2014年10月の記事

テルアビブのデモで驚きの出会いが!

2014/10/20 Categories:

そのホテルにはたった1晩泊っただけで、僕らは午前中にはもう荷物をまとめた。そして、急遽テルアビブに向かったのだ。 

 それは、多くのイスラエル人活動家が集まるであろうデモに参加するためだ。

 また、入国招待状を書き、空港に迎えに来てくれたイランにあらためてお礼も言いたかった。

 

僕らはまずイランの家に行って荷物を置き、夕方にはデモの広場であるラビンスクエア(ラビン首相が右翼のイスラエル人に暗殺された場所)に向かった。 

 

以前からやり取りしていたイスラエル人女性活動家からは、「デモで右翼に襲撃されたら、西側に逃げるように」という情報が回って来ていた。ああ、そうか。やべーな、、、。

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<遠くに見えるのは、デモ隊を狙っている右翼集団。警察がいるので襲撃して来ないが、、、>

 

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<ベレ/キャラバンの協力者の1人>

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<ヒッピーっぽい奴がいると、何か安心するな>

5000人は集まっただろうというデモだった。広場には、歌や踊りをするグループがいたり、ガザの空爆で殺された子供たちの写真と名前を並べているグループもあった。プラカードには、「子供たちを殺すことは防衛ではない!」と書いてあった。

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<踊りと太鼓とグループ/デモに必ず出てくるバンドだという。リーダーと話し合った>

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<「子供を殺人するのは、防衛ではない」と書いてある>

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<「ガザを痛めつけるな」と書いてあるようだ>

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<イスラエルとパレスチナの融和を訴えている>

僕らは運良く会場で、前日のデモで会った、サラにも再会することができた。

そしてサラは会うなり、「来週、火曜日に何人か呼んで、家でキャラバンのミーティングすることにしたわよ」とこともなげに言い、僕たちを、「おお! それサイコー!」と驚かせたのである。(そういうとき、オーストリアでは、なぜか“スーパー!”という。)

デモは熱気に溢れていた。そして以前は、右翼チックなイスラエル人しか知らなかった僕をして、「こんなまともな人々が、イスラエルにも大勢いたんだ!」と感嘆させた。

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<爆撃で亡くなったガザの子供たちの写真を並べている。人の死を悼むというのは、まともな人間として、基本的なことであろう、と僕は思うが>

前の週のデモでは、右翼に襲撃されて怪我人まで出たそうだ。この日は警官隊が見張っていた。そして右翼たちはヘイトスピーチのようなことを叫びながら、デモを睨みつけていた。 

 

僕たちは手分けして、テルアビブで翌週に行う「念仏ワークショップ」のチラシとキャラバンのチラシを配ったり、また参加者に話しかけたりした。

 

さらにデモの主催者にもコンタクトを取ろうとするなど、いろいろと動いていた。

 

会場の中をそうしてウロウロしていると、何年か前に僕のタオ指圧ワークショップに参加したことがある、と言って話しかけてくる人や、中には、イスラエル在住の日本人の方で、拙著を読んで下さっている、という人にも会った。(後日、娘さんが念仏ワークショップに参加された)

 

2時間ほどでデモが終了し、喉の乾いた僕とオリバーは、ビールを飲もう、ということになって、付近をウロウロした。しかし実は、問題があった。

 

2人ともユーロは持っているが、イスラエルの通貨であるシェケルが少なかった。せいぜい帰りのタクシー代ぐらいしかないのである。そりゃまあ、そうだ。

 

すでに一週間ぐらいいる気分とはいえ、昨日着いたばかりなのだ。(かつ、1日中走り回っていて、まともに両替する余裕などなかったし)

うぅ、、、。どうしよう。普通の人ならここで諦めるのかも知れない。しかし、こんなことで諦める僕らではない! (特に、楽しいことはね ^ ^)

 

周囲のビアカフェは、道端にテーブルや椅子を並べている。

そして人々は、ビールを飲んだり食事をしているのである。

 

おお、喉か湧いたぜー。何せ、中東の夏なのだ。

 

で僕らは、何をしたか? 話は単純である。

テーブルに座っている人に、この近くに両替できるとことないですか?と聞いたのである。

 

しかし夜も10時である。

 

「まあ無理だろう」、「遠い」などの返事の中で1人、「じゃあ、僕が替えて上げるよ」と言ってくれた人がいた。やった!

 

それがガイ。聞けばそのグループはデモ参加者であった。

そして僕らは、そのテーブルに一緒に座り、晴れて念願のビールを飲みながら、僕らが来た目的、キャラバンの話をしたのである。

 

皆一様に、こんな時にまあよく来たねー、という感じを話を聞いてくれた。

またグループの中には、リサという人がいた。

 

リサは、パレスチナの活動家に協力なコネを持っているヨガ指導員の人だった。

彼女に、「タメル」というイスラエル人とパレスチナ人の合同の活動団体につないでもらえることになった。また、パレスチナのヨガ指導員にも僕らを紹介してくれるという。おお!

