霊的な法界回向の世界を学行している内に、
僕は法華経で説かれている霊的側面が、
現実として実践されていることに驚いた。
いやむしろ、先にも述べたが、
(これはもちろん僕の解釈だが)
”無数の衆生が度脱される”とか
法界回向で実践されていることが、
法華経に記述されていることに驚いた、
その他、妙聖師は、自分が見ている霊的見地から、
道場の人たちの過去生を伝えたりした。
また先祖の因縁や、
”その人の何と言う守護神が、
今日の回向に来ていた”、なども話した。
さらに、ここが法華経と符合する点なのだが、
妙聖師も時おり、“今回の法界回向の功徳で、
あなたの霊位はどこまで上がりました”と
「授記」(仏になる予言)していたのだ。
(膨大な種類の霊位が発表されていた)
ご存知の方も多いと思うが、
お釈迦様は、法華経の「授記品」という章で
弟子たちそれぞれに、”あなたは将来、
何々という名前の仏になります”
と予言(授記)している”。
もっとも妙聖師に、
”あなたは”菩薩位の◯段になりましたよ”
と言われても、聞いた方としてはどうだろうか?
”よほどの悟りの体感に目覚めていない限り
ハッキリとした実感はなかったのではないか”
僕などは、ついそんな風に思ってしまう。
まあそれは、お釈迦様の弟子たちにしたって、
そうだったかも知れないが……。
(法華経が、非仏説かどうかはさておき)
*注:明治以降、「大乗経典は非仏説」
(お釈迦様が直接説いたものではない)
というのが、定説である。
それはともかく、『授記』に関する僕の解釈は、
「妙聖師は、修行者の潜在的な可能性が
どこまで開けたのかを伝えていた」
というところで落ち着いた。
ところで当時、その法門の熱心な修行者に、
滋賀県の教育委員長がいた。
僕は、その人から直接、聞いたのだが、
「ある日、妙聖師は、法界回向の際、
地獄の衆生を救っていたようだった」と。
そして、「手を地面に付けたまま、
身体が真っ直ぐ、45度浮いたまま、
しばらく静止状態になった」そうだ、
物理的にはあり得ない、
不可能なポーズである。
その方は、”その時は、あまりの驚きで、
思わず木魚のバイを落として、
ポカーンと見入ってしまった”と言われていた。
宇宙法界には、解釈のしようがないことは、
山ほどあるに違いない。
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