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怒濤の3日間/イタリア(2)

2012/05/11 Categories: 未分類

 イタリアに来た目的は二つあった。ピザとワインである、なんて言えたらいいなあ、、、。

 実際には、タオ指圧イタリアが去年も参加した、「チェリシマ」というイベントを手伝うこと。イタリアの道場開きを行うことである。

先の「チェリシマ」は、東洋医学やらニューエイジやら武道やらがごちゃまぜになった見本市みたいなイベント。

 18畳ほどの一室で、数名が一日中タオ指圧のチャリティ治療を行う。チャリティのテーマは、東北震災支援とバングラデッシュのラカイン村に新たな学校を開校することである。

チャリティであっても、「受けた人全員の症状を確実に取る」という作戦で行った。

 さて、イベントがオープンした金曜日。ジョバンニというイベントの主催者を見ていたら、気の毒になるほど、会場は閑散としていた。彼は申し訳ながっていた。ところがどっこいである。なぜかタオ指圧の部屋だけは、人が切れることはなく、いつもみんな忙しく動き回っていた。

 それはそうだよね〜。ビジネスブースばかりの中で、ここだけはチャリティ。しかも症状を、責任を持って取ってくれる所なんだから。

<会場準備の手伝い/アントニオはプロの家具職人でもある>

<オープンしてすぐに人が来始めた>

<3日間、1日中忙しかったタオ指圧ルーム>

<ローマ在住の野宮氏が通訳する/英語を話す人が少ないイタリア>

<つかの間の休憩>

<何だかビジネスっぽくて冷たい感じ>

<1階の会場>

<見学者も多かった>

 

 一方、僕には、治療デモンストレーションというお役目が待っていた。これは、別の大広間で行う。まず会場全部に、「どこか痛みなどの症状がある人は、集まって下さい。マエストロRYOKYU ENDOが治します」とか、放送されちゃうわけ。しかも1時間というスケジュールである。まあ、水族館のイルカショーみたいなものである。やれやれ。

 もっともこれは、イタリア・タオサンガのロリダナとアントニオを応援するために、自分が言い出したことでもある。まあ自業自得と言えばそれまでだが。

 それで、説明を交えながら、来た人をどんどん治療していった。中に、は五十肩の典型的な「脾実・大腸虚」の証もおじさんもいたし(この人は、すぐに症状が取れて、腕をぶん回しながら、喜んで帰って行った)、五歳の時から呼吸が浅くて鼻が通らないという女性もいた。

 この人の証は肺虚で、出産の時に産道で胸椎1〜3番が陥没気味になったのが原因と診た。経絡治療で呼吸も深くなり、ある程度は鼻も通り出したので、“もっと良くなるはずだから”と、継続的な治療をお勧めした。

 治療デモンストレーションをやる前には、“その場でもし治らなかったら、、、、”という不安がかすめる瞬間がある。でも結局は、そんなこたあ、どうでも良くなってしまう。

そして、ただ経絡と遊び戯れることになる。やがて、何人治療したかもわからなくなった。

 途中からは、ロリダナに治療すべき経絡やツボを指示して、彼女に治してもらったりもする。タオ指圧は誰がやってもタオ指圧だから。

 まっ、これもイタリアのタオ指圧が人に知られることで、その結果、仏の道を歩む人が増えるように、という願いで行っていることだ。

 そこから生まれる無上の喜びを知っているからこそ、こんな大変なことを続けていられるんだろうなあ、と思う。

 治療デモンストレーションは1日2回。回を追うごとに人が増えて行き、最後は講堂が一杯になった。「声が出ないんですけど、、、」なんてかすれ声で訴える人も出て、こりゃ困った、どうしようかな〜、なんて弱気にもなったが、気道付近の虚を一生懸命取ったら、50%ぐらい声量が回復して、ホッと一息。

その他、いろいろドラマティックな一幕もあった。写真をごらん頂けなくて申し訳ないが、ビデオをアントニオが撮影してくれたから、その内、YOU-TUBEにでも、アップすることにしよう。

 治療デモンストレーションだけでなく、タオ指圧治療ルームの方も、みんな明るく活気があった。他のブースはシーンと冷え冷えしているので、帰ってくるとホッとするような温かさを感じた。

 タオ指圧を受療された方には、コメントを書いてもった。訳してもらったら、「こんな凄い治療は受けたことない!」とか、「生まれ変わったようだ!」とかで、とてもうれしい内容ばかりであった。イベント全体の中でもウワサになっているようで、他の治療法のブースの人なんかも治してもらいに来ていた。

