霊的存在と生きる(18)法界回向、その巨大な功徳の謎?

先にも出て来たが、

妙聖師が語られた法界回向の功徳は、

とてつもなく巨大だ。

 

もっとも大乗仏教では、

「娑婆(人間界)でする1日の修行は、

浄土の1000年の修行に匹敵する」と言われている。

 

さらにお十夜とか融通念仏では、

さらに大きい功徳を説いてはきた。

 

例えば、お十夜(10月中の一定の10日間)の時の修行は、

通常の一千年分の功徳がある、と言うのだ。

(お浄土の何年分になるのだ?)

 

また融通念仏では、人数が増えると、

功徳は二乗に増えるという。

 

つまり、3人で行じるなら、

功徳は3倍ではなく9倍。

9人で共にするなら、

その修行は81倍の功徳があるのだ。

 

ただ、妙聖師が語った法界回向の功徳は、

お十夜と融通念仏をかけたとしても尚、足りない。

とんでもなく巨大な功徳なのものである。

 

まあ、無数の諸仏菩薩、諸天善神をお迎えし、

それこそ無数の衆生が救われていく場を造る

修行者の功徳なのだ。

 

あるいは、そういうものなのかも知れない。

 

そういえば、 昔、将棋の「代打ち」で勝った人に、

殿様が「何でも褒美をやるから,申してみよ」

と言ったそうだ。

 

それに対して将棋士は、

「ではまず、将棋盤1マスに1粒のお米をおいて、

それを二乗していって、

全部の盤が埋まった分の米粒だけをお願いします。」

と答えたそうだ。

 

殿様は、「何だ欲のない奴だな。そんなんでいいのか?」

……とは言ったが、その結果に仰天した。

 

自分の領地では、まるで足りないほどだったのである。

 

法界回向の功徳とは、

あるいは、そのようなものなのかも知れない、

 

「”一切のために”と発心して行う法界回向」。

 

これによって、誰もが、悟りの体感を得ることができる。

 

また、無意識が浄化され、

意念によって未来を創ることができるようになる。

 

さらに、諸霊救済や諸魔消滅の回向力を、

自ら付けることができるのだ。

 

 自他一切に利益(りやく)をもたらすそれらを、

「功徳」と言わずして、何を功徳と言うのだろうか?

 

 

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