1月のインドは寒いぐらいだった。
しかし、5月のインドは猛暑である。
1月のインドは、ダライ・ラマ法王との謁見を皮切りに始まった。
そして、その後の旅も、最後まで僥倖の連続だった。
しかし今回、5月のインドは違う。
最初から、誤算の連続である。
まずは空港で荷物を間違えた。
宿泊先のアミットさん(佐々井上人の寺の事務局長)の家で
荷物を開けてみたら、
何とインド人の荷物だったのだ!
さすがにこんなことは初めて。
呆然としてしまった。
アミットさんに空港に電話してもらい、
すぐに空港に引き返した。
アミットさんは航空会社の幹部を
知っているということで、
その人にも電話してくれた。
1時間後に、無事、相手の荷物を返し、
また、自分の荷物も手元に戻った。
夕方、佐々井上人が待っているというので、
ギターを持っていった。
佐々井上人が好きだという、
超弩級の昭和曲の2曲を弾いて驚かそう
と思ったからである。(そのために結構、練習までした)
そうして、会うなり曲をぶちかましたのだが、
これが意外にスベり、
逆に、「俺の浪曲の方がすごい」と言われ、
それを聞いた僕は、つい爆笑してしまったのだ。
持って来たインスタント味噌汁を作って差し上げ、
ちょっとお世話していたら、
あなたは良い人だね、とおだてられた。
持って行った拙著も、良い本だ、とご機嫌ではあった。
僕は、”どうも、今回のやり取りは妙だな”……
と思った。
前回(1月)は、西洋人のメンバー3、4人を含む
7人と一緒だった。
その時は、会うなり、”本堂で般若心経を唱えよう”と言われた。
それで全員で座って、般若心経を唱えた.
全員が大きな声で唱和した。
後で気づいたのだが、
どうやらそれは、試験だったようだ。
テストには合格し、その時の僕は、
「般若心経を空で唱える西洋人たち7人を連れて来た」
ということで株が上がっていたようだ。
だが、今回は僕一人。
1月のことを、どこまで記憶されているのか、
どうにも心許ない感じがした…..。
僕を覚えていないのではないか?
ふとそう思ったのだ。
というのは、僕を別の人と思っているようだったからだ。
(テレビを観て、佐々井上人を訪ねて来る日本人の1人と
思われたみたいだからだ…..。)
それでもまあ1時間ほど何やかや話した。
そして、日本語の分からないアミットさんに
つき合わせるのも気の毒だと思い、
明日のアポイントを取って辞した。
ところがだ。
アミットさんからの連絡で、
佐々井上人、明日は都合が悪くなったので、
明後日と…….。
そして、ここがまた次の誤算であった。
翌々日になって行ったら、
”昨日来るって言ったのに来なかった……”と
ご不満そうだったのである…….
それでもアミットさんと2人で,
「希望の火」をナグプールに常灯する件の話をしようとした。
だが、数分すると、佐々井上人は、
日本に出る前に皆に払って行く給料のことで、
今は頭が一杯とのこと。
…….話は頓挫である。
3度目の誤算で、ああ無情!
と、僕はひたすら天を仰いだ。
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