 僕がうれしかったのは、10歳ぐらいの男の子を治療したとき。ものごころついた時から、いつも腕に力が入らないと言っていた。それが、2日間の治療で、すっかり良くなって、ニコニコしながら腕を動かして見せてくれた。おばあちゃんに連れられて来ていた、利発そうな少年だった。

 夕食は、毎晩9pmに、ピザのチャンピョンの店に。それにしても、3日間、朝から晩まで、皆で一丸となってよく動いた。

これだけの絶大な治療効果を、しかも無報酬で多くの人に与えることができるメンバーがいるということ自体が、タオサンガにとって、大きな財産だと思う。

 イタリアのタオ指圧のピュアながんばり。そういう行為を見るのは、とてもうれしいことだった。

無私の心こそが人に感動を与える。

本物はここから生まれるのだ。

<治療体験には、数々のコメントが寄せられた>

<3日間が終わって、ホッと一息>

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イタリアで迎えた朝/LIFEは生活か人生か?

2012/05/06 Categories: 未分類

いつもの湖畔のホテルで目が醒めた。取りあえず今日は、何も考えなくても良いので、ホッと解放的な気分をしばし味わう。

<湖の前で朝食>

アントニオたちがお昼に迎えに来てくれて、自慢のスパゲティとワインでランチ。これがレストランより美味しいので、びっくりである。

夜は、レストランに行ったら、そこは偶然、ピザで優勝した店で二重にラッキー〜。

 アントニオ。英語を全然しゃべらないのに、なぜかいつも会話の中心にいるという不思議な人。

<量の多さに、たじろぐ>

 

ところで本ブログとは、全然関係ないのだが、英語でライフLIFEと 言えば人生という意味もあれば生活という意味でもあり得る。

僕は、生活をものさしにして考える人と、 人生をものさしにものごと考える人の二種類があると思っている。

 生活をものさしに考える人にとって大切なのは、地位だったり家だったりお金だったりする。人生で考える人は、生きることに美的なものを求める。

そんなに分けられるものなのか? という反論が出るかも知れないが、分けられる。

人が選択を迫られた時に、どちらでものを考えているかが、その行動にはっきりと出るからだ。

 人間の生活なんて、見た目は違っても実際には似たりよったりだ。いずれは朽ちていくものが土台なんだから。

でも、人生は違う。美しい人生もあれば、キタナい人生もある。それは豪邸に住んでいるとか、着飾っているとかの、見た目の美しさなどではない。選択を迫られた時に現れる行動が、かっこいいか、かっこワルいか。粋か粋でないか。それが、ここで言う、美しいかキタナいかである。

そして生活は、所詮生活に過ぎないが、人生は生き方次第でいくらでも芸術になり得る。人が感動するような行動があれば、その人生自体が立派に芸術ではないか、と思う。

目先のお金や物や、自分の都合のために人の信頼を失うような行動もあれば、たとえ損をしてでも、どんな小さな約束でも大事に守っていく。そんなことを行動基準としている人もいる。

どちらがキレイかは、考えるまでもない。

僕は、たとえ地を這い回ってでも、なるべく粋な人生を、人と共有することを願って生きたい。

 

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NPOユニ、ついに仏舎利塔を修復す/バングラデッシュ3日目

2012/02/07 Categories: 未分類

 無惨な状態の仏舎利塔を見せられたときほど、イスラム教国に住む、少数民族仏教徒の悲哀を感じたことはなかった。

 仏教に敬意を払わない周囲のベンガル系住民に荒らされ放題だった仏舎利塔を見たのが4年前。その時から僕は、“いつかは修復して、ここに住むラカインのみんなの喜ぶ顔がみたい”と願って来た。

 コックスバザールの仏舎利塔群は、丘の上にあって360度、とても見晴らしが良い。ちゃんと整備すれば、聖地公園になり、人々の憩いの場所となるだろう。だけど、ここの大切さを理解できない人たちに汚されたりして、荒れ果てていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

<きれいになった仏舎利塔>

 そこで昨年から、思いきってNPOユニで修復整備の工事を始めた。そして修復記念式典が行われるのが、今日この日だった。

 ラジョーさんが私費で雇っている仏舎利塔の世話係の人たちは、今日のセレモニーのため、昨日から忙しく働いていた。下のお寺の広大な土地は、ラジョー氏の祖父が寄進して、お寺まで建てたという。

