2016/11/06 Categories: 未分類

ブログ、ちょっと寄り道して、こんなことを書いてみた。

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カップル・家族についての考察

自己完結カップルが無意識に作る優先順位-

 

 

一体なぜだろう?

見ていて微笑ましく感じるカップルがいる一方、なんだか居心地悪く感じるカップルもいるのは?

 

これはずっと以前から(実は子供の頃から“家族について”)思っていたことである。

一体両者の違いは何なのか?、と。

 

それで最近になって、あることをきっかけにこの問題について言語化してみることにした。

 

(1)

まず、「見ていたら微笑ましいだろうな」と感じるカップルの例を上げてみることにしよう。

 

僕的には、漫画「美味しんぼ」に出てくる山岡と栗田さんのカップルである。

彼らは微笑ましいのだ。

 

 作者が意図して、微笑ましく感じられるカップル・キャラを創っている、とすら感じるほどである。

 

とにかく彼らのカップルとしての行動やただずまいに、僕は「安心感」を覚える。

それらがどんな行動かと言えば、、、例えば、彼らはよく一緒に人助けをする。

 

家出少女を自宅にかくまったりすることもあった。

また、田舎から出てきて東京で迷子になった老婆を山岡が背負い、栗田さんが荷物を持って自宅に連れて来たこともあった。

 

一体これのどこに僕は微笑ましさ、乃至安心感を覚えるのだろうか?

これを考えている内に、山岡と栗田さんが、「人間の優先順位を、自分たちカップル中心に置いていない」ということに気づいた。

 

“私の彼氏が第一、僕の彼女が第一ですぅ”、とはなっていないのである。

つまり彼らは、「自分たちの中に、他の様々な人たちを入れている目線」を持っている。

 

カップル・エゴに陥っていないのだ。

だから観ていて微笑ましく感じるのである。

 

(2)

しかし普通のカップルは、なかなかこうはならない。

カップル・エゴに陥って、優先順位を2人に置いてしまう。

 

そして他の人は、「自分たち以外の人」となる。

2人だけで自己完結し、開かれた関係性が消失するのだ。

 

でも山岡と栗田さんはそうではない。

 家出少女を自宅にかくまう。

 

カップル・エゴに陥らず、家出少女を含めた3人を平等に、

大切な存在として扱っている。

 

迷子になった老婆を、2人して自宅に連れて来ることも同様である。

むしろカップルになったことによって、

さらに利他が広がっているのである。

 

こういうカップルならば、見ていても微笑ましい。

 

(3)

残念ながら、ほとんどのカップルは、カップルとして成立した途端、

自分たち以外の人間の優先順位を下位に置くようになる。(無意識に)

 

そして第三者は、2人によって自分は、優先順位の下位に置かれたことを、

無意識レベルで察知するのだ。

 

だから一緒にいても、なんだか居心地が悪く感じる。

自分は蚊帳の外に置かれたような、疎外感を覚えるからである。

 

(4)

大昔の話で大変恐縮だが、「2人のために世界はあるの〜♩」という歌謡曲が流行ったことがある。

そんなモードになってしまったら、カップルと言っても、それは自己愛の変形に過ぎない。

 

カップルはやがて家族になる可能性を持っているが、家族になってもその延長に過ぎない。

家族愛と言っても、そこにあるのは2人だけ、あるいは家族だけに限定した利他である。

 

自己完結的に閉鎖された、自己愛が変形した家族愛。

だから家族自慢が聞くに耐えないのだ)

 

それは言ってみれば、家族カルトみたいなもの。

他者が居心地悪く感じるのは当然である。

 

このことは、先に述べたように、子供の頃からいろんな家族に感じていたことだ。

(Facebookには、そんな投稿が満載されている)

 

(5)

カップルや家族が、自分たち以外の人間を優先順位の下位に置かないとすれば、

それは、よほどそうならないように意識して、強い意志をもって自分たちを律した結果であろう。

 

しかし実はこれって、本当はどんなことがあっても、やらなければならないことなんだ。

なぜなら、自分たちだけで自己完結してる自己愛カップルや家族は、

真に他者を思いやることができない。

 

だから、たとえ頭の中は「私たち幸福ですぅ」であっても、

心の底から生まれる真の幸福感には至らない。

 

またカルマ的には、いずれ現象として、いろいろと大変なことが起こって来る可能性だって、

十分に考えられるのである。

 

僕が正月をキライなのも、きっとこの辺に理由があったんだな。

正月に、他者を優先順位の下位に置く自己完結カップルや、

家族を観るのがイヤだったんだ。

 

ブログ参照

http://endo-ryokyu.com/past_blog/?p=873

 

追記1

結婚式にはあまり行く機会がないのだが、「私たち幸せになりますぅ、祝福してくださいねぇ〜」モードを観たら、自分の無意識はついて行けないだろうなぁ、とも思う。

 

「皆さんのお陰で結婚できました。ありがとうございます。これからは皆さんから頂いたご恩を、他の人たちに一生懸命お返しして行きます」

         ↑

“こんな風に、感謝と利他の宣言するんじゃないのかよ〜”と、無意識内でツッコミ入れたくなっちゃうかも知れないしなあ、、、。

(もちろん無意識なので、決して口にはしないし、意識にも登らせないように自己制御するだろうけど) ^ ^

 

追記2

 

カップルや家族だけでなく、人の集まりや団体なんかも同じですね。(←引用)

昔から、自己完結した自己愛的な集団には、どうしてもついて行けない。(もちろん個人にも)