聞けばタメルは今、数日間の合宿をやっているという。

そこで僕らは、パレスチナにほど近い場所にあるその会場に行くことにした。また、その合宿最後の日に行くのがいいだろう、ということになった。

 

(そういえば、後日リサと電話で話したとき、「あなたテレビに写っていたわよ!」と言われ、見てみたらホントだった)

※出てくるのは、4:20ぐらいのところです。http://tv.social.org.il/en/demonstration-against-the-war-in-gaza 

こうしてまた、不思議な縁がつながった。

 

広島からエルサレムまで、祈りと音楽で結ぶアースキャラバン。

これは、途方もないようなプロジェクトかも知れない。

 

しかし、こうして人と人を結んで、何かが生まれていく。

不思議な予感に支えられて1つ1つ、、、。僕らはやり続けるだけだ。

 

明日はハイファに向かう。イスラエル人とアラブ人の合同幼稚園を訪問するためだ。

ここは、ローレンスがやり取りしていたところだ。

 

どんな縁であっても、可能性があれば、全力投球でそこに向かう。

ものごとの実現は、これが原則である。

 

翌日、ハイファでの僕らは、

ハマスのロケット弾を撃ち落としているイスラエルの防空のミサイルの爆破音を遠くに聞きながら、夕食を取ることになったが、、、。


<続く>

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イスラエル人とパレスチナ人の合同デモに参加する

2014/10/03 Categories:

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シェイク・ジャラ、、、。

5年前にパレスチナを旅した時、僕とローレンスがある家族にボランティア指圧をしていた所である。

その家族は、40年間住んでいた家をイスラエル政府に一方的に取り上げられ、マットレスと共に路上に放り出されていた。

このように、イスラエル政府によって不当に追い立てられていくパレスチナ人の家族は後を絶たない。

一方では、当然これに反対する、パレスチナ、イスラエル、国際活動家たちが集まった。

そして一時期この家族は、米国務長官のヒラリーが国連で言及するなど、国際的な注目を集めていたほどであった。

さて、僕とオリバーは予定していたビリン村のデモには行かず、シェイクジャラで毎週行われているという4時からのデモに、M女史に連れられて駆けつけたのだった。

行ってみたら、それは20数名〜ほどの小さなデモだった。

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あれっ?

ビリン村のデモに前回行ったときは、パレスチナ人、海外支援者、イスラエル人で合わせて数百人はいるのではないか、と思われるほどの規模だった。だから、少し拍子抜けした。だが、後で聞くと以前は500人が集まるほど大きなものだったらしい。

デモの大きい小さいは、まあいい。僕らの目的は、仲間探しだったから、問題はデモの規模ではなく”縁”だった。僕とオリバーは2人で手分けして、デモに参加している活動家にキャラバンの話をして回った。

その中の1人に、翌日にはテルアビブで大きなデモが計画されているということを聞いた。僕は即座に、「それに僕らも行くよ!」と言った。

デモのリーダー的存在であるサラとベレという2人の女性活動家たちが、キャラバンの話に興味を話を持ち、熱心に話を聞いてくれた。僕は、彼らならキャバンの中東プロジェクトを一緒にできるのではないか、と思った。

その後も僕らは、熱心にいろんな人にキャラバンの計画について説いて回った。

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<旗を持っているのがパレスチナ人のリーダー。このデモを続けているためだろうが、7ヶ月間とか刑務所に入れられることになったと聞いた>

 

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<「今のイスラエル政府がパレスチナ人にやっていることは、かつてナチスがユダヤ人にやっていたことと同じ」。そういって僕たちを驚かせたイスラエル人活動家のベレ>

 

ミサイルが飛来するこんな時期に、遠く日本やヨーロッパから来た、能天気で熱い連中と思われたのかも知れないなと、ふと僕はそう思った。(「こんな時によくまあ来たね!」というのは、その後も何度か僕らが耳にしたセリフだった)

デモが終わった後は、東エルサレムまで戻り、ドキュメンタリー映画作家の古居みずえさんと合流して食事した。エルサレム旧市街を少しうろつき、イエスが処刑されたゴルゴダというところの前で座っていると、もう頭を上げていられないほどの眠気に襲われた。

 

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<イエスが処刑されたゴルゴダの丘の跡地>

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<旧市街(パレスチナ側)の雰囲気が僕は大好きである>

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<迷路のようである>

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<“ラマダンが終わったんだ。食べて来なよ!”と誘われる>

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<ダマスカス門は美しい>

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 <常にパレスチナ人を監視するイスラエル兵>

 

顔を上げていられないほど眠くなったのも無理はない。緊張し切った状態でタイの空港に行ってから、一睡もせずにすでに数十時間は経っている。入国してすぐ僕らは追い立てられるように、あっちこっちを動いて、今やっと座ったような状態だ。

安息日(金曜日)のため、もう市電の最終も終わっていた。僕らは、ずーっと歩いてやっとホテルへ戻ってきた。ああ、やっと休息が取れる。

先ほど「明日、テルアビブのデモで会おう!」 と言って、サラとベレと別れた。

実は、翌日デモで出会ったサラは、意外なことを言って、僕らを驚かせた。その意外なことというのは、、、。


<続く>

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