憶念
他者の悲しみに共感できる人は、
自らの悲しみに向き合い、
自分のためは涙を流さずとも、
人のために涙を流す。
如来の大愛はそんな人に訪れる。
他者の幸せを祈り、
救いを祈る人は、
如来の大愛を胚胎する。
大愛に溶かされた心身は、
法爾自然に、仏を憶念(愛念)する。
如来思慕の憶念は、
他者の幸せを願う心から生まれ、
人は幸せになる。
讃嘆
存在の根源は歓喜であり、
一切が互いの歓びを喜び合う。
これが宇宙の実相である。
讃嘆は歓喜の因であり、
宇宙一切を創造する。
讃嘆と歓喜とは相即相入し合い、
あらゆる生命はここから生まれる。
宇宙の尽きることのない創造と無限向上は、
讃嘆と歓喜が相即相入する姿であり、
無限の潜在力が世界に発現する。
他者の潜在力/可能性のみを観る人は、
子供のように無邪気に、
他者を讃嘆する。
曇りのない目で他者を観て讃嘆する人は、
如来を讃嘆している。
宇宙根源の「歓喜」と、
自己内在の歓喜が入我我入し、
世界に歓喜をもたらす。
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