霊的存在と生きる(9) 諸霊救済のメソッド

霊的回向の功徳と言えば、

まずは何と言っても、

自分に何らかの因縁があった諸霊が

天上界に救われて往くのだから、

これを功徳と言わずに何を功徳と言うのだろう?

 

もっとも、“因縁があった”と言っても、

諸霊は、遠い繋がりを伝わって救いを求めて来る。

 

例えば、「自分と縁のあるAさんが、Bさんと繋がり、

そのBさんが過去世において縁のあった諸霊がやって来た」

なんて言うことは普通のことである。

 

救いを求める霊は必死だ。

 

どんな薄い縁であっても、繋がった瞬間にやって来る。

(もっとも、来られた方は、何だかしんどいな、

と思うだけで気づかないが)

 

まあ、因縁と言うのはそのようなものである。

 

そう言えば、心理学者カール・ユングの自伝で、

家の中が諸霊で一杯になった、という話が出て来る。

 

(余談だが、西洋のユング派の精神医で、

”あらゆる精神病は霊的原因によって起こる”

と本に書いている人もいた)

 

それはたしか、ユングがフロイドと決別し、

非常に大きな苦しみを抱えていた時期ではなかったかと思う。

 

ユングの場合は、執筆によって諸霊が消えていくのだが、

諸霊に救いを求めて来られる重苦しさから、

芸術作品に向かう人は多いと思う。

 

もちろん、宗教世界に向かう人も多い。

 

しかし、残念ながら、

諸霊救済のメソッドを確立している教えが

存在するのかは、寡聞にして知らない。

 

僕の知る限りではない。

 

(だから通常、芸術家であろうと、

宗教家であろうと、霊的資質を持った人は、

重苦しさを抱えたまま生きることになるのだろう)

 

もっとも、先に述べたように、

霊的回向の世界においては、

宗教の別というものが存在しなくなる。

 

何せ、諸霊救済のメソッドは、

各自が自分自身の回向力によって、

直接、宇宙大霊と繋がり、

一切の諸仏菩諸天善神の光や

大愛をふり向けて成すものである。

 

そうなると、XX教とか特別なグルとかは不要になる。

 

それでは、宗教をしたい人や、

宗教をメシの種にしたい人は困るのだろう。

 

諸霊救済は、宗教にとっては、

宗教自身が成立しなくなるという

危険をはらんでいるのだ。

 

もしかしたら、そんなことも、

諸霊救済のメソッドが確立して来なかったことの

原因の1つかも知れない。

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