思い切って、
霊的回向の内容や行法をシェアしたら、
霊的資質を持った人々から、
驚くほどの反応があった。
目に見えない世界は「ない」ものとして生きることに、
抵抗のない人には、興味のない話だろう。
でも、霊的資質を持って生まれた人は、
今の時代に、驚くほど多く生きているのである。
そこで、ここにそんな人々からの体験や感想を、
いくつか紹介してみたい。
まずは、霊とも話ができる、
えい子さんという人からもらったコメント。
『昔法医学教室にいた時に、
霊の方に教えてもらったことを、思い出しました。
成仏出来ない霊は、成仏しようにも、どうすることもできない。
なので、肉体を持っている人間に“助けて!”と行くそうです。
その霊が言うには、”人間は肉体を持っているが故に、
物質、つまり音という波動を創ることができる。
それによって霊は救われるのだ。
霊(成仏できない霊)は、助けてもらうのを待つしかないんだよ。
でも人間は、自分が霊的回向をする側の存在になるのか、
それとも自分の心身に魔を宿す存在になるかの?
そのどちらになるのかを選べるんだよ。”と。
当時の私は、霊的回向とか、魔が宿るとか、
そのような言葉は知らなかったので、
霊が伝えてくれたときの表現は違うと思うのですが、
そう言えば、霊はそんな感じのことを言っていたなぁ、
と思い出しました。
人間は、霊を成仏させる側の存在になることができるのに、
そうならないなら、
自身がやがて不成仏霊になるということです。
そして、それがどれほどもったいないことなのか……
そのことすら、気づかない人たちもいるなあ、と思いました。
成仏させる側になる生き方を選ばない、
心底”もったいない”人間がいるように、
成仏したくないと思うも霊も、
中にはいるんじゃないのでしょうか?
でも霊は、人間よりは素直なんじゃないかな、とも思います。
機会があれば、(霊に)聞いてみようと思います。』
諸霊を救済するとは、
実際にどんな方法なのだろうと思う方のために、
少し述べてみることにする。
それはまず、諸仏菩薩や諸天善神の方々に、
おいで頂くところから始まる。
(仏教ではこれを「勧請」と言う)
そして……
諸霊救済のコツ:
1)自己の心身の違和感や不快さなど
(逆に言えば、大霊如来と融合していない部分)
を対象化して認識する。
2)対象化した、心身の違和感や不快な部分が、
氣核(*これはワークショップで誰でも体感できるようになる。
氣核は、自己の心の内奥に存在する核だ)にお迎えした、
如来様(相好のイメージ)の融合を受け、溶けていくようにする。
ところで、心身が如来の融合を受けて溶けていく状態は、
*「癒し念仏」によって、
誰に対しても体感させることができる。
*「癒し念仏」というのは、
仰臥した相手に対して、
まず、寄り添うようにして座る。
そして、愛や讃嘆をもって仏を想いながら
(仏教では憶念という)、
受け手の身体と仏の姿をイメージ上で重ねながら、
念仏を唱えるのだ。
すると受け手は、如来大愛の融合を受け
、身体が宇宙大霊に溶け込んでしまう体験を得る。
それは相手に、心身の深い癒しと、
大愛の悟り体感という、
驚きの体験をもたらすのである。
諸霊救済のメソッドは、
それをさらに進めたもの。
実際に、自分に救いを求めて来ている諸霊が
救済されていくと、
心身と場が、温かく、快く、澄み切っていく。
この諸霊救済のコツを読んだ愛子さんという人からは、
「諸霊救済のコツのところに書いてあるように、
”如来様の融合を受け、
溶けていくようにする”というところは、
少しイメージするだけでも、
すごく何かのエネルギーを感じました。
この場がまるで異空間になるような?