 何せかつては、この辺りの土地のほとんどを、ラジョー氏の家が所有していたという。彼は、そういう家系に生まれた人だった。ようするに太宰治とか、シッタルダ王子とか、鳩山由紀夫さんのように、“お坊ちゃま”だったのだ。(お坊ちゃまの良い点は、お金に対する執着が少ないので、信頼できるところである)

 さて、お坊ちゃま論はこのぐらいにして話を戻そう。

 朝のセレモニーの後は、来た人々皆に、朝食やお茶の接待をするという。テーブルやたくさんの椅子なども、みんなで丘の上まで運ばなければならない。なかなか大変そうだ。200〜300人分の料理やお茶も運ばなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

<丘の上から見える景色>

聞けば、ラジョーさんは200軒のラカイン人の家に、今日の記念式典のことを一軒一軒、知らせて回ったそうだ。少数民族だから、回覧版なんていう便利なものもないのだろう。

 それで、どうやら準備作業が終わったのが、深夜の1時半とかだったらしい。泊ってほぼ徹夜で作業した人もいるとのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

<皆、忙しく働いている>

 セレモニーは、朝8時から。僕も僧衣に着替えて出かけていった。まゆさんと3人で朝日の下、丘の上を登っていく。ラジョー氏も、今日は神妙な顔をして口数少なく、木魚なんかを持って歩いている。

 着いたら、もうすでにたくさんの人々が集まっていた。皆、本当にうれしそうである。笑顔でしてくれる挨拶には、感謝がこめられているようでいて、心が温まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<念仏道場>

儀式は、念仏道場として使うことになっているお堂で行われた。最初に、タオサンガ式のお勤めで儀式を行う。念仏会に参加している人は一緒に唱和する。その後、ラジョー氏が挨拶し、仏舎利塔が修復されるに至った経緯を簡単に説明する。(彼も照れ屋なので、本当に一言で終わってしまった)

 

 

 

 

 

 

 

 僕にも“何か話しますか?”と聞かれたが、「みなさん来てくれてありがとう」だけで済ましてしまった。(ここぞとばかりに演説始めるなんていうカッコ悪いことはしないのだ。小学生が遠足行くときのコーチョー先生じゃないもんね)

 その後、下のお寺からラカインの僧侶が2人来て、今度は上座仏教の儀式を行った。

 2つの式典が終わった後、来客にお茶と朝食が接待された。丘の上で見晴らしも良く、皆でニコニコと食べている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<食事の接待>

そういえば、3年前、あまりにもキタナかったので、ラカインの学生たちも集めて、ヨーロッパ、カナダのユニメンバーたちと一緒に、皆でここを掃除したのだった。

 ただ掃除しただけだから、当たり前なんだけど、それでも、ちゃんときれいになったとは言えなかった。それが今は、すべての仏舎利塔がリフォームされ、本当にきれいになった。丘の上に座って仏舎利塔群や周囲の景色を眺めているだけで、とても気持が良い場所になったのである。

 もっとも僕たち3人(ラジョー氏、まゆさんと僕)は、すぐにさらなる整備について話し合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

周囲をお花畑にしよう。そのために井戸を掘りポンプを設置し、トイレも造る。そして、ここに簡単な軽食も出せる屋外喫茶店を作ろうではないか、と大いに盛り上がる。NPOユニの夢は尽きないのだ。

 お客はその後も、次々とやって来ては修復され、リフォームされた仏舎利塔を楽しみ、食事の接待をされては帰って行った。用意した食べ物やお茶もほとんど無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<子供たち>

仏舎利塔でお昼まで過ごした後は、ラジョー氏の家でランチを頂く。

 一休みした後はセンターに行き、デスクなど備品の買い物。

 その後はセンターで、毎週京都で行っているダルマトーク(法話)のネット配信をやろうとして、数時間四苦八苦する。でも結局、バングラデッシュのネット環境ではまだ無理だということがわかって終わった。でも、少しだけ、京都のみんなとビデオ•スカイプができた。

 夜は、やっと微熱も抜けて、頭がすっきりしたようだ。セレモニーの功徳かなあ?

