さて、ここから本題に入る。
ニューヨークで暮らす12才の少年が毎週夜に集金に回るのは、それなりに大変な仕事だった。しかしチップをもらえるかどうかは死活問題だったので、これをないがしろにするわけにはいかなかった。
ある家は気持ちよく払ってくれチップをくれる。しかし何度行っても留守の家庭があったり、中には居留守のところもあった。今から考えると借金取りに追われていたのかも知れないが、僕も必死だったのでそうなると根比べになった。
裕福でないアパートにはエレベーターがない。階段で5階まで上がっても留守だったりすると、一瞬心がフリーズした。今だったら心の中で悪態の1つもついたかも知れないが、少年にそれほどの邪気はなく、ただ黙って次の家に向かった。
時はベトナム戦争がたけなわだったし、その頃のアメリカには徴兵制度があった。ある家で集金した時、涙をためたおばさんが僕にチップを渡してくれながら、”あなたがベトナムに行かないことを祈っている”と言った。どうやら僕を移民の子だと思ったようだ、、、。またある家では、悲しみにくれているような家族がいた。
そして僕は、ずっと後になってからふと思ったのだった。”あれはもしかしたら、ベトナム戦争で家族が戦死した家だったのではないだろうか”と。
、、、それは少年が、戦争によって人が死ぬことを身近に感じた瞬間だった。
<続く>
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