人生最大の挑戦に臨んだワタシ

大袈裟なタイトルだな、と思うかも知れないが、

これは僕の本音だった。

 

戒律の厳しい、タイなどの上座仏教の僧侶たちや、

高度で精緻な密教を学んだチベット僧たちが集まる

3日間のフォーラム。

 

しかもテーマは『戒律』。

 

そこで何と、僕みたいなのが講演するというのだから、

「人生最大の挑戦に臨む」というのは、

僕にしてみたら本気なのである。

 

仏教は伝統が大きくモノを言う。

 

というのは、経典で裏付けられているかどうかが、

その考えの正否を決定するという『伝統』があるからだ。

 

このため、伝統的仏教を完全にぶち壊したような

法然上人ですら、どの学僧にも論駁されないだけの

『理論』は確立していた。

 

(しかも、誰のプライドも傷つけないように、

相手を立てながら……..)

「仏教はロックだ! 伝統なんて壊そうぜ!」

何て言っている僕にしても、

こと自分の修行メソッドの本を書く上においては、

この辺りのことを相当気にしながら

まとめて来たのである。

 

(近いうちにその本、出版しまーす)

まあその話はいいや。

 

 

果たしてステージに立った僕は、

石を投げられるのか?

それとも「おお!」と賛同されるのか?

 

挑戦は初日のオープニングから始まった。

 

実は前夜、

フォーラムの主催者側である友人のチベット僧タブケに、

「オープニングでは、各国から来たサンガが

それぞれステージに立って、皆にお経を披露する

ことになっているから、よろしくね!」

なんて言われていた。

<今回のフォーラムに僕を誘った友人のタブケ。

拙著のチベット語翻訳の僧侶も紹介してくれた>

 

うぅ、どうしよう…..

僕には、2つの選択肢があった。

 

1つは、伝統的な日本のお経(般若心経)を、

祖牛さんも加えた4人で、普通に読誦すること。

 

これは無難だし、誰からも文句はでない。

 

しかしもう1つの選択肢があった。

 

それは、いつも自分たちがやってる

独自の音楽マントラを、

音楽パーフォーマンスのように

やってしまうことだ。

 

「何をためらうのか?」

と言われるかも知れない。

 

しかし、タイ仏教で音楽を演奏することは

戒律に反する。

 

チベット仏教もそうではなかったかな。

 

日本でも禅寺は音楽禁止である。

 

基本的に仏教はそんな感じ。

 

寺でコンサートなんて、

日本でも、つい最近の話なのだ。

 

いくらマントラ声明とはいえ、

戒律違反となる音楽演奏を、

「戒律」がテーマのフォーラムでぶちかます?

これは相当、勇気のいることである。

 

え〜ん、と泣きたいぐらいだ。

 

だから、しばらく逡巡した。

 

しかし結局、石を投げられる覚悟で

実行することにした。

 

こうなりゃ、捨て身である。

 

(いつも結局は、この結論になる)

当日の朝のオープニング。

 

….いよいよ自分たちの番が来た。

 

アミさんにはキーボードを持ってもらい、

山往さんが木魚。

 

アミットさん、祖牛さんも加わる。

 

僕は、ライブコンサートのつもりで、

ステージに立った。

 

まずは話した。

 

「それぞれの国のマントラへの敬意を表すため、

日本仏教(南無阿弥陀仏)、インド仏教(オーム・マハ・ブッダ)、

チベット仏教(オーム・マニ・ペドメフム)を唱えます」

 

音楽声明の終了後、在家の人たちからは大ウケの拍手が上がり、

司会のタブケは「アーチスティックな声明でしたね」と

皆さんへのアナウンスで終わった。

 

その後、色んな人たちから、「良かったあ〜」とお声がけ頂き、

また、フォーラム会場寺院の館長の老僧まで、わざわざ尋ねて来られて、

「実に良かった、、、」と握手された。

 

 

何か「え〜!?」とビビっている風の人は、

去年知り合った元歌手のタイ僧マハヤノだった。

 

なかなかチャーミングなヤツなんだけどなぁ……

関連記事一覧

PAGE TOP