 咳は相変わらずだけど、これは街中に飛び交っている、土ボコリのせいだろうと思う。(←ホントか) でも、風邪が抜けた記念に、一大決心してシャワーを浴びることにした。

 実は、ここは水しかでないシャワーなのだ。それに、夜はけっこう涼しい。ラジョーさんなどは、夜になると“寒いですねぇ”とか言って、頭にふろしきみたいなのを冠っているぐらいである。(まるで、昔の日本のドロボウにでかける人みたいだぜぃ)だから、夜シャワー浴びるのは、それなりに決心が必要だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<頭から、風呂敷みたいな布をかぶっているラジョー氏>

でも、「僕、これからシャワー浴びます!」と宣言した。すると、ラジョー氏が“えー!? これからですかぁ?”と驚いてた。すると、“ちょっと待って”と言い、しばらく待っていると、お湯を湧かしてバケツに入れて持って来てくれた。

 これは、シャワー室でお湯を水に混ぜながら、身体を洗うシステムである。“そういえば、インドでもこんなことしてたなぁ”と思い出しながら、温かいお湯で、久しぶりに身体中についたほこりを洗い流す。いや、まさに極楽である。

 すっきりしたところで、ラカインUNIという地域通貨の発行について、3人で相談する。

 それはこんなアイデアだ。まず、学生が1時間ユニのプロジェクトとかで働く。すると、センターで発行する1UNIという地域通貨をもらう。1UNIで、2時間分の無料ネットができる。とまあ、こんな仕組みである。

 ゆくゆくは、もっと流通させるにしても、まずはそんなところからスタートしてはどうかなあ、と話し合った。地域通貨ラカインUNIの準備である。続く

 

 

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「年越し念仏」ギャザリングを始めた意外な動機

2012/01/04 Categories: 未分類

僕は、かつて正月は、なるべく日本を逃げ出していた。別に、ゲーノー人がやるように、”正月はハワイでね” なんていう優雅なものではない。ただ単に、正月が、キライだったからである。なぜ、正月がキライかって?

僕が思うに、ホームレスの人や孤独な人にとって、正月ほど残酷なものはないのではないか? 以前の正月は、店がすべて閉まり、ホームレスは残飯にありつけなくなった。そんな物理的な死活問題もあった。もっとも今は、状況は異なるかもしれない。しかし、精神的には同じようなものではないか。

寒空の下、温かい布団や寝る家がない人、あるいは物理的な家はあっても、心の居場所がない人にとって、正月とは何か? それは自分とは真逆で、いかにも”わたしたち幸福ですぅ”というような人々を、目の当たりに見る時間でもある。

僕は、人生のつらさを身に滲みている人々の気持を想像することがイヤだった。同時に、そんな人々がいることなど想像もしない、幸福な人々の無関心さもイヤだったのだ。

僕も今では、人間界というところは、どんな暮らしをしていようと、しょせんは五十歩百歩だとわかっている。しかし、かつては、そうではなかった。人々が、いかにも幸福そうに振るまう正月。そのときアマノジャクな僕は、太宰治の「家庭の幸福は、諸悪の根源」という言葉を思い出していたのだ。

でまあ、海外に出るのが大変なときは、茨木市で1月2日から行われていた、念仏修行の会によく出ていた。3日間、一日12時間の念仏三昧に浸る。終わって街に出る頃には、何となく正月も終わっているという具合である。これは、なかなかよろしい。息子の結万が幼い頃にもよく連れていった。導師を勤める年輩の僧侶が喜んで、毎年のようにお年玉をくれたりしていた。

さて、何年か前から、このブログのタイトルである「年越し念仏」を始めた。12月31日の夜9時から、何と1月1日の昼1時まで、センターで念仏三昧を行うのだ。最初の年、京都センターで一人で始めた。これがやがて、年々参加者が増えていき、今では、京都と東京の両センターだけでなく、世界各地でも行われるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<夜9時、開始前の東京センター>

 

 

 

 

 

 

 

<京都センター。朝6時に仮眠して、8時に起きてすぐ。(寝てない人もいたけど)以外とみんな元気…。>

 

 

 

 

 

 

 

<年越しそばを食べているところ>

現在のプログラムは、年越しそばを食べたり、願いを成就する様々なワークまで行う。楽しいので、夜9時に始めても、あっと言う間に昼の1時になる。

昼一時には、年越し念仏をシンクロして行っている世界各地のメンバーと、「Happy New Year !」 と声を交わし合う。パソコンを使ったテレビ電話で、である。その後は、酒やおせち付きの新年会。正月がキライだから始まった年越し念仏会が、こんな風に華開くとは、、、。僕にしてみたら、まったく思いもよらないことだった。

