ふと気づいたことがある。
なぜ僕は、
自分がなるべく表に出ないように務めるのか?
考えてみたら、当たり前の話だけど、
表に出れば、その分だけ、
人からの様々なイメージの投影を受ける。
それはポジティブなものもあれば、
ネガティブなものもある。
そのどちらもが、僕自身ではない。
あくまでも、
ご本人に内在するイメージの投影に過ぎない。
ネガティブな投影を受けるのはしんどい。
では、ポジティブなものだったら良いのか?
一見、良さそうだが、これもしんどい。
相手のイメージ通りであれば、しばらくの間は、
持ち上げてくれるかも知れない。
しかし、相手に合わせて「ご立派な」自分を演じるのなんて、
まっぴらごめんである。(僕は、不良学生なのだ)
それに、相手が僕に対して抱いているイメージに、
合わないことが起こったり、
何らかの理由で相手の我に危険が生じれば、
そんなものは立ち所にひっくり返るのだ。
まるで革命が起こったときみたいに。
そしてその時、僕は、今度は、断罪される側になるのである。
(たとえ僕がやっていることが、一貫していても)
実はそれ、
最初からネガティブなイメージを持たれている時よりも、
尚一層、しんどい。
実は、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、
人のイメージの投影によるしんどさは、色々経験した。
それで、なるべく自分は表に出ないようにして来た。
しかし、そうも言っていられなくなって来た。
自分を出すことでしか、
自分が実現しようとしていることが表に出ないのなら、
自分を表にさらすしかない……。
そう、覚悟しなくてはならないのか。
追記:
実は、「ワークショップのシナリオを自分が書いた」
なんてことを言ってみたのも、そう思ってのことである。
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