または元のところにかえるような、
穏やかな安心感があります。」
という感想をもらった。
タティアナという修行者からは、
以下の感想をもらった。
『私は子供の頃から、
霊に対する強い恐怖心がありました。
この新しい行法で念仏を唱えると、
最中も後も、
完全に平和でリラックスした気持ちになりました。
それは、今までに感じたことのない、新しい感覚でした。』
さて、諸魔の浄化については、
(1)で、以下のようなことを述べた。
「救済の諸霊に随伴して来る諸魔は、
諸霊の後ろに隠れているので分かりにくい。
しかし表に出すと、エネルギーを吸い取り、
落とそうとする、という特徴がわかる。」
で、実際にどうやるのかと言うと、
以下のようなものである。
諸魔浄化のコツ:
エネルギーを吸い取り、落とそうとする存在を自覚し、
対象化して認識する。
諸魔浄化に必要なのは、
修行者が、
ダイアモンドのように硬い金剛心を喚起すること。
(金剛心が「氣」として実際に存在することは、
ワークショップで体験して頂ける)
この金剛心をもって、
彼らと真っ向から対決するつもりで、
剛玉(*注)にお迎えした
白毫の光明を向け続けながら、声明を唱える。
*剛玉が実際に氣として、
金剛心の中に存在することも、
ワークショップで体験して頂ける。
エネルギーを吸い取り、
落とそうとする諸魔の力は、
やがて小さくなり消えていく。
タマさんという修行者の方からは、
次のようなコメントをもらった。
『昨日、おとといの声明で、
諸魔の対象化につとめました。
長年、身体の右側にぴったりとくっついて、
ご丁寧にも、いろいろ苦しめてくれていた存在を
、他者として炙り出せました。
驚きました。
”なんだ、君だったのか”と思いました。
それまでは、私がおかしい。
私がダメなせいだと思っていました。
しかし、対象化して認識し、
金剛心をもって、
如来様の白毫相の光明を振り向け続けました。
すると、まだたった2日なのに、
心身がすごく楽になる感じがしました。
そして、20年以上、カチコチで不快だった肩こりが、
”あれ?”というくらい変わりました。
(まだ、ちょっとカタイですが)
それでも、日に何度も肩を回してみて、
”あれ?”と思っています。
それから、
この間お世話になった方が亡くなられました。
その方のために、回向声明していたら、
やがて、ものすごい美しさで現れました。
その人は、美しい光をまとい、
満面の笑顔で会いに来てくださったのです。
私は、嬉しいのとさみしいのと安心したので涙が出て、
”ああ、声明回向にご満足頂けたのだなぁ”と思えました。』
霊的回向の内容は、あとまだ二つある。
それは、先祖の霊位向上や守護の諸天善神の向上を
祈ることである。
それについて、一部をご紹介しておく。
守護の諸天善神
回向修行者が、どれほど多くの諸仏菩薩、
諸天善神の方々に守護されているか。
その数は計り知れないほどである。
(修行者でない人が道場を霊視して、
無数の諸仏に囲繞されている、と驚いていたことがあるが)
私たちは、無数の諸天善神の方々に期待されている。
私たちが期待されているのは、
天上界を無限向上せしめることである。
その期待は、私たちの霊のからだに優しくタッチしている、
と体感できるはずだ。
ローレンスから、これに関する以下のようなコメントがあった。
『これまでの伝統を超える霊的回向のメソッドを、
崖から飛び降りるほどの勇気をもって
世界に共有して下さったRyokyu先生、ありがとうございます!
実際にメソッドに順って行じてみたら、
驚くほどクリアで、とてもパワフルでした。
如来の本願の力、
仏の白毫相の光や宇宙大霊の大愛の壮大な力が、
それぞれとても深く感じられたのです。
最後に、守護の諸天善神が霊の身体に触れているのを感じたとき、
全身に深い安らぎが流れ込んできました。
気がついたら、僕は泣いていました。
それは、喜びと悲しみが溶けて一つになったような、
不思議な感情でした。
守護の諸天善神の方々は、
僕と宇宙法界全体を支えてくれて、
引き上げてくれている、と感じました。
僕の心身は浄化され、深い安らぎを感じました。
これで、自分たちの明るい未来は、保証されている……
全身で、そう感じることができました。』
諸天善神(天上界)無限向上祈願のコツ:
これは、遊心*を以って、諸仏菩薩と天上界の神々を讃嘆するのが基本だ。
*遊心は、ゴルフボールぐらいの大きさ。
創造性の源泉であり、氣で認識できる。
以下のように実践する。
1)私たちの霊のからだに優しくタッチしている
諸天善神の方々を対象化して、認識する。
2)タッチされている諸天善神の方々が、
霊核にお迎えした如来様の口唇相の威神力を受けて、
無限向上されていく、というイメージングを行う。
3)天上界は、私たちの回向によって無限向上していく。
回向修行者には、
ますます多くの諸天善神の方々が守護されるようになる。
だから、何があっても大丈夫になる。
霊的資質を持っていながら、
回向修行の道に進まないなんていう、
自分の資質や潜在能力を裏切るような
”勿体ない”ことは、
果たして起こり得るのだろうか?
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