先にも出て来たが、
妙聖師が語られた法界回向の功徳は、
とてつもなく巨大だ。
もっとも大乗仏教では、
「娑婆(人間界)でする1日の修行は、
浄土の1000年の修行に匹敵する」と言われている。
さらにお十夜とか融通念仏では、
さらに大きい功徳を説いてはきた。
例えば、お十夜(10月中の一定の10日間)の時の修行は、
通常の一千年分の功徳がある、と言うのだ。
(お浄土の何年分になるのだ?)
また融通念仏では、人数が増えると、
功徳は二乗に増えるという。
つまり、3人で行じるなら、
功徳は3倍ではなく9倍。
9人で共にするなら、
その修行は81倍の功徳があるのだ。
ただ、妙聖師が語った法界回向の功徳は、
お十夜と融通念仏をかけたとしても尚、足りない。
とんでもなく巨大な功徳なのものである。
まあ、無数の諸仏菩薩、諸天善神をお迎えし、
それこそ無数の衆生が救われていく場を造る
修行者の功徳なのだ。
あるいは、そういうものなのかも知れない。
そういえば、 昔、将棋の「代打ち」で勝った人に、
殿様が「何でも褒美をやるから,申してみよ」
と言ったそうだ。
それに対して将棋士は、
「ではまず、将棋盤1マスに1粒のお米をおいて、
それを二乗していって、
全部の盤が埋まった分の米粒だけをお願いします。」
と答えたそうだ。
殿様は、「何だ欲のない奴だな。そんなんでいいのか?」
……とは言ったが、その結果に仰天した。
自分の領地では、まるで足りないほどだったのである。
法界回向の功徳とは、
あるいは、そのようなものなのかも知れない、
「”一切のために”と発心して行う法界回向」。
これによって、誰もが、悟りの体感を得ることができる。
また、無意識が浄化され、
意念によって未来を創ることができるようになる。
さらに、諸霊救済や諸魔消滅の回向力を、
自ら付けることができるのだ。
自他一切に利益(りやく)をもたらすそれらを、
「功徳」と言わずして、何を功徳と言うのだろうか?
最近のコメント