僕は年越し念仏会を、今年初めて東京センターで参加した。そしてワークをリーディングした。

また、日は少しさかのぼるが、12月25日に京都センターで、クリスマスパーティを開催した。日頃、超多忙なサンガの皆さんには、準備で大変な負担をかけてしまったけれど、、、。パーティに友人三人で参加された大学生の内の一人が、「こんな楽しいクリスマスが過ごせるなんって、思ってもみないことでした。本当にありがとうございました!」と、後でメールをくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンガのパーティは、自分たちの楽しみのためにするのではない。孤独な人が一人でもいなくなるようにという想いが、いつまでも消えることがないからするのだ。そして、そんな想いの仲間たちが行うパーティなら、初めて来た人でもきっと楽しく、また心温かく過ごせるだろう。また、そうあって欲しいと願う。続く

 

 

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仏教の新しい地平を求めて

2011/12/18 Categories: 未分類

やっとまたーつ、大きなプロジェクトが終わった!

タオサンガ道場では、音楽念仏を中心に独自のスタイルで修行をしているのだが、そのお勤めの三部合唱全篇のレコーディングが終了したのである。詳しい内容をご存知でない方には、ピンを来ない話だということは、百も承知で書いている。でも、期間だけ言うと、思えば最初に始めたのは、去年の夏だったから、延々1年半もかかってしまったのである。

でも問題は期間ではない。音楽と仏教の修行を融合させるという新しい仏教の地平。それが、京都の片すみにある音楽スタジオで、生まれたのである。きっと、どんな新しい歴史の1ページも、そんな風に人に知られることなく、ひっそりと始まるものなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西洋音階だが、琴が入る。その最後の音入れ。琴は中国音階にしてある。

長調(メイジャー)短調(マイナー)どちらの音階にも適合するところが特徴。

音楽般若心経、音楽念仏のパートで入れる。

 

 

 

 

    われわれの注文に必死で応えようと懸命な作業のレコーディングエンジニアの坂本氏。

 音のバランスなどを調整しているところ。

結局、まる一日かかって終了。

 レコーディング時の神経集中って、ホントに独特です。

 

 

 僕のCD評に、”最後の曲では、リラックスして演奏している”なんて、書いてくれた音楽評論家の方がいらした。僕は、”へぇー、そんな風に聴こえるんだ”とびっくりした。実は極度の神経集中っすよー。

、、、さて、明けて翌日の土曜日。facebook 上のお友達、北山侑美さんという方が、タオサンガセンターの念仏修行と法話ライブにいらした。リアルでお会いするのは初めてだが、何といってもネット上では、お友だち登録されている人なのだ。僕としては、”友、遠方より来たる。またうれしからずや”の心境である。これもまた、新たな地平。facebookって、こんなこともあるんですね〜。

 

 

 

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バングラデッシュの仏舎利塔

2011/12/11 Categories: 未分類

 イスラム教国のバングラディシュだが、ごくわずかに仏教徒がいる。その内の一つがラカイン人だ。彼らが信仰のシンボルとしている 仏舎利塔。それが、NPOユニ現地事務所所在のコックスバザールにある。

 ラカインの人々が大切にしてきた仏舎利塔は、国民の大多数であるイスラム系の人たちに、一部を不法占拠されたり、壊されたり、また汚されるなどの扱いを受けて来た。
 僕は、初めてコックスバザールに行った4年前から、いつかこの仏舎利塔の修復に力を貸したいと切実に思って来た。そして、とうとうその念願がかなうことになった。世界各地のユニで、力を合わせて費用を支援することになり、工事が始まったのだ。(詳しくは、NPOユニのサイトをご覧下さい。)

<コックスバザールの仏舎利塔>

<この仏舎利塔群は、丘の上にあって見晴らしもよい>
 計画としては、周囲にお花畑を造り、中の道場も整備する。ようするに、ここを「ラカイン仏舎利塔公園」のような、聖地にしようという計画だ。ここで仏式結婚式をやったら、きっと、とても良い思い出になるだろうなあ、と思わせるようなところである。
 現地スタッフのラジョーさんが、念仏道場にすると張り切っている。完成の1月には、また出かけていくつもり。
<ラジョーさん/なぜか、浄土宗のT シャツを着ているところが面白い>
 修復工事費の捻出については、ヨーロッパや北米のタオサンガとの調整がいろいろと必要だった。
また、東福寺/天得院のライトアップLIVEに念仏ゴスペルが出るので、その練習もあり、また本番もあった。

