ちょっとシリアスな話なんだけど、
「自分に対して、迷惑をかけた人の末路が
悲惨になって、
可哀想になることがあるぐらいだ」
……という話を聞いたのは、
とある年配の念仏者からだった。
その人は、「新婚旅行が念仏修行の合宿だった」、
というぐらい、熱心な修行者でありながら、
社会的にも成功した人だった。
その話を聞いた時、僕は思わずハッとした。
実を言うと、
これはあまり意識したくなかったのだが、
僕にも、同じような経験が
いくつもあったからだ。
ただ僕は、
「僕を困らせたりするような人は、
他の人にも同じようなことを
やっているはずだから、
末路が悪いのだ」と解釈していた。
ところで、結界(けっかい)を張ると、
”人を困らせる本人に、
邪気が返っていく、”という法則がある。
そのようなことをするのは、
どうも相手が不憫な気がして、
よほどのことでない限り、
僕はやらないようにしている。
(だって、その結果、
相手が、あまりにも悲惨になったりすると、
どうして良いか、わからなくなるではないか。
ザマミロとでも思えたら、
気が楽なんだろうけど……)
もしかしたら、
自分が意識しないところで、
自動的に結界がかかったり
しているのだろうか…..?
と、ふと不安にもなる。
とはいえ、
宇宙の因縁因果の法則は
厳然たるものだから、
仕方がないのか……?
とも、考える。
ところで、面白いことに、
人間とは異質の存在であるサイコパスに、
結界は効かない。
彼らは、因縁因果の法則外の存在なのである。
もっとも、僕が一番困ったのは、
サイコパスだった。
(または、魔に乗っ取られてしまった人)
ということは、だ。
僕を困らるようなことをした結果、
何年か後で、人生が大変になったとしたら、
人間とは異質の存在である、
サイコパスではなかった、ということだ。
一時的に魔に乗っ取られたとはいえ、
「普通の人間」だという証拠なのだ。
それなら、
(人間なんだから)
まだ良かったのかも知れないな。
(と、自分の不安を和らげる)
今や時代は、サイコパス vs 人間、
あるいは魔 vs 人間だ。
果たして、
ゴジラ vs メカゴジラ(人間)は、
その象徴的予言なんだろうか?
まあ、とは言うものの、
お互い、誰かを困らせたりせず、
利他だけで生きたいものだ。
それに、今まで、
僕によくしてくれた人は、
色々なことに恵まれた。
僕に良くしてくれたような人は、
他の人にも同じようなことを
やっているはずだから、
とは思うけれど……
やはり、そういう人には、
”幸あれ!”と、
強く思わずにはいられないしね。
まあ、僕が言いたいのは、
『みんなで
お互い相手に良くし合って、
「幸あれ!」と想い合うように
しようよー』
、、、ということで、合掌。
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