でのナゾに挑む

僕がウドンチャラタニの飛行場に着いたのは、その数十分前だった。

右も左もまるでわからない。空港には派手目のリムジンカウンターがあった。しかし僕はそこに何やら、イヤな気を感じたので行かなかった。

代わりに「インフォーメーション」と書いてある窓口に行った。こちらは地味なので、公共っぽい感じだ。

“英語話しますか?”と僕。“少しなら”とカウンター嬢が答えるので聞いた。“タクシーってどう乗ったらいいですか?”  “出口を右に500メートルほど歩いたら良いです。”

500メートル歩くのもダルい。“では、カウンンターあのリムジンっていくらですか?” 。 “250バーツから400バーツ (700円〜1100円)ですね。”

むむっ、やはり高い。礼を言って、取りあえず外に出てみる。

しかし右を見ても、タクシー乗り場みたいなところはない。

そこへ客を乗せたタクシーが来て、客を降ろし始めたので、乗せてくれ、というと、ここでは許可されていない。しばらく歩いてくれ、という。

仕方ないので、リュックを背負い、ギターを片手に荷物を転がしながら歩き始めた。ああ、なぜ自分はいつまでもバックバッカー的体質が抜けないんだろう、、、!?

普通に外国人旅行者らしく、高かろうがリムジンでも何でも乗りゃいいのに。まるでばかじゃん、と自分に毒づきながら、えっちらと歩いた。

 それで少しばかり歩いたが、乗り場などない。ど田舎の飛行場で車もほとんど通らない。

飛行場の敷地から出て、しばらくしたところでタクシーが1台通りかかったので、停めて乗った。

そしてドライバーにあらかじめ見当をつけておいた適当なホテルの名前を言った。着いたら、運賃40バーツ(110円)ぐらいで済んでしまった。

空港リムジンとは金額にして10倍以上の差があったのだ! そのからくりについては後でわかったのだが、ようするに空港内のリムジンはマフィアが仕切っていて、タクシーが客を空港で乗せないようにしているのである。

何のために? もちろん、バカ高いリムジンを使わせるためである。空港も警察も、マフィアからマージンをもらっている。彼ら三者でつるみ、このシステムを維持しているのだろう。

 タイでは、中央駅などでもツーリスト・インフォーメーションという看板をかかげて、旅行者からボルためのセットチケットを販売している。

また、国際空港でも似たようなシステムがあるが、これも同じからくりであろう。(しかし、これも裏技で対処できるのだ)

今回、僕が500メートル歩いて10分の1の金額のタクシーに乗ったのも、きっと裏技に入るんだろうなー。リムジンカウンターを見て何やらイヤな気がしたのは、このことを意味していたんだ。

そしてホテルでチェックインしたら、おじさんと偶然の再開があったのである。

旅では何が起こるかわからない

このおじさんの名前はランサン。大学教授だったが引退し、今は政府の公共運営に関するアドバイザーをしているという。アメリカに12年住んでいたことがあり、博士号も持っているとのこと。

 迎えに来る学生というのは、結局来なくなったそうで、アウトドアの屋台街に2人連れ立って食べに行った。

<50店舗はあるだろうか>

<タイの屋台はくつろげて、僕にとっては最高の場所である>

こうしてランサンと屋台街のテーブルの一角に座った。彼は、ビールとか焼き鳥とかを注文していろいろ気づかってくれる。

二人でくつろいで飲んだり食べたり話していたら、そこに通りかかったバックパッカーらしき白人青年が、“今日タイに着いたんだけど、何を注文したら良いか、よくわからないんで教えてもらえないですか?” と僕に聞いてきた。

それで、じゃあ、一緒に食べようということになった。ランサンも大賛成である。

ということで彼が座に加わり、飲み始めたら、“実は彼女も来ているんだけど、、、”という。僕とランサンさんは、オマエ早く言えよな、という感じで、“じゃあ呼んで来たら”と言い、屋台街のそのテーブルは、4人の宴会場となった。

白人の2人は、案の定バックパッカーで、フランスから来たとのこと。名前をボリスとコラリーという。2人して日本のマンガが大好きで、セーラームーンとかは当たり前に知っていた。

彼などは、ドラゴンボールで育ったというのだ。それどころか、僕の知らないマンガまで、やたらと詳しかった。ひぇーっ!

<左がコラリー/右がランサン>

<優しげな男、ボリス>

<ランサンの注文した料理が次々と並ぶ>

ランサンは、食べ物もビールも機嫌良く次々に注文したあげく、最後には、すべての勘定を自分で持つという、まことに太っ腹な人であった。

結局、またバンコクで4人で会おうということになった。バックパッカーの2人は翌日からバンコクにしばらくいる予定で、僕の帰国前日の21日は、ランサンも地方から帰って来るという。再開はその日に決まった。

ランサンが、“よし、みんなをチャオプラヤ河のクルーズディナーに招待する!”と宣言し、ヤンやの喝采を浴びて、その夜は解散となった。

まったく、旅は何が起こるかわからない。

 続く