<練習風景>
<本番前。緊張のあまり、引きつった笑いを見せるイギリス人のスー>
そう言えば、国民文化祭、京都駅前での念仏ゴスペルの公演をyou-tube にアップして下さった観客の方がいた。
(他の映像は、サンガのウエブで近い内にアップされる予定)
 金曜日は、京都の新京極にある、「誓願寺」という浄土宗西山派の本山で、「気の幸福力」というミニワークショップを行った。
 気でどのように幸福な人生を創造することができるのかを、身体で実感的に体験してもらうワークショップだ。
 最後の感想では、「最初は、一体、どんな講義を聞くことになるのだろう?」と思って来たが、こんなに面白いと思わなかった」と言われた人がいた。また、「1時間半、笑いの絶えないワークショップなんて、はじめて」と言った人も。
<何人か、お坊さんの参加もあったミニワークショップ。写真は、最後のシェアリングの場面>
 その後、新幹線に飛び乗り、東京へ。土曜日は、午後から雑誌のインタビュー。夕方からは、センターで音楽念仏と、その後の法話ライブ。さらに、海外向けの英語放送、ミーティングと続き、終わったのは午前1時。東京でも、さすがに電車はなく、30分かけて歩いて帰る。東京来てもこんなスケジュールだから、こっちの友だちともなかなか会えんな。
 ところで、ツイッターというのを始めてみた。(ryokyu_endo)日常的なことは一切書かず(というか、書けず)、哲学的、宗教的なことしか書かな い。非日常世界からのメッセージということで、ご容赦願えればと思う。また、そんなTwitter があってもいいのではないかと思ってもみたりして、、、。
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非日常をワクワクと生きる

2011/12/04 Categories: 未分類

僕は、どちらかと言えば、非日常に生きている、と思う。だけど、その非日常が”日常”と化してしまうこともある。ほら、東南アジアのバックパッカー旅行なんか始めて、1か月も経つと、だんだん旅が日常化してしまうことってあるでしょう。(←あるんですよ、これが)

いろんなハプニングはあるにせよ、もはや写真を撮ったりすることも、観光地に行くこともなくなっていくわけです。この所、少しそんな感じだった。

最近の出来事と言えば、東福寺/天得院、夜のライトアップLIVEがあり、僕らのバンドも数回演奏した。また、東京から竹中あこさん/大森俊之さんというミュージシャン夫婦を呼んで、演奏もしてもらった。

あこさんは、澄んだ美声をライトアップされた庭に響かせ、エバンゲリオンの編曲者でもある大森俊之さんは、見事な伴奏をしてくれた。

大森俊之さんとは、26歳ぐらいの頃に六本木で一緒に演奏した。要するに古い友人、音楽仲間である。一昨年、天河神社での奉納ライブで一緒に演奏しないか、と誘ってくれた。そして、天空オーケストラの岡野さんらとも含めて一緒に演奏した。

今回の僕は、裏方としての支援。ビデオなんか回していたので、写真を撮りそこねた。思えば、ブログをサボりだしたのは、それがきっかけだったような気もする。(ナンチャってね)

<天得院ライブの一コマ。ピアノのなむさんが、ソロで演奏した時のものである>

 

<音楽念仏や音楽般若心経、その他、もろもろをレコーディングしているところ。三部合唱になるので、時間が延々とかかっている>

 僕が非日常に生きているのはなぜか? もしかしたら、人生の目的が、念仏を広めるためだからかも知れないなあ。あっ、でもこの表現、ちょっと誤解されそうなので、説明を加えます。

人や自分の意識の変容、つまり自他の心の向上を人生の目的とすると、日常から少し離れたところで生きざるを得ないところがある。でも、見知らぬ世界を旅しているみたいに、わくわくするような新たな発見の連続でもあるのだ。

念仏三昧に入ると、こんな気持良いものがあったのかと思うぐらい気持が良くなる。身体もスカーッと脱けてしまう。また、タオサンガでは、「念仏ハイ!」という一日12時間以上の音楽念仏を、何日間もぶっ通しでやることがある。

参加者の皆さん誰もが、そんな神秘的な体験を味わうのだ。いやなに、古来から念仏者の世界とは、そんなもんだったのだ。

ようするに、その空間で、人はみな、しがらみある世間を超えて、お浄土をかいま見る体験をするのだ。音楽が聴こえたり、光に出会ったり、神秘的な声が聞こえたり、、、。そして、仏さまの聖霊と出会って、人生も性格もがらっと明るくなってしまうことだって、ままあることだ。こんな素敵な体験は、人生で滅多にできることって、ないんじゃないかな?

僕にしたって、そうだ。絶望的だった僕の人生が、根こそぎ楽になったのだ。明るいものになった。念仏に出会ったおかげで。だから、人には明るく楽になってもらいたい。僕のように根こそぎ救われてもらいたい。そう思うからこそ、今こんなことをやっているのだ。そして僕は、そのために坊さんにまでなった。

繰り返すけれど、僕は、人の心が解放されて自由になってもらいたいから、念仏を勧めているのであって、他の目的は、ーつもない。(同時進行でいろんなことをやっている僕に、とても他の目的を入れる時間的余裕などないのです)

誤解のないようにと述べたのは、正確に言えば、”誤解を恐れずに言えば、、、”だ。というのは、ようするに念仏そのものが目的ですらない。人が自由になること、人が楽しくなること、喜びある人生を送ってもらうことが目的なのだ。

そして僕の知っているそのための最高の手段(方便)が念仏三昧だからこそ、これを勧めているのである。さらに誤解を恐れずに言えば、念仏より効果的な道があれば、僕は、これまでやって来たすべてを捨てて、ためらうことなくそちらを選ぶ。そんな覚悟でやっているのである。

それから、東京にも行っていた。向こうで、法話ライブの日本語と英語の配信を遅くまでした。また、タオサンガのことで、深夜までミーテングもした。それから何があったっけ?

ああ、そうだ。「気の不思議世界と音楽念仏による癒しと神秘体験」の無料ワークショップが、二日間に亘って京都タオサンガセンターであったんだ。僕がプロデゥースしたワークショップだが、講師には、北海道から中川りみさんと、東京から後藤りゅうさんに来てもらった。

参加者の中には、感激で泣き出した人も複数いらしたそうだ。僕が直接お誘いしたMさんには、「あまりにも深い内容に圧倒された。フラフラになったが感動した」という後日談をもらった。かつて禅の師匠に印可証明(悟りを開いたという証明書)をもらったという人だが、ワークショップには、相当のインパクがあったようだ。

 

<京都タオサンガセンターで行われた「幸福力と仏教」という二日間のワークショップ>

 

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この一週間は、、、。

2011/11/10 Categories: 未分類

この所、ブログ書けないほど、めまぐるしい日々が続いていたということもある。でも、facebookとか twitter とかをやり始めたら、不慣れなせいもあって、ずい分、時間取られてしまっていた。むしろ、それが原因ではないかと、僕はにらんでいる。 (ところで、ブログを読んで下さっている方なら、喜んでfacebook 承認させて頂きますので、もしよろしければ、いつでもリクエスト下さい)

それで、この一週間の動きを追ってみよう。
まず先週の水曜日は、センターの皆さんと、京都駅前で無料チャリティ指圧を行っていた。(僕はチラシ配ったり、その他、結構さぼりながらなんだけど)

 

 これは、今京都で行われている国民文化祭の企画のーつ。タオ指圧として参加提供したのである。

そして金曜日。朝から晩まで、一日中スタジオで練習である。曲の中に聖霊が宿るように、バンドの音を創り上げて行くという、普通ではない練習のやり方をやっている。(ようするにまあ、バンドの練習と言っても、念仏修行みたいなもんである)

土曜日は、考えたら(考えなくても)けっこうハードなスケジュールである。
まず午前中は、センターで音楽念仏の修行。午後からは、僕がギターの伴奏を勤める、念仏ゴスペルの練習がずっとあった。

念仏ゴスペルは、僕がつけた曲に仏教的な歌詞で歌うという、キリスト教会でよくやっているゴスペルの仏教版である。演奏しているのは、最近創った曲もあるけど、20代の頃に創った曲も少なくないから、何だか不思議な感じがする。

というのは、あの頃は「いつか将来、気のおけない念仏の仲間ができて、みんなで歌えたらな、、、」などと思っていたからだ。
想い続けていれば、いつか必ず実現するということなんだろうな。だから、さらに明るい未来を夢想していることにしよう。結局は、夢想家が世界を創っている のだから。

人間が空を飛べると夢想した人が飛行機を創ったし、月に行けると夢想した人がロケットを創った。遠くの人と話ができると夢想した人が電話を 創ったのだ。

さて、その後、夕方から再び念仏修行。そして8時からは法話ライブ。弁栄上人という方の本をもとにして、ほとんど脱線しながら話す。(これは、U-streamで配信されている。アドレスは、下記)

そして9時半からは、これもまた、 U-stream で放送する 海外向けの法話ライブ。英語で、般若心経の解説を行う。カナダやアメリカは朝9時頃で、ヨーロッパは午後2時頃である。
カナダもウィーンも、なんとセンターでみんなが見ているという。それで、「とにかく、まあがんばろう」と、、、。

実際に目の前は、スーというイギリス人が、一人いるだけである。だから、ヨーッロパと北米で同時に見ているなんて、あまり実感湧きませんな。実感湧かないまま、ジョークを飛ばしたりしているが、ウケているかすべっているかも、わからん。

ということで翌日の日曜日は、LIVE。国民文化祭、京都駅前のステージである。まずLAMANIが、次いで念仏ゴスペルが公演した。念仏ゴスペルは、東京からも九州からも岡山からも集まった総勢14人のメンバーである。

ところで、LAMANIの前にも出演バンドがあった。そのバンドのファンの女の子が、LAMANIの演奏を見て、「わっ! めっちゃいい!!」と言ってい たと、あとからゆかさんに聞いた。僕は、つい「やった!」と、喜んでしまった。(←相変わらず、人間できとらんな)
会場では、念仏ゴスペルに、興味津々の人も多かったと聞く。(いやー、ホッとしましたね)

<写真は、講演後に被災地でのボランティア指圧を体験してもらっている所>

そして水曜日は、NPOユニの活動を展示している京都府庁のNPOネットワークセンターで、ミニ講演会を行った。現在行っている、バングラデッシュ、パレスチナ、また東北被災地での支援活動ついての話をした。

その後、センターの皆さんで、参加者に被災地で行っているボランティア指圧を体験してもらったら、とても喜ばれた。
展示と講演をコーディネイトして下さった、京都府庁の古澤さんに、感謝である。

ところで、今日もまた一日中スタジオで練習だった。それで我ながら驚いたのだが、なんと明日からしばらく、東福寺の塔頭寺院、天得院/夜のライトアップでのLIVEが始まるのだ。

 

 

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仏式結婚式 at  匹見町(島根県)

2011/10/26 Categories: 未分類

結婚式と言えば、“教会か神社だ。寺はおよびでない”という感じがあります。だとすると、寺は死んだ人のためだけのものでしょうか? それはとんでもない誤解なのです。

実を言うと、先週の土曜日に結婚式を執り行ったのです。僕が住職をしている(と言っても住んでいるわけではないけど)島根県の匹見町という田舎のお寺で、です。

こんなに田舎なんですが。地元の人がみな親切で、自然が美しいところです。

さて、この時行った仏式結婚式というのは、こんな感じでした。

まず、新郎新婦の入堂から始まります。おおっ! まさとさんとまひろさんの二人がまぶしい、、、。

 

で、まあ、みんなでお経を上げたりします。(音楽的なお経をやってます)

 

式では、新郎が新婦から華をもらって、仏さまに捧げたり。数珠を交換したり。

 

とにかく、雰囲気ありましたね〜。

 

実は、この日のために創った、”結婚おめでとうソング”をサプライズで披露。

結婚1

 

秋の匹見で夕暮れどきの、ほんわかで、ほのぼのとした結婚式でした。

 

 

その後は、総勢14名の宴会。ナンとピンクレディの踊りまで登場するほど昭和のノリ。えらく盛り上がりました。

宿泊したのは「タウンホール」という、ナンと匹見の町役場の一部のような不思議な宿。

お湯も温泉で、とっても親切にしてもらいました。感謝、感謝でした!

翌日、法要を行うと、集落の人が10人ほどお参り下さいました。皆さん、喜んで下さいました。僕らも嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近のスケジュールは、、、。

2011/10/08 Categories: 未分類

昨日は、1日スタジオに籠って練習。朝10時から夕方6時まで。一時間の休憩の後は、「音楽念仏/音楽法要」のレコーディング。深夜0時までやったが、未だ終わらず。お経を音楽的にやるという、仏教の新しい試みだ。

<写真:だんだんキツくなっていく録音作業だが、どこでも明るいサンガだった>

帰って機材をしまって、すでに1時。でも、すぐ眠れるわけではない。そこで、パーカッションの自由さんと、おでんの屋台に行ってしまった。

3時近くなって家に帰って来た。しかし帰るなり、パソコンを開けて原稿の校正をはじめてしまう。結局、寝たのは4時だった。このところ、こんなスケジュールが続いているなあ。

<写真:うぅ、深夜になるにつれて眠気が、、、>

明日は、仏光寺のビーガンフェスティバルで、昼頃にはライブ演奏。気合い入れないと